その中でも、我が地元の名古屋に色濃いルーツを持つのが『都々逸(どどいつ)』と『正調名古屋甚句(せいちょうなごやじんく)』。今回はそれらを継承し、令和の世に伝えている端唄 華房流華の会 二代目家元・華房小真(はなぶさこまさ)先生の元を訪ねました。
都々逸は誰もが作れる面白さ
都々逸とは“七・七・七・五”の音数の定型詩で、三味線に合わせて歌われます。江戸時代に生まれ、大衆の娯楽として愛されてきました。俳諧のように季語を盛り込むというルールも無く、古語を使うなどの文法的制約もありません。だからこそ庶民の瑞々しい感情や、時勢に流行、時には俗っぽい事柄すらも描き上げられる幅の広さを持ち合わせます。
例えば……
“ざんぎり頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする”
歴史の教科書で見た覚えがある、という方も多いのではないでしょうか。他にも……
“人の恋路を 邪魔する奴は 馬に蹴られて 死んじまえ”
“立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花”
このあたりも有名な作品ですね。やはり七五調の心地よさと、計二十六音という情報量の妙が、日本人の感覚にフィットします。個人的に好きなのは高杉晋作が残したとされる、この作品。
“三千世界の 鴉(カラス)を殺し 主と朝寝が してみたい”
三千世界とは仏教用語で宇宙・世界全てのこと。そして鴉といえば朝方から喧(やかま)しく鳴く存在です。“あらゆる世界の鴉を殺して、あなたとゆっくり朝寝がしたい”という色っぽくも無垢で無邪気な愛のフレーズに、この作品に出会った当時14歳の本田少年はドキドキしたものです。いや、33歳になった今でも、かもしれません。

都々逸の魅力は即興にあり!
「都々逸は、誰もがシンガーソングライターになれるのが面白いんです。長唄や常磐津など素晴らしい日本の古典音楽は数あれど、即興で作ったものを即興で歌えるというのは、都々逸しかないですね」と小真先生。

誰もが気軽に楽しめた、そんな間口の広さが江戸時代の人々に受けて流行した都々逸。ここまでは有名な作品の紹介を交えながら“七・七・七・五”の文学的楽しさを紹介してきました。しかし先生の言葉からもわかるように、都々逸が流行した背景には、音楽であるということも重要なファクター。それをひもとくために、歴史についても掘り下げます。
名古屋から江戸へと広がり全国的なブームに
都々逸といえば、都々逸坊扇歌(ぼうせんか)という人物が大成させたことで有名です。しかしながら坊扇歌が都々逸の始祖であるかと問われれば、実はそのルーツとなる音曲がまた別に存在するのです。
「1800年頃には、都々逸の元となった熱田神戸節が東海道五十三次の41番目の宿場町である宮宿神戸町の大楼「鯛屋」で、後の女将となる「お仲」が唄い始め、その美声と手腕で大流行していきました。今でいう名古屋市熱田区あたりで、熱田神宮の門前町であり、東海道で唯一の海路の宿場町として大いに栄えたそうですよ」と小真先生。

熱田神戸節には、掛け声である囃子詞(はやしことば)が、“七・七・七・五”の後に毎度入り、そのリフレインが宮宿での流行に拍車をかけたといいます。その囃子詞といえば……。“ソイツはドイツだ ドドイツドイドイ 浮世はサクサク”というフレーズです。文字で見ているだけでも小気味の良さが伝わってきますね。このドドイツの当て字を、都々逸としたのが坊扇歌でした。
坊扇歌は神仏への祈願を代行し、各地を巡りながら、芸を披露して生活の糧を得る願人坊主(がんにんぼうず)だったそうで、尾張にも何度か来ていました。その時に熱田神戸節に出会い、独自にアレンジをし、江戸に持ち込み、寄席などで歌ったことで一大ムーブメントを起こしたのだろうと考えられています。
もともと熱田神戸節は、名古屋節などとも呼ばれ、各地に広がってはいたようですが……。江戸庶民の間に大きな流行の波を作り上げたのは、紛れもなく坊扇歌の功績でしょう。熱田神戸節から都々逸へと受け継がれた親しみやすいメロディーは誰でも歌いやすく、また前述の通り人々の気持ちを託しやすい文学的な特徴も重なり、もともと歌好きだった江戸の庶民たちに大受けした、というわけです。

