第十六回「オーケストラと歌う」 文 坂東玉三郎

「15年ほど前から時々コンサートを開いて歌ってきましたが、今年3月にオーケストラと歌わせていただいたこと、自分自身には非常に大きな出来事でした」玉三郎
私が生まれた1950年から1980年頃までは、アメリカン・スタンダード、シャンソン、カンツォーネ、そして、Jポップなどの名曲が常に身の回りに聴こえていました。それが今の私の音楽の基礎となっているのかも知れません。
これまでも、様々な歌が歌い継がれてきましたが、よく考えていきますと、民謡や農作の為の歌、讃美歌やゴスペル、そして現代の流行歌に繫がっているのでしょうか。歌は3分から4分の短い時間で完結できる素晴らしい世界です。エディット・ピアフ。ナット・キング・コール。トニー・ベネット。素晴らしい歌手たちが時代によって人々の心を慰めてきました。ナット・キング・コールは当時大ヒットを出してきた名歌手です。ナット・キングの売り上げでラスベガスにビルが建ったといわれ、そのビルは「ナット・キング・コール・ビル」と命名されているくらいです。またエディット・ピアフは、パリの時代を牽引(けんいん)してきた歌手で、多くの後輩も育てました。イヴ・モンタン、シャルル・アズナヴール、シャルル・デュモン。そしてあのビリー・ホリデイはアメリカの人種差別問題を歌で訴えもしたのです。歌が時代も世の中も人間をも引っ張ってきました。そしてピーター・ポール&マリーの反戦歌。
昔の日本も歌謡界の皆さんの歌を聞いていて様々なことが懐かしく思い出されます。北海道から東京に出てこられた「三橋美智也(みはしみちや)さん」の歌。「江利(えり)チエミさん」の歌。「弘田三枝子(ひろたみえこ)さん」の歌。歌の心を観客に届けることがどんなことなのかと考えさせられるのです。江利チエミさんや弘田三枝子さんはアメリカ人の中で歌ってこられてきた方だとも聞きました。英語の発音をしてきたことで、喉(のど)が英語の発音になり、それが身について、日本語でありながらも、あのような外国の歌が歌えるということを今になって想像できるのです。三橋美智也さんは北海道の出身で、子供の頃から民謡の修行をされて幼い頃から「神童」と言われていたそうです。民謡で鍛えられた声帯で、ヒット曲の数々を歌ってこられました。「達者(たっしゃ)でナ」「リンゴ村から」「古城(こじょう)」。三橋先生が亡くなってから奇遇な事に、三橋先生の形見として腕時計と指輪が私のところに巡ってきたのです。指輪にはエメラルドが入っていまして、エメラルドは偶然にも私の誕生石なのでした。私が歌う時はそれを私も身につけて心強くなれるように願いながら舞台に立つのです。
「エメラルドは偶然にも私の誕生石。私が歌う時はそれを身につけて心強くなれるように願いながら舞台に立つのです」玉三郎

「歌は人間の魂の澱(おり)を洗い流すことにも繫がるのでしょう」玉三郎
歌舞伎の中では、「越中(えっちゅう)おわら節」や「三曲琴責(さんきょくことぜめ)」の場面で歌うことはあったのですが、西洋音楽の中の歌として私が皆様の前で歌うとは考えもつかないことでした。歌を御披露するからには専門的な勉強をしなければなりません。そして、歌うということを考えれば考えるほど、難しいものだということもわかってくるのです。今まで私がやって来たことは、役者として、いただいた脚本に魂を入れて、様々な情景を頭に思い浮ばせながら台詞(せりふ)を喋ることでした。その思いが今の自分の歌に繫がっているように思います。
歌は人間の魂の澱(おり)を洗い流すことにも繫がるのです。皆様の前で歌を披露する時は「出来るだけ客観性を失わないように、歌が自分から少し離れて、語り部となるように」と心がけてきました。
私は15年ほど前から時々コンサートを開いて歌ってきましたが、今年の3月のすみだトリフォニーホールでオーケストラと歌わせていただいたことが、自分自身には非常に大きな出来事でした。歌舞伎舞踊の道成寺(どうじょうじ)などでは30人ほどの演奏家の方々と20人ほどの所化(しょけ)の方に支えられて、真ん中で一人で踊るのですが、オーケストラの皆さんが後ろに居てくださっていながら、舞台上でひとりで歌うことと、道成寺の舞台の大きさが、よく似ていることを改めてすみだトリフォニーホールで感じました。

「先日、木村竜蔵さんと木村徹二さん兄弟のコンサートを開かせていただきました」玉三郎
ブルーノート、ビルボード、そしてコットンクラブなどで、お客様の近くで歌をお届けするということも独特の時空です。地歌はお座敷でお客様に歌を披露するというところから発展し、大劇場用の芸術になってきました。長唄(ながうた)も常磐津(ときわず)も清元(きよもと)も義太夫(ぎだゆう)も、今のような大劇場ではないところから始まった日本の音楽芸術です。そのようなことを考えると、皆様の心を慰められる音楽をお届けすることは、芝居でも歌でも同じだと私は感じたのです。お芝居と同じように歌を聴いていただき、この世の辛さも、楽しさも、幸せも含めて、時間の経つのもわからないような時間を皆様と共有できたらと思うのです。
先日テレビの番組で「何故(なぜ)人は歌うのか」という問題を考える内容が流れていました。そこで、大勢の人の調査から、思春期に聞いていた音楽が、その人の基本になるという結果が出ていました。先日、木村竜蔵(きむらりゅうぞう)さんと木村徹二(てつじ)さん兄弟のコンサートを開かせていただきました。1950年代あたりの音楽が多かったのです。何故そうなってしまったのか、と考えていましたが、つまり、私が生まれた、1950年代の音楽が、私の心からはなれないのだ、ということを自分なりに理解したのです。今日はそのコンサートの風景などをこのページで皆様に見ていただけましたら幸せです。

ばんどうたまさぶろう
歌舞伎の最高峰の女形、重要無形文化財保持者(人間国宝)。『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』揚巻(あげまき)、『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』阿古屋(あこや)、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』政岡(まさおか)など数々の大役を継承しつつ、歌舞伎の枠を超えた女形として世界の舞台芸術に大きな影響を与えている。8月は歌舞伎座公演、9月は博多座公演に出演予定。

