鳥獣戯画とは?作者は?謎の国宝を徹底解説

鳥獣戯画とは?作者は?謎の国宝を徹底解説

目次

鳥獣戯画とも呼ばれ親しまれている国宝・鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)。米津玄師が作詞・作曲したNHKの2020応援ソング「パプリカ」の動画でも注目を集めています。うさぎやサル、猫といった動物たちがかわいらしく擬人化され、相撲や水遊び、宴会を繰り広げる絵巻物。実は、私たちがよく知るそれらの場面は、謎に満ちた鳥獣戯画のほんの一部なのです。

鳥獣戯画とは、どんな作品?

平安後期から鎌倉前期にかけて制作された、京都市右京区の高山寺に伝わる戯画絵巻。全部で4巻からなる絵巻物で、その全長は約44mにも及びますが、そこに描かれたさまざまな戯画が、いったい何を表そうとしたものなのかも判然とはしていません。

鳥獣戯画「鳥獣人物戯画絵巻」国宝 四巻 紙本墨画 甲巻31.1×1156.6㎝、乙巻31.1×1224.5㎝、丙巻31.9×1113.1㎝、丁巻31.7×938.6㎝、甲乙巻・平安時代、丙丁巻・鎌倉時代 高山寺

漫画やアニメのルーツとして高く評価され、日本はもとより、世界的にもその名が知られる「鳥獣戯画」。特に有名な甲巻は、うさぎや猫などの動物たちが画面の中を縦横無尽に駆け回り、遊び尽くすという斬新にしてとてもモダンな内容。これが、今から800年も前の平安時代末期に描かれたとは、俄(にわか)には信じ難いほどです。その魅力はまさにタイムレス。永きにわたり多くの人々を虜にし、作品が宿す輝きは時を超えて未来永劫、受け継がれて行くことと思われます。

鳥獣戯画の作者は?

有名にして希有なる存在のこの絵巻ですが、実はいつ何時、だれが何の目的をもって描いた、あるいは描かせたのかということは、今もはっきりしたことがわかってはいないのです。

作者は、滑稽・風刺を目的とした戯画を得意とした、平安後期の高僧・鳥羽僧正覚猷と伝えられてきましたが、確証はありません。各巻の筆致の違いから、複数の絵師の手になるものとも推定されています。平安中期の比叡山の僧・義清が、「嗚呼絵」(戯画)をよく描いたと「今昔物語集」に記されており、こうした絵が寺院に多く伝わることから、画技に優れた僧侶が余技として戯画を描く伝統があったことも指摘されています。

鳥獣戯画の謎

動物たちが遊び戯れる様子を擬人化した甲巻、麒麟(きりん)や犀(さい)といった空想上の動物を含む、馬や牛、鳥などを描いた乙巻は、恐らく平安時代の後期に、また前半に人々が遊び戯れる様子を、後半に擬人化した動物を描いた丙巻、仏事や田楽、法力比べなどに興じているさまざまな人々の様子を描いた丁巻は鎌倉時代に、それぞれ制作されたのではないかということが、ほぼ唯一判明している事実です。

しかし、逆に言えば何もわかっていないからこそ、この愉しさ溢れる絵巻は却っていつの世にも人々の目に新鮮なものとして映り、それぞれが真っ新な目でマンガやアニメのルーツともいわれる墨線のみで描かれた白描に向き合うことができるのかもしれません。さらに言えば、この絵巻の収められた場所が、小鳥がさえずり栗鼠(りす)が住む境内の山中で座禅しひたすらに精進を重ねたという鎌倉期の名僧・明恵上人(みょうえしょうにん)縁の高山寺だったところに、この絵巻に秘められた真の意味と価値があるのではないでしょうか。

「鳥獣戯画」4巻を解説、甲巻・乙巻・丙巻丁巻

マンガの原点!? 鳥獣戯画【甲巻】

鳥獣戯画

山奥の渓流で飛び込んだり泳いだりと、さまざまに水遊びを楽しむ莵と猿たちの姿から幕を開ける甲巻。やがてその場面は野原へと移って弓の競技がはじまります。右から左へと順に見て行く絵巻の特性を生かした物語描写が、甲巻の最大の見どころにしてマンガの原点といわれる理由。甲巻は全部で23紙からなり、その全長は約11.5mにも及びます。

うさぎや犬も登場、鳥獣戯画【乙巻】

鳥獣戯画

甲巻とほぼ同じ時期に描かれたとされている乙巻。普段目にする馬や牛、犬や鶏といった動物たちのさまざまな生態とともに、麒麟や龍、獏(ばく)や犀といった空想上の動物が数多く描かれています。戯画といった雰囲気のほかの3巻に比べ、明らかにシリアスな風情が漂っているのが、乙巻の特徴です。

猿とカエルが主人公 鳥獣戯画【丙巻】

鳥獣戯画

丙巻は前半と後半で作風ががらりと変わっています。前半は僧侶と俗人が入り乱れて首引きをしたり双六(すごろく)をしたりして戯れ遊ぶ様子が、後半は猿が鹿に乗ったり、猿と蛙が蹴鞠(けまり)をする様子などが描かれています。甲巻のように擬人化された動物たちが人間の遊びを繰り広げている反面、甲巻よりも莵が少なく猿とカエルが主人公になるなど大きな違いも。

