Fashion&きもの

2024.03.15

傾城と清姫の真心と執着。歌舞伎俳優の中村雀右衛門さんが語る、あの時あの舞台の“こしらえ”

歌舞伎では、衣裳や鬘(かつら)、小道具を身に着けた役の扮装を「拵え(こしらえ)」と言います。役により印象がガラリと変わり、様々な表情をみせる歌舞伎俳優の皆さんに思い出の拵えや気分がアガる衣裳、そのエピソードを伺います。 第8回は今の歌舞伎界を支える立女方(たておやま)のひとり、五代目中村雀右衛門さんです。品のある艶と可憐さは、今年十三回忌を迎える父で人間国宝の四代目雀右衛門ゆずり。先代の追善狂言として『傾城道成寺(けいせいどうじょうじ)』という少し変わった道成寺物を上演中です。傾城への思い、道成寺物への思いを聞きました。

五代目 中村雀右衛門(なかむら・じゃくえもん)

屋号は京屋(きょうや)。1961年2月歌舞伎座『一口剣』の村の子広松で大谷広松を名のり初舞台。1964年9月歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』のおひろで七代目中村芝雀を襲名。2016年3月歌舞伎座より五代目中村雀右衛門を襲名。父は人間国宝の四代目中村雀右衛門。兄は八代目大谷友右衛門。愛犬家。

真心を尽くすことで傾城の芯の強さを

「お客様にご覧いただくにも自分で着るのにも、女方ならば傾城の衣裳がやはり印象深いものです。『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)』の八ツ橋や『寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)』の大磯虎(おおいそのとら)など重要なお役も多いですね」

傾城とは最高位の遊女のこと。

一国の君主をも魅了し、城が傾くほど寵愛されるような美女に由来した呼び名です。数々つとめてきた傾城役の中から、雀右衛門さんは『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』の三浦屋揚巻の拵えをご紹介くださいました。

2017年3月歌舞伎座『助六由縁江戸桜』三浦屋揚巻=中村雀右衛門

金糸や銀糸をふんだんに使った大変豪華な衣裳です。黒塗りの高下駄をはき、外八文字と呼ばれる独特の歩き方で花道より登場します。

「揚巻は、出のたびに五節句にちなんだ衣裳に変わるのが特徴ですね。前に抱えるような大きな帯は、俎板帯(まないたおび)と呼ばれるものです。花道の出では俎板帯に『端午の節句』の鯉の飾りがついています。掛け(かけ。打掛)は二枚重ねで、一枚目の背中にはお正月飾りがついているんです」

一枚目を脱ぐと、弥生の節句にちなんだデザインの掛けに。2017年3月歌舞伎座『助六由縁江戸桜』三浦屋揚巻=中村雀右衛門

「二度目の出では『七夕の節句』の短冊がモチーフの俎板帯。この時に着る掛けは、揚巻をつとめる役者がそれぞれの家で用意します。私は父と同じものを使わせていただきました。父が初めて揚巻をつとめた時に、親交のあった日本画家の片岡球子(たまこ)先生が描いてくださったものです」

白金や金泥を用いて、富士山と松竹梅が大胆に描かれています。富士山は、片岡が終生好んで取り組んだ画題でした。

「富士に松竹梅」の掛け。2017年3月歌舞伎座『助六由縁江戸桜』三浦屋揚巻=中村雀右衛門

左手奥が片岡球子の筆による『助六』揚巻の打掛。右手は日本刺繍の紅会から四代目雀右衛門に贈られた打掛。舞踊『切支丹道成寺』で着用された。2016年東京・松屋銀座。五代目中村雀右衛門襲名記念企画「四代目から五代目へ ―想い出の品々―」展

雀右衛門さんの父・四代目中村雀右衛門は、戦前は立役を中心に舞台に立ちました。二十歳で召集され6年。1945(昭和20)年にスマトラで終戦を迎えました。帰国後は紆余曲折あり銀幕のスターとなり、27歳で関西歌舞伎にて女方の道に。

「父は『女方の修業に入ったのが人よりも遅いから何倍も努力しなくちゃいけない』と始終言っておりました。普段はレイバンのサングラスに革ジャン革パンでオートバイに乗る人でしたが、舞台ではチャーミングで色っぽい。美意識が強く感性も豊かな人で、晩年も綺麗なお役、若いお役を中心に勤めました。老け役はやりませんでした」

“見た目は傾城、心は貞女”。
先代が、傾城を勤めるときの心構えのひとつとして語った言葉です。

「姿を見た時の印象に色気がなくてはいけません。けれども歌舞伎の主役として描かれる傾城は、たいてい相方(恋人)がいて誠意を尽くす貞女です。真心を尽くすことによって、傾城というものの芯の強さを表現できるのかもしれません」

傾城、実は清姫の『傾城道成寺』

2024年3月、雀右衛門さんは歌舞伎座で『傾城道成寺』に出演されています。紀州・道成寺に伝わる安珍・清姫(あんちん・きよひめ)伝説を題材にした「道成寺物」と呼ばれるジャンルの作品です。

「父は生前、道成寺物を大切にしておりました。道成寺物の中では『京鹿子娘道成寺』が有名ですが、他にも様々あります。『豊後(ぶんご)道成寺』『男女(めおと)道成寺』『二人(ににん)道成寺』『現在(げんざい)道成寺』、珍しいところでは『切支丹(きりしたん)道成寺』など精力的に勤めておりました」

