当時としては珍しく、豊臣秀吉と妻の「おね」は恋愛結婚でした。おねは身分の低かった秀吉を天下人へと導いた立役者。しかし、権力を手に入れた秀吉は浮気三昧の日々……。怒ったおねは、秀吉の上司である織田信長に苦情を申し入れました。
そんなおねの怒りを鎮めるために、信長がおねに送った手紙がかっこよすぎるんです!信長の手紙はほとんど現存していないため、その内容は信長の人柄を探る貴重な資料。どんなことが書かれているのか、さっそく見ていきましょう!
秀吉の正妻、「おね」ってどんな女性?
天下統一を成し遂げた男の正妻は、どのような女性なのでしょうか。
秀吉の正妻「おね」は、大河ドラマなどでは北政所(きたのまんどころ)と呼ばれることが多く、この他に「ねね」や「ねい」という名だったという説があるほか、高台院湖月心公(こうだいいんこげつしんこう)という法名で呼ばれることもあります。
おねは杉原定利と朝日殿の次女として、現在の愛知県清須市に生まれました。結婚当初は秀吉の方が身分が低かったため、朝日殿は結婚に猛反対。それでも質素な結婚式を挙げ愛を誓い合います。後におねは関白豊臣秀吉の正室として従一位に叙せられ、朝廷との交渉役を担うなど、夫の秀吉を支えて政治力を発揮しました。
夫婦喧嘩の仲裁も天下一品!信長の送った手紙の内容
おねは、夫秀吉の上司である信長に挨拶に出向きます。そこでどのようなやり取りがあったかはわかりませんが、どうやらおねは、側室に入れあげている秀吉の文句を信長に言ったようです。現代でも上司に夫の愚痴を言うのは憚られますが、そんなことを信長に堂々と言えたおねの力の強さが垣間見えるエピソードです。
それに対して信長は、このような手紙をおねに送りました。
※ごく簡潔に意訳しています。
この間は挨拶に来てくれてありがとう。頂いたお土産は大変美しく見事なものでした。
以前会った時より、あなたもずっと美しくなっていましたね。藤吉郎(秀吉のこと)が、そんなあなたに不足があると言っているようですが、とんでもないことです。
どこを訪ねても、あのハゲねずみ(秀吉のこと)にあなた以上の女性は見つからないでしょう。これからは、正室らしく堂々として嫉妬などなさらないように。
ただし、女として言いたいことがある時は、言いたいことを全て言うのではなく上手に扱いなさい。この手紙は羽柴(秀吉のこと)にも見せるように。
残忍で冷酷なイメージのある信長ですが、このような紳士的な手紙を送っていたようです。部下の夫婦喧嘩を上手にとりなす術も身に着けていたとは、人の上に立つ男は何もかもデキるんだなぁと感心してしまいます。それに「この前よりキレイになってる」なんて言われたら、女性なら誰でも嬉しくなってしまうはず。
夫婦喧嘩に「天下布武」!
先ほどの手紙には、信長の「天下布武」の印章が捺されていました。印章は、信長の意思によって書かれた正式な文書に捺されるものです。
単なる夫婦喧嘩仲裁の手紙を「天下布武」とすることで、おねが秀吉に見せやすくしたのかもしれませんし、夫婦の揉め事が仕事に与える影響力を懸念してのことだったのかもしれません。もしくは信長のユーモアか……。
いずれにせよ、信長が女性の微妙な心まで把握しているのが恐ろしいところです。