日本を代表する、恋する者たち
世間ではあまり話題にあがらないが、日本には三大悲恋伝説なるものがある。『羽衣伝説』『浦島太郎伝説(または『竹取物語』)』そして『松浦佐用姫伝説』。私はかねてから人知れず『浦島太郎』と『竹取物語』がやたら人気なことに苦言を呈してきたので、この機会に松浦佐用姫(まつらさよひめ)の宣伝をしておきたい。
松浦佐用姫は、恋する女である。三大悲恋伝説に数えられるくらいだから激しい恋をしているにちがいないと思うだろうが、そのとおり。なにせ彼女の恋には、命がかかっている。
松浦佐用姫はまた、文学の女である。『万葉集』『平家物語』『太平記』など数多くの文学作品に登場する彼女は文芸の世界ではかなりの有名人、のはずだが浦島太郎やかぐや姫と比べると影がうすい。だが、それも仕方がないのかもしれない。松浦佐用姫の恋物語はあまりに悲しく、あっけない。
松浦佐用姫伝説

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/1304216)
ある若い男が遠い南の島へ来た。そこから海を渡り、異国へ戦いに赴くためだった。南の島には若い女が暮らしていた。ふたりは恋に落ちた。戦いの用意はととのい、男は船に乗りこんで異国へ向かった。
女は男との別れを嘆き悲しんだ。山へ登り、船の影が見えなくなるとべつの山に登り、男が見えなくなるまで見送った。男が消えてしまってからも慕いつづけ、ついに息絶えてしまった。
恋に生き、恋に死ぬ

出典:東京都立中央図書館(https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000003-00012352)
昔話や伝説にはどういうわけか、想いを募らせて命果てる者がいるが、佐用姫も例外ではなく恋に生き、恋によって死んだ女である。私だって恋愛の経験はそこそこあるが、それでも、いやだからこそ佐用姫の恋愛には一家言ある。まあ、ちょっと聞いてほしい。
佐用姫は恋人に捨てられたわけではない。置いていかれた、のかもしれないが、愛する人を危険な場所へ連れて行きたがる男はそういない(と信じたい)。別離はあったが、それは戦いへ行っている間の一時的なものだった。そもそも戦争へ行くからといって必ず死ぬとは限らない。
人の恋愛に口を出すのは下品だと分かっているが、まあ、ちょっと言わせてほしい。
短い別離にも耐えられずに死んでしまうなんて繊細すぎないか。恋人と離れたことを嘆かずに、しっかりと堅実に暮らし、帰りを待つべきだったのでは。きっと相手は心も体もくたびれて戻ってくるはずだから、そのときに愛情深く迎えられるように準備をしておくべきだったのでは。佐用姫には、まだまだ言いたいことがある。いっぽうで、ほかのいっさいの雑念を追い払うくらい恋に生きた佐用姫を尊敬してもいるのだ。
伝説によれば、男は任務を果たして無事に戻ってきたと伝わる(佐用姫も死ぬんじゃなかったと思っているにちがいない)。恋が生きる力になった男と、恋のために死んだ女。『松浦佐用姫伝説』は、いろんな意味で悲恋なのである。
恋のお相手は華やかな都の貴公子

出典:東京都立中央図書館 (https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000003-00009555)
佐用姫がそれほどまでに愛した相手とは、いったいどんな人物だったのか。男の名は、大伴狭手彦(おおとものさてひこ)。天皇につかえた大豪族で中央最大の権力者を父に持つ、華やかな都の貴公子である。
ものの本によれば、佐用姫は肥前国松浦郡(現在の佐賀県唐津市あたり)に暮らす松浦長者の娘だったという。
狭手彦は、兄と共に九州へやって来た。出陣するには船の建造や整備、食料の補給など長い時間がかかる。狭手彦は身のまわりの世話を佐用姫に任せていたと言われる。そうこうしているうちにふたりは恋に落ちたのだった。
佐用姫が実在したかどうかは分からない。でも、大伴狭手彦は実在の人物だ。佐用姫の伝説が残る土地には、佐用姫が狭手彦の乗る船を追いかけて登ったという山や、足を止めたという川辺の岩、川を渡って濡れた衣を乾かした場所など悲恋を語り継ぐ土地があちこちに残されている。
恋はひとりではできない。大伴狭手彦が本当にいたのなら、もしかすると佐用姫だっていたかもしれない。愛する人と別れる悲しみを知っているのはなにも佐用姫だけではない。だからこそ、時代を超えて佐用姫の伝説は語り継がれてきたのだろう。
一途な恋、一途な物語

出典:国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/1302872)
佐用姫の伝説は、とても古い。どのくらい古いかというと、奈良時代の歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)も佐用姫の歌を詠んでいるくらいだ。その山上憶良でさえ「とをつひと(遠つ人)」と表現したほど古い話なのである。万葉歌人の時代より古いとなれば、私たちからしてみれば佐用姫など遥か遠く、幻想世界の女性である。
私の知る限り、こういう古い話は世々語り継がれていくうちに尾ひれがついて、何百年もするとまったくちがう話になってしまうことがおおいのだけど、佐用姫伝説はそうじゃなかった。波乱万丈なロマンになることもなかったし、恋のライバルが登場することもなかった。おもしろい話にしようと誰かが創意工夫を凝らすこともなかった。語る方も聞く方もすぐに終わってしまうような、ごく単純な恋物語だったせいかもしれない。
誰もなにも付け加えることなく、ひとつの物語が語られてきたというのは、奇跡みたいな話だ。いつの世の人も佐用姫の清らかな恋心を削らず付け加えず、ただ語り継いできたのだから。物語が一途なら、読者も一途。その事実のほうが伝説よりもずっとロマンチックで、感動のあまり伝説のほうがかすんでしまうくらいである。
おわりに
昔話には、恋愛話がたくさんある。海底で出合った美女との蜜月、鶴と過ごしたひと時、竹から出てきた女に群がる求婚者……世間のスキャンダルにはまったく興味のない私だが、昔話の恋愛となれば放ってはおけない。
私はすべての悲恋に同情する質だが、しかし佐用姫にたいしては冷ややかである。いや、そんなふうに言ってはいけない。恋をしているとき、人は誰しも真剣なのだから。それに、すれちがうのが恋だというのなら、佐用姫の恋は本物だった。なにせ彼女は息が絶えるほどの恋をしたのだから。
【参考文献】
『民話と伝説』学習研究社、1977年
近藤直也『松浦さよ姫伝説の基礎的研究 古代・中世・近世編』岩田書院、2010年

