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Fashion&きもの

2025.07.04

「あなたの着付けはおもしろくないのよ」。考え方を変えてくれた恩師のこと【和を装い、日々を纏う。】10

着物家として活動する伊藤仁美さん。京都の禅寺、両足院に生まれ育ち、現在は着物を通して日本の美意識の価値を紐解き、未来へとつないでいくことをテーマに講演やイベント出演など幅広く活躍しています。この連載ではこれまでの彼女の歩みや日々纏う着物の魅力について語って頂きます。

前回までの連載はこちらからご覧ください

自然で、たおやかな着物姿

今日は修行時代のお話をさせていただきたいと思います。

20代の後半、実家のタンスを開けた時に着物の美しさに魅了された私は、自分が着物を着ることができないことに疑問を感じ、「どうしても着物が着れるようになりたい」と思い、着付け教室に通うことを決意します。

はじめに、西陣和装学院という京都の着物教室に通い4年間ほど基礎を学んだのですが、そこからさらに専門的な技術や知識を学ぶために、ある先生を紹介していただきました。

その先生との出会いが、いまの私をつくったと言っても過言ではないほど、運命的なものでした。

教室のドアを開けた瞬間、その先生は部屋の奥に正座しておられました。そこからすっと立ってこちらにいらっしゃったのですが、その姿はまるで後光が差しているかのように私には見えました。見たこともないような美しい、自然で、たおやかな着姿。けれども少し眼光は鋭く、色白な肌に、真っ赤な口紅を引いておられて、黒髪の美しさがいまでも強くまぶたに焼き付いています。

「この先生のそばで学びたい」。着物はもちろん、この先生の生き方と美意識に触れたい、と猛烈に思いました。

先生は、1年を通して365日着物姿に日本髪。その教室は、朝から晩までずっといてもいいという教室で、私はそこに4年間、週3回から4回ほど通い続けましたが、たまに私たちがご飯をみんなで食べているときでも、先生の着物や髪が乱れているというところは見たことがありませんでした。

お稽古では毎回7時間ぐらい、先生と一緒にお食事までさせてもらいましたが、一日を通して常にみっちりお稽古してくださいました。当時すでに80代でいらっしゃいましたが、「女性」としての振る舞いを忘れない方でした。

「非の打ち所がないけれど」

先生に学んだことは数限りありませんが、中でも印象的だったことがあります。ある程度着付けを習った後で、「試験」がありました。それまで学んだことの集大成として、一定の時間内にモデルさんに着付けをするというもので、私は全ての技術をそこに投影しました。

時間もぴったり収まり、着物も左右対象に、自分でも本当に綺麗に着せられたと感じ、自信満々に「先生、お願いします」と言いました。

すると先生は、「非の打ち所がない着付けです」とおっしゃいました。「だけどね、綺麗だけれど、あなたの着付けはおもしろくないのよ」と言われました。私は自信に満ちていたこともあり、頭をぶたれたような大きな衝撃を感じました。

先生は続けて、このようにおっしゃいました。「皺一つなく、左右対称に本当に綺麗に着せているけども、その着せてる人をよく見ましたか?」

もっとよく見なさい。その人だけの美しさを表現できるようになりなさい。それが着付けの面白さだと話してくださいました。

その言葉で、私の「美の基準」が変わったように思います。左右対象に、教科書のように綺麗に着せていくのではなくて、その人をよく見て、その人にしかない美しさってなんなんだろうと考えること。平面の布の角度や力の入れ具合で表現していく。曲線と直線のバランスの中で、自分自身の技術で着せていく。そう考えて取り組んでみると、着付けがそれまで以上に、はるかに面白く感じました。

この仕事をしていて良かったと感じた出来事

そのようにしてその後も先生のもとで技術を磨いていたある時、まさに教えを実行する出来事が起こります。

当時私は結婚式場で留袖などの着付けの仕事をしていて、毎回20人くらいに着付けをしていたのですが、あるとき、車椅子に乗った高齢の女性がいらっしゃいました。背中が曲がったおばあさまでした。その女性が、「私はもうこんな背中も曲がってしまってるし、一応着付けは頼んだけれど、着れないわよね」と、すごく悲しそうな目をしておっしゃいました。

「いえ、大丈夫です。私に任せてください」と、私は即答しました。「ご親族の方にお手伝いはしていただきたいのですが、必ず留袖をお着せして、お孫さんの結婚式に出ていただけるようにします」と。

「そんなことができるの?」と驚くその女性の肌着と長襦袢、お着物を、それぞれすっと体に滑らすようにして、ご親族の方に抱えていただいてお尻の下に通していきました。帯などは車椅子に座っていただいたままで結んでいきました。

「いつもの姿勢でいてくださいね」。前屈みで腰が曲がっていらっしゃいましたが、着付けの時だけまっすぐな姿勢で着せても苦しさを感じますし、元に戻った時に着崩れにつながります。だからその方の自然な格好そのままに、生地や紐を纏わせていきました。

帯も丸い背中に沿うように、小さくゆるく、楽に。着付けが終わった後、女性は「こんな私でも着れるのね」「これで孫の結婚式に行けるわ。本当にありがとう」と、涙ぐみながら言ってくださいました。こんな幸せなことはないという言葉を聞いた時、この仕事をしていて良かったと心から感じました。あのおばあさまの美しさを、一生忘れることはありません。

「柳緑花紅」。柳は緑だから美しく、花は紅だから美しい。それぞれの植物にそれぞれの美しさがあるということを意味するこの言葉は、私が生まれ育った家でいつも聞いていた言葉の一つです。

先生から教えていただいたこと、そしてこのときの経験を忘れず、その人の「自然体」にそのまま着せていく。ご自身で着られる場合には、そのままの自分を表現する着付けをしてもらうことを心がけています。それが唯一無二の美しさにつながると、私は思います。

背中で見送ってくださった先生

先生のもとで学んだ4年間を経て、その後私は独立することを決意します。「先生、これまで教えてくださったすべてに対して、本当に感謝しています。でも、独立したいので辞めさせていただけますでしょうか」。

そのように伝えると、いつもは笑顔で接してくださる先生が、背中をくるっとこちらに向けて、「もう行きなさい」「頑張りなさい」とだけおっしゃいました。いつも玄関口でこちらが見えなくなるまで手を振ってくださる先生が、最後は部屋の奥で背中をこちらに向けたままの別れになりました。

その当時は涙が止まりませんでしたが、今思えば、それが先生の大きな優しさだったのだとわかります。先生がいつものように笑顔で話してくださっていたら、私はまだもう少し先生のところにいようと思っていたかもしれない。だから、背中で送り出してくださってたのだと、思っています。

先生に胸を張って言える活動がしたい。先生の美しさや美意識は、今でも私の中に途絶えることなく脈々と流れ続けています。

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伊藤仁美

着物家/伊藤仁美 京都の禅寺である両足院に生まれ、日本古来の美しさに囲まれて育つ。長年肌で感じてきた稀有な美を、着物を通して未来へ繋ぐため20年に渡り各界の著名人への指導やメディア連載、広告撮影などに携わる。 オリジナルブランド「ensowabi」を展開しながら主宰する「纏う会」では、感性をひらく唯一無二の着付けの世界を展開。その源流はうまれ育った禅寺の教えにある。企業研修や講演、国内外のブランドとのコラボレーションも多数、着物の新たな可能性を追求し続けている。
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