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2020.01.19

江戸時代の節分がユニークで面白い!庶民や江戸城の風習・歴史を詳しく紹介

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節分の夜、「鬼は外、福はうち」と楽しく豆撒きした子ども時代。それが厄落としの習わしだと知ったのは大人になってからでした。「江戸ごよみ東京ぶらり如月候」では大奥の豆撒きや江戸庶民のおもしろい厄落としなど、江戸の節分風景をご紹介します。

江戸ごよみ東京ぶらり 如月候

“江戸”という切り口で東京という街をめぐる『江戸ごよみ、東京ぶらり』。江戸時代から脈々と続いてきた老舗や社寺仏閣、行事や文化など、いまの暦にあわせた江戸―東京案内。立春をすぎて気分も春めく2月。今月は、江戸の節分事情から寺社仏閣などのお話しを。2月を楽しむ東京ぶらりをご案内します。

季節をわける節目の日が「節分」

2月の行事といえば、頭に浮かぶのが「節分」ではないでしょうか。節分とは、季節をわける節目の日のこと。二十四節気で四立(しりゅう)と呼ばれる、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指します。ただ日本では、立春が一年のはじまりとして人々に尊ばれたために、次第に節分といえば立春の前日を指すようになりました。

きゃあきゃあと声が聞こえてきそうな豆撒き。冒頭にも使用。(歌川国芳『恵方果報福乃入豆』(部分)/都立中央図書館特別文庫室所蔵)

江戸時代と今の暦では、旧暦と新暦でひと月ほど差があります。私たちが使っている新暦で考えるとピンとこないかもしれませんが、旧暦の場合は正月と立春がとても近いものでした。正月のあとに節分を迎えることもありましたが、多くの年は立春のあとに正月を迎えていました(*)。節分で厄払いをして春を迎えて正月を祝う、それがひとつの流れになっていたのですね。初春や迎春という賀詞(がし*祝いの言葉)を正月に目にするのは旧暦の名残なのです。
(*旧暦である太陰太陽暦は、月の満ち欠けを基準とする暦。1年が約354日のため3年でひと月のずれが生じる)

お決まりの「鬼は外、福はうち」はsince室町時代

節分会を追儺式とも言いますが、完全に結びついたのは江戸時代のこと。もともとは別の儀式でした。平安時代の宮中行事として、大晦日の夜に旧年の病厄を祓った追儺(ついな)の儀式があり、節分の日には災害除けや長寿のための読経を執り行っていたようです。室町時代になると、節分は豆を撒いて鬼(災難)を祓い福を招き入れる風習へと発展。公家や武士だけではなく庶民にも広がっていたこと、「鬼は外、福はうち」のお決まりフレーズを当時から唱えていたことなどが、京都は相国寺の僧侶・瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の日記『臥雲日件録(うがんにっけんろく)』に綴られています。

豆撒きに大豆が主流になったのは、鬼毒を殺し痛みを止めると中国の医書に書かれていたから、また魔滅(まめ=魔を滅する)という意味がこめられていたから、など諸説あり。大豆は厄落としだけではなく、疫病払いのまじないにも使われていたそう。煎るだけで美味しく食べられるのも理由のひとつでは?と思ってみたりも。

江戸城の節分はお供え樒と胴上げが基本

江戸の年中行事を記した天保9(1838)年刊『東都歳事記』、先に述べたように節分は12月に記されています。同書には「どこの家でも煎り豆を撒いて、柊と鰯の頭を外に飾る。豆を撒く男を年男と呼ぶ」とあります。また「煎り豆を自分の年齢の数にひとつ多く数えて食べる」ともあり、今と変わりなかったことがわかります。

ところ変わって江戸城、大奥の節分はちょっと変わった趣向で楽しまれていたようです。大奥では、豆を撒く年男は留守居(るすい)という高齢の男性役人でした。豆を撒き終ったあとには、恒例行事として女中たちが年男を胴上げしたそう。普段は男子禁制の大奥ですから、大いに盛り上がったことでしょう。毎年のこととは言え、抱えられておたおたする留守居や楽しげな女中たちの姿が目に浮かびます。

ちなみに徳川幕府では、柊は使わず仏前に備える樒(しきみ)を飾りました。なぜ樒を飾ったのか?そのわけは元亀3(1573)年の三方ヶ原の戦いにまで遡ります。この戦いで武田信玄を迎え撃った徳川家康は大敗を喫します。浜松城へと逃げ込み籠城中に節分を迎えますが、柊を取り寄せるような余裕もなく樒で間に合わせることに。しかしなぜか信玄は家康を追い詰めることなく引き上げ、すぐに病死をしてしまう。そして跡を継いだ武田勝頼との長篠の戦いで勝利を収めた家康。ここから家康の運が上昇していきます。そんな開運の縁起をかついで、徳川家では節分には樒を飾るようになりました。

江戸時代の歌舞伎役者、七代目市川団十郎の豆撒き。成田屋お家芸の睨みに鬼もすぐさま退散!(歌川豊国『初代豊国錦絵帖』の三枚物(中央/国立国会図書館デジタルコレクション)

