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国は力で支配することはできるが、人の心は力で支配することはできないんだ。(チンギスハン)
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Culture
2019.09.08

農耕なしの「縄文的定住スタイル」が社会持続の秘訣?縄文時代の食事・仕事・暮らし方を解説

この記事を書いた人

一万年サステイナブルの秘密①暮らし方

ではさっそく、一万年も続けることができた暮らしの秘密に迫っていきましょう。まずは縄文人の定住スタイルからです。定住なんて、現代人からしたら至極当たり前のことですが、縄文人のそれはちょっぴり違っていました。

獲物を追って場所を移動し続ける「遊動生活」というのは、今も人間以外の多くの動物たちが採用している、自然の理にかなった生活スタイルです。この方法なら、人間も有機的な自然の一部に加わり、自然がダメージを受けることはありません。しかし人類は、こともあろうか「定住」を始めてしまいました。定住という生活スタイルは、土地を平しムラを形成し、自然を人間が継続的に食糧を得られる仕様に加工する、多かれ少なかれ「反自然的な」暮らし方なのです。

しかし縄文人の定住スタイルは少し独特でした。なぜ独特なのか? それは縄文人が、自然の一部に自らを組み込みながらも、人間らしい定住生活を送ったからです。ここでは、彼らのサステイナブルな定住スタイルをご紹介します。

「縄文人の世界」春の採集より(新潟県立歴史博物館)

世界初?! 農耕なしの「縄文的定住スタイル」とは?!

一般的に、定住とは農耕の開始をもってはじまることになっています。自然を大幅に加工し、栄養価の高い穀物を集中的に生産することで、一箇所に留まっていても、一定の人口を安定的に養うことができるからです。これを「新石器革命」と言いますが、世界では約1万年前のメソポタミアがこの「革命」の先陣を切り、その後インド、ペルー、エジプト、中国が後に続きます。

紀元前1400-1352頃のエジプトの農耕 (Harvest Scenes, Tomb of Menna)

ところが日本列島ではだいぶ事情が違ったようです。縄文人は、メソポタミアで起こった世界初の「新石器革命」とちょうど同じ頃定住を始めていたにもかかわらず、農耕時代を迎えてはいなかったのです。

縄文時代、それは農耕という選択肢を選ぶことなく、1万年もの長きに渡って定住社会を実現した、世界的に見てもとても稀有な時代なのです。ではどうしてそんなことが可能だったのか? それは、この列島の豊かな自然に秘密がありました。

変化に富んだ自然に支えられた縄文人の定住生活

およそ1万年〜1万2000年前、最後の氷河期が終わると、日本列島は現在のように雨の多い温暖湿潤な気候となり、春夏秋冬がはっきりと訪れるようになります。針葉樹ばかりだった大地は常緑樹や落葉樹の美しい森に覆われ、それに伴って動物たちも小型化していきました。現在の私達にもお馴染みのイノシシや鹿が、山野を駆け回っていたことでしょう。日本列島の多種多様な生態系、世界に誇る豊かな自然環境は、縄文時代に作られたのです。

変化に富んだ自然環境は、食糧事情に余裕を与えます。そしてこれこそ、縄文的定住生活の要(かなめ)となっていくのです。春には山菜を採り、夏には魚を獲り、秋には木の実を拾い、冬には脂肪をたっぷり蓄えた獣の狩猟をする。縄文人は、豊かな自然環境の中で、季節に合わせた旬の食材を効率よくいただくことによって、自然を大幅加工することなく特定の場所に長く留まる「定住生活」を可能にしたのです。

考古学者・小林達雄氏の監修による「縄文カレンダー」(飛ノ台史跡公園博物館)

書いた人

横浜生まれ。お金を貯めては旅に出るか、半年くらい引きこもって小説を書いたり映画を撮ったりする人生。モノを持たず未来を持たない江戸町民の身軽さに激しく憧れる。趣味は苦行と瞑想と一人ダンスパーティ。尊敬する人は縄文人。縄文時代と江戸時代の長い平和(a.k.a.ヒマ)が生み出した無用の産物が、日本文化の真骨頂なのだと固く信じている。