少子化に直面したのは、現代の私たちだけではない。徳川将軍家もお家存続の危機に見舞われ、たくさんの子をもうける必要があったのだ。
そんな中、群を抜いて多くの子どもをもうけたのが、11代将軍・徳川家斉(いえなり)である。たくさんの女性に囲まれなんとも羨ましい話のようにも感じるが、将軍家存続のため、地道な精力増強の努力もしていたようだ。
そんな家斉の性事情や精力アップの秘訣を包み隠さず紹介しよう。
養子の家斉にかかる子づくりの重責
まずは11代将軍・徳川家斉について簡単に紹介しよう。家斉は、10代将軍・徳川家治の養子である。家治の世嗣だった徳川家基がわずか16才で急死してしまい、他に適した男児が家治の周囲にはいなかったためだ。
映画や漫画などで華やかな世界が描かれる「大奥」には、さぞかしたくさんの女性が控え、どの将軍も子だくさんなのかと思いきや、実は将軍家もたびたびお家存続の危機に見舞われている。
自身も養子だった家斉は、なんとか子どもをたくさんつくって徳川家を存続させる責任があったのだ。
側室は20人以上!合計53人の子をもうける
正室広大院を筆頭に、家斉には20人以上の側室がいたそうだ。側室として名も残らない”お手付き”の女性を含めると、その数は40人以上にも上ると言われている。
彼女たちが産んだのは、男子26人・女子27人の合計53人の子どもたち。ただし当時は乳幼児の死亡率が非常に高く、その中でも成人したのは約半分の28人。江戸時代ではトップクラスの環境にいた将軍家の子どもたちでさえ、大人になるまで成長するのは難しかったのだ。
このことから、いかにお家存続が難しいことだったかが理解できるだろう。
現代人も真似できる、家斉流「精力アップ法」
家斉には17才から55才までの間、ほぼ毎年コンスタントに子どもが生まれている。青年期はともかく、平均寿命が30~40才前後だったとされる江戸時代において、55才まで子づくりをする精力は群を抜いている。
そんな精力も将軍として君臨する家斉の、私たちでも真似できる精力アップ方法をご紹介しよう。
1.早起き
早寝早起きは健康の基本。家斉は鶏の鳴き声とともに起床するほどの早起きだった。
2.運動
早起きの後は広大な庭園をウォーキング。健康には、こういった日頃の努力の積み重ねが欠かせない。他にも鷹狩など激しめの運動もこなし、体力や筋力も蓄えていた。
3.薄着
どこの小学校にもいた、真冬でもなぜか半袖半ズボンの男の子。家斉も真冬を薄着で過ごし、部屋にあった炬燵(こたつ)にも入らなかったらしい。
4.食事(家斉も蘇を食べていた!?)
家斉は健康のために「白牛酪(はくぎゅうらく)」という、牛乳と砂糖でできたチーズのようなものを食べていたそうだ。これは、今にわかに注目を集めている平安時代の食べ物「蘇(そ)」と同じように、牛乳と砂糖を煮詰めて塊状にしたもの。家斉はこの健康法を『白牛酪考』という書物に書かせている。実際に53人もの子が生まれているのだから、その効果はお墨付きだ。
また、こちらは私たちが真似できることではないが、家斉は精力アップのために「オットセイの陰茎の粉末」を飲んでいたとも言われている。
将軍といえども、日々の努力が精功の秘訣
「自分も殿様になってみたいな~」なんて夢見た男性も多いだろうが、トップに立つものこそコツコツ努力をしているものだ。それが”精活”のためにも行われていたとは、驚いた男性も多いだろう。
あまり堂々と語られることはないが、子づくりは将軍の重要な責務だった。毎日の政治に加え、性事まで気を抜けない将軍の苦労が思いやられる。
※アイキャッチ画像:『千代田之大奥 婚礼』著者:楊洲周延 国立国会デジタルコレクションより