思わず口ずさみたくなるものが流行する、という点は現代も変わりませんね。江戸時代にSNSがあったなら、都々逸が席巻したこと間違い無しです。
「坊扇歌がいなければ今の都々逸というジャンルは生まれませんでしたし、そうなると当然、熱田神戸節がルーツであることもクローズアップされませんでした。すごくありがたいなと思っています」と小真先生は都々逸の長きにわたる歴史に思いを馳せます。
名古屋はええとこ!歴史深きPRソング
さて今回のもうひとつのテーマは、正調名古屋甚句です。
「甚句というのはいわばPRソング。全国にいろんな甚句があるけれど、お国自慢や作業歌など様々です。それゆえローカルな雰囲気のものが多いのですが、正調名古屋甚句は都会で生まれた街の歌なので、洗練された雰囲気があります。しかも組曲になっていて、これはとっても珍しいですよ」と小真先生。

その構成は以下のとおりです。
1.恋の鯉
2.宮の熱田
3.尾張大納言
4.花の名古屋
5.名古屋名物

厳密にいえば1~4が正調名古屋甚句で、5は後から追加されたさわぎ唄で、3と4は2の替え歌で……というディテールもあるのですが、とにかくこの五つをセットとして小真先生は現代に歌い継いでいます。
“恋の鯉”は前唄。山の滝を川のように勇壮に泳ぐ鯉を描き、叶いそうにない恋に挑む力強さも内包しています。竜門を登りきった鯉は竜になるという伝説もあるとおり、上昇志向と鯉がひも付きます。お祝いの席でも歌われたりするそう。
“宮の熱田”は本唄。西行法師が詠んだ“かくばかり木陰すずしき宮立ちを、誰が熱たと名づけ初めけむ”を盛り込んでいます。当時は海沿いだった熱田エリア。海風もありどうやら涼しかったようですが、現在の名古屋は、熱田の名に違わぬ暑さが続いています。しんどい……。
このふたつは特に正調名古屋甚句の基軸となる存在です。
違った魅力が見えてくる!歌から町を知る楽しさ
”尾張大納言”と“花の名古屋”はどちらも宮の熱田の替唄。同じメロディーに違う言葉を当てはめて、これまた味わい深く仕上げています。
まずは“尾張大納言”。明治維新に伴い世界への扉が広がった当時の日本。博覧会のために名古屋城の金鯱(しゃち)が各地へと行脚し、二匹が別々の日々を送る羽目になった悲哀を描いています。心中と真鍮(しんちゅう)を掛けた言い回しは、まさに日本語の妙ですね。
そして“花の名古屋”。当時の繁華街としての興隆(こうりゅう)を歌っています。現在の本町通りを名古屋城から南に下っていく流れですが、この辺りは学生時代の僕の通学路でもあり、慣れ親しんだ景色の昔に思いを馳せる、そんな特別な感覚に。
最後には、後から追加されたという“名古屋名物”。名古屋弁満載で生粋の名古屋人である僕でさえ、正しく読解・発音ができるか怪しいほどの古き良きコッテコテのさわぎ唄です。そんな調子で浮気者の旦那を詰める内容をコミカルかつポップに歌います。

時を超え、大須観音裏にて
名古屋甚句は1800年代前半にはすでに歌われていたと、十返舎一九の『東海道中膝栗毛補遺』に書かれています。その後、一度は廃れるも、明治初期に再び盛り上がりを見せ、明治期には ”芸者殺すには刃物はいらぬ、甚句止めれば皆殺し” という言葉が出現するほどの流行ぶりだったそうです。福田屋の芸者、甚鍵(じんかぎ)が名手として評判を呼んだことが大きな原動力となりました。そんな甚鍵の芸の系譜とフォーマットを正調名古屋甚句と呼び、それを今日も守っているのが小真先生(甚 富生)なのです。