『安珍・清姫伝説』とは?
紀州道成寺にまつわる伝説です。安珍という僧が、一夜の宿を求めてある家にやってきました。その家の娘・清姫は安珍に一目惚れし、その晩、安珍のもとに忍んで言い寄ります。安珍は熊野大社へ参拝の道中だから帰りに迎えにくる、とその場をおさめます。しかし約束は守られませんでした。清姫は裏切られたのだと怒りに燃え、安珍を追いかけます。ついには蛇体となって道成寺まで追い詰めると、安珍が逃げ込んだお寺の鐘に巻きつき、鐘ごと安珍を焼き尽くしました。

『傾城道成寺』には、『娘道成寺』よりも古い歴史があります。

本作では清姫の霊が、傾城清川(きよかわ)の姿で現れます。安珍は、実は平維盛(これもり)です。維盛が安珍として出家しようというタイミングで、かつて深い仲だった傾城清川が突如やってくるのです。

振付は藤間勘祖、藤間勘十郎。今回は勘十郎による新たな構成でより華やかな舞台に。

清川の登場は花道のスッポン※から。

「役の気持ちとしては傾城清川です。しかし“スッポンから出てくる者はこの世の者ではない”という歌舞伎の約束事があります。傾城として相手を思う気持ちを大切に、安珍を見定めてからは清姫の本性、安珍への恨みが出るように。そして歌舞伎らしく、ぶっかえり(一瞬で衣裳が変わる演出)で姿を変えて思いを爆発させます」

※小型のセリ。花道の舞台寄り、七三と呼ばれる位置にある


傾城の艶麗(えんれい)さと清姫の霊の恨みが凝縮した凄みが混じり合い、そこに雀右衛門さんだからこその可憐さが加わります。花道で目線を上げた時には、おどろおどろしい下座音楽(げざおんがく)が鳴っているにもかかわらず不思議な美しさ。客席にはうっとりとした、ため息が広がりました。

「最後は高僧を相手に立ち向かいますが、力を奪われてしまいます。安珍を思う気持ちはまだあるのでしょうが、清姫はスッポンに消えて、向こうの世の中へ戻っていきます」

“安珍を思う気持ち”という言葉にするとハートウォーミングな響きもありますが、伝説の清姫は、気持ちが強すぎるあまり蛇体となっています。

「清姫の思いは安珍への恨み。安珍への執着でしょうね。それは思いが強いからこそでもあるのかな、という気もします。普段の生活でも未練を断ち切れる人もいれば、断ち切れずに引きずってしまう人もいます。人により差はありますが、執着心は誰にでもあるものだと思います」

2024年3月歌舞伎座『傾城道成寺』。

雀右衛門さんの執着は?

雀右衛門さんにも「執着」するものがあるのでしょうか、とお聞きすると、「強い思いがあるのは犬。とにかく可愛いんですよ」と声を弾ませます。3匹のブリュッセル・グリフォン、ちゅらちゃん、くくるちゃん、ポパイちゃんのことです。

「先日ポパイが緊急手術をしたんです。あと少し遅かったら……というところで一命は取り留めたものの大きな病気が見つかりました。余命はそう長くはないと知り、辛かったですしがっくりしてしまいました。強い思いがあり離れがたい、執着といえるものかもしれません。けれども当然、いつか別れはくるものです。その時までをどれだけ価値あるものにできるかを今は考えています。彼は精一杯生きてくれて、なんとか8歳の誕生日を迎えることもできました。もしあの時、手術が遅れて急に別れがきていたら、このような思いで過ごすことはできなかったでしょう」

雀右衛門さんとちゅらちゃん、ポパイちゃん、くくるちゃん。(ご本人提供写真)

清姫も不意打ちの別れでなければ、幾分救いがあったかもしれません。

「別れの時間があるというのは大事なことですね。いってしまう先方に、安らかに成仏していただくための大切な時間であり、それと同じくらい残された人たちの心を安らかにするためにも大事な時間でもあるのだろうという気がします。心安らかであり続けたいですね」

可憐な中に芯を感じさせる女方。歌舞伎の娘役の独特の台詞「びびびびび~!」は悪態をつくときの言葉でありながら、雀右衛門さんが口にすれば当代随一の愛らしさ。これからも可憐で愛らしい女方の道を進まれるに違いありません。

「父はまさに、生涯そこを追求しておりました。まだまだ足元にも及びませんが、自分もそれを大事にと思っています。ただ私は世話物の女房役や、もう少ししたら老け役なども興味があるんです。憎々しいお役の時に“可愛かった”とご感想をいただきアレ?となったこともありますが(笑)、お客様にはアレ?と思われない役作りで色々な舞台に立つことができれば。それは役者として幸せなことだなと思います」

公演情報

三月大歌舞伎
2024年3月3日(日)~26日(火)
会場:歌舞伎座
昼の部 午前11時~
夜の部 午後4時15分~
【休演】11日(月)、18日(月)

※雀右衛門さんは昼の部『傾城道成寺』、夜の部『伊勢音頭恋寝刃』に出演されます。

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塚田史香

ライター・フォトグラファー。好きな場所は、自宅、劇場、美術館。写真も撮ります。よく行く劇場は歌舞伎座です。
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和樂web編集部

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