人間のみが登場 鳥獣戯画【丁巻】

鳥獣戯画

丁巻に描かれているのは人間のみで、僧侶や俗人、貴族などが、老若男女、入り乱れて描き出されています。それもほかの3巻とは明らかに違うラフなタッチで構成されており、全面にわたって誇張された滑稽な表情がこれぞ「戯画」と呼ぶにふさわしい内容。また石を投げ合う場面などに描かれる効果線はこれぞ漫画の技法の原点と言えます。

「鳥獣戯画」の見どころは、なんといってものびのびとした闊達な筆遣いで、動物たちが遊び戯れるユーモラスな姿が自在に描かれていることでしょう。絵巻の中から今にも動物たちのさんざめく歓声が聞こえてきそうです。絵巻中に兎と蛙が「賭弓」という宮廷年中行事を行なう場面が描かれていますが、後白河法皇の命で制作された「年中行事絵巻」にも、擬人化された猿や兎や蛙が競馬の神事をする絵が描かれていることから、「鳥獣戯画」には宮廷絵師が関与していたともいわれます。 

特筆すべきは、動物の表情の豊かさと、筆運びの抜群の上手さです。正確なデッサン力に加え、墨の濃淡やかすれを駆使した技巧的な筆遣いで、生あるものが現世を謳歌する喜びを描き出しています。また、ユーモラスな「遊び」の表現の豊かさは日本絵画で群を抜いており、白描絵巻の珠玉の名宝です。

鳥獣戯画のある高山寺とは

鳥獣戯画とは? 高山寺の国宝の謎を解く

京都・西北の山中、右京区梅ヶ畑にある栂尾山高山寺。京都市内から日本海側の小浜へと抜ける周山街道を約1時間。山深く切り裂くように流れる清滝川の清流を望む、静かな山間にその寺はあります。

創建は奈良時代にさかのぼりますが、平安末期の名僧・文覚が同じく梅ヶ畑にある真言密教の聖地・神護寺を復興した際には、その別院として存在していたと言われています。その後、建永元(1206)年、後鳥羽上皇が文覚の弟子だった明恵上人にこの寺域を与えることとなり、明恵はこの寺を華厳宗再興の根本道場として寺観を整えるのです。このとき、後鳥羽上皇から「華厳経」に由来する「日出先照高山之寺」の勅額(写真下)を賜ったことから、高山寺と号するようになったと伝えられています。

今も、高山寺のある栂尾の地は、紅葉のシーズンを除いて、静かな佇まいを守り続け、明恵上人が研鑽を積んだころを彷彿させます。明恵が再興した当時の金堂も阿弥陀堂も兵火によって焼失してしまいましたが、深い杉木立の間からの優しい木漏れ日や苔を濡らす山の湧水に、心が和んでいきます。また、当時の経蔵を改造・移築したという国宝建築の石水院や再建された開山堂などが佇む様は、まさに明恵上人の理想郷であり、「心洗われる名刹」であることを静かに物語ります。

こうした高山寺の豊かな自然を背景にして「仏眼仏母像」や「華厳宗祖師絵伝」、さらには「明恵上人像(樹上坐禅像)」などの、優れた美術品の数々が生み出されることとなり、高山寺は現在にまで続く文化財の宝庫と呼ばれる寺となったのです。

世界遺産 栂尾山 高山寺 情報

住所 京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
TEL 075-861-4204
FAX 075-865-1848
お問い合わせ時間 8:30〜17:00
公式サイト

おまけ:「鳥獣人物戯画」順番が違うって本当?

甲乙丙丁の4巻からなり、それぞれ全長9m強〜12m弱の長さ。4巻合わせると44mにもなる大作ですが、以前から、絵に連続性がない“あやしい”部分があることは指摘されていましたが、甲巻に順序が入れ替わった箇所があることが、京都国立博物館の図録や修理報告書で明らかにされました。

23枚の和紙がつなげられた甲巻は擬人化された動物たちが描かれています。2009年からの修復の際に、光で透かして紙の特徴を観察する透過光調査を実施したところ、23枚目と11枚目を見ると、製紙工程ではけを使って和紙をなでた際につく筋の跡がつながっていることが判明しました。11枚目と23枚目は当初1枚であったのが、切断されて、絵順が入れ替えられたようなのです。

間違っていたのがこちら!

鳥獣戯画

正しい順番はこっち

鳥獣戯画こちらのほうがストーリーの流れが自然!

江戸時代の初め、後水尾天皇の中宮だった東福門院和子(とうふくもんいんかずこ)によって本格的な修復が行われたことがあり、その際に、絵の順番の入れ替えや切断などが行われた可能性があるのだとか! 

国宝だからといって、今見ているものが当初の姿とはいえないというのが興味深いところ。今後もあっと驚くような新発見が出てくるかもしれません。

鳥獣戯画とは?作者は?謎の国宝を徹底解説
この記事をSNSでシェアする
この記事をSNSでシェアする