現在観光地としても人気の大須観音、その裏にかつて存在した花街北野新地から正調名古屋甚句は歌い出されたとされます。今回取材に伺ったお稽古場は、まさにその場そのものと言っても過言ではない立地。甚鍵が明治期に歌っていた地で、150年の時を経て今も芸が繋がっている……これぞロマンであり、愛であると言えるでしょう。
恋が甚句をブラッシュアップ
ところで甚句と聞くと、真っ先に思い出すのは相撲甚句だという方も多いのではないでしょうか。実は相撲甚句と正調名古屋甚句にも、並々ならぬ縁があるのだとか。
「かつて巡業で大須の地に来た力士と甚鍵さんが恋仲になったそうです。蜜月のふたりが、互いの歌の良いところを吸収し合って、双方の甚句が磨かれたという話もあります。それどころか甚鍵さんも最初は“相撲甚句の甚鍵”で売り出していた時期もあるんだとか。とにかく互いに影響を与え合ったということですね」と小真先生。
なんとも素敵な話で、思わずときめいてしまいました。現代まで歌い継がれるふたつの甚句。もしそこにラブロマンスが無かったなら、今とは違った形の仕上がりになっていたかもしれませんね。もちろん当時のふたりはそんなことを知る由も無いわけですが。そう考えると我々の何気ない毎日も、文化の未来を知らず知らず作っているのかも……。
「町を知るための方法といえば本を読んだり、その場所を訪ねたり、いろいろありますけど、歌を通じて知るのも大事だと思うんです。伝統芸能を通じて、町の過去も現在も知っていくのは楽しいなと感じます。実際に、土地の歌を聴きたいとおっしゃる他エリアの方も多いんですよ」と小真先生。

歴史ある正調名古屋甚句を通じて、かつての名古屋を感じること。歌だからこそ宿る温度や匂いが確かにあって、当時の人々や町の営みが目に浮かぶような気分になります。それはただの時間旅行にとどまらず、過去を感じるからこそ、時が流れても変わらない人や町の芯みたいなものにも気付けるのではないでしょうか。
「40年ほど前は酒宴の席などで時折唄われる程度になっていたため、母である華房流宗家・華房真子(甚富華)がこれではいけないという思いから、『正調名古屋甚句を拡める会』を立ち上げました。今は子供達にも教えていますが、とても楽しんで唄ってくれています。そうして唄っているうちに彼らの中に文化や伝統への自負が生まれてくるのがわかります。その自負が文化を絶やさず守る土壌になると思うんです」。

最後に
名古屋にルーツを持つ都々逸と正調名古屋甚句。かたやアドリブ性すら兼ね備えた自由な庶民の楽しみになり、もう一方は組曲になった甚句界でもとびきりアーバンな存在です。性質を異にする古典音楽を醸す土壌が名古屋という町にはあったんだと誇らしくなりました。そしてそれらを小真先生のように、未来へ歌い繋ぐ方がいることは実に心強いことです。共通点はどちらも流行歌だったということ。だからこそ古典と聞いても難しく捉えすぎず、色んな人に触れてもらいたいと強く願っています。どえらい面白い文化だでよ!

華房 小真(甚 富生/じん とみお)
端唄 華房流 華の会 家元・甚富華と正調名古屋甚句を拡める会 副代表・小唄松峰派師範 松峰照美 端唄・小唄・三味線・名古屋伝統音楽(甚句、都々逸)の演奏家として舞台・テレビなどに多数出演。
日本小唄連盟「若樹賞」、日本伝統文化振興財団ビクター「市丸賞」受賞。
NHK文化センター講師、金城学院大学 非常勤講師、椙山女学園大学の外部講師をつとめ、多くの人に日本文化の楽しさと素晴らしさを伝えるために精力的に活動中。
取材・構成:黒田直美
Photo:松井なおみ
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