江戸庶民は身につけた褌落として厄落とし

その一方で江戸庶民の節分といえば、ちょっと驚きの風習も。それは節分の夜、誰にも知られぬように四辻に褌(ふんどし)を落とすと厄災からまぬがれるというもの。「ふんどしをわざわざ落とす節変わり」、「年男帯から下で精進し」などの句も残されています。それも身に着けたものを落としていたそうで、ひどく寒い時期でもありスースーしたのでは?と余計な心配をしてしまいます。また翌朝、誰のものかわからぬ使用後の褌を片付けるなんて……、それを厄災とよばずして何と呼ぶのやら。ちなみに、この風習は京の都から伝わったとか。

俳人・正岡子規は著書『墨汁一滴』にて、生まれ育った愛媛の節分をこんな風に書き残しています。「節分の夜は、四辻に汚い褌、焙烙(ほうろく)、火吹き竹など捨てるものがいる。褌を捨てるのは、厄年の男女で厄を落とす意味があるとか」。調べてみると、節分の夜に誰にも見られぬように四辻にモノを落とす、という厄落としの風習は今でもいたるところで行われています。年の数だけ包んだ豆、餅や金銭に、今でもまだ褌、さらには靴まで、落とす“厄”はさまざま。令和になってもきっと褌の厄落としは日本のどこかで受け継がれていくのでしょうね。

令和初の追儺式・節分会では鬼様にご挨拶を

『東都歳事記』では、追儺・節分会を執り行う寺社として亀戸天満宮、神田社(神田明神のこと)、浅草寺観音などを紹介しています。浅草寺の節分会については、豆とともに節分祈祷の守り札を撒いたようで、ご利益のある守り札を拾うために多くの江戸市民で混雑した様子が描かれています。

亀戸天満宮追儺式での神楽。神主が鬼問答をして弊杖で鬼を打ち払って厄を払う。(東都歳事記/国立国会図書館デジタルコレクション)

浅草寺の節分会。節分祈願の守り札を手に入れようと右往左往。(『江戸名所図会』/国立国会図書館デジタルコレクション)

令和の東京でも多くの寺社仏閣で節分祭が開かれます。芸能人やスポーツ選手、力士などが年男や年女に扮し華やかに豆撒きをする寺、神官が鬼と問答をする「鬼問答」神楽が楽しい神社、とさまざまな節分祭があります。私のおすすめは新宿・花園神社の節分祭・追儺式のお神楽です。悪者だけど憎めない青鬼や赤鬼と神官の「鬼問答」がおかしみを誘い、最後には福々しい恵比寿様と大黒様が登場するので観ていて幸せな気持ちになるのです。令和時代、最初の節分です。多くの寺社では一日に数回ほど豆撒きを行っているので、お出掛けついでに鬼様に会いに行ってくださいね。

なんだか憎めない鬼たちなので、思わず「鬼様がんばれ!」と言いたくなってしまう「鬼問答」。新宿・花園神社の節分祭・追儺式。写真提供/花園神社

おまけ二十四節気、2月は立春と雨水

最後に江戸市民の暮らしに寄り添っていた暦・二十四節気(にじゅうしせっき)についてもご案内を。2020年の如月こと、2月の二十四節気は2月4日の「立春(りっしゅん)」と2月19日の「雨水(うすい)」です。

4日の「立春」は、春のはじまりを告げる暦。この前日が節分であるように、暦の節目。まだまだ寒さ厳しいものの、この日を迎えるとなんとなく春めいた気分に。立春を過ぎてから初めて吹く強い南風のことを「春一番」と言います。どんなに寒くても立春を過ぎればショーウィンドウはすでに春まっさかり。厚いコートを着ていてもどこかに春らしいアイテムをとり入れたくなるものです。19日の「雨水」は、降っていた雪から雨へと変わり、今まで積もっていた雪も溶け出すころ。農家などでは、田畑の準備をはじめる目安ともされてきました。

「福はうち!」ではじまる2月、春がそこまで来ています。

江戸的に楽しむ2月の東京案内

江戸の年中行事を綴った『東都歳事記』に掲載されている歴史ある寺社仏閣の節分祭をのぞいてみませんか。

浅草寺
東京都台東区浅草2-3-1
http://www.senso-ji.jp/

神田明神
東京都千代田区外神田2-16-2
https://www.kandamyoujin.or.jp

亀戸天満宮
東京都江東区亀戸3-6-1
http://kameidotenjin.or.jp/

雑司ヶ谷鬼子母神
東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20
https://www.kishimojin.jp/

私のおすすめ!「鬼問答」の神楽が最高!
花園神社
東京都新宿区新宿5-17-3
http://www.hanazono-jinja.or.jp

*詳細はwebにてご確認ください

書いた人

和樂江戸部部長(部員数ゼロ?)。江戸な老舗と道具で現代とつなぐ「江戸な日用品」(平凡社)を出版したことがきっかけとなり、老舗や職人、東京の手仕事や道具や菓子などを追求中。相撲、寄席、和菓子、酒場がご贔屓。茶道初心者。著書の台湾版が出たため台湾に留学をしたものの、中国語で江戸愛を語るにはまだ遠い。