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2024.02.12

マンガの語源? 64年の大ベストセラー『北斎漫画』はこうして生まれた!

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日本のポップカルチャーの一つとして、海外でも人気のマンガですが、江戸時代にも一大ブームを巻き起こし、世界でも絶賛されたマンガがあったことをご存知でしょうか。

富嶽三十六景などの浮世絵師として有名な葛飾北斎の描いた『北斎漫画』です。現代のストーリー性のあるマンガではなく、図案集のようないわゆる絵の教科書に近いものでしたが、これが大ヒット。なんと、全十五編が64年間にわたって刊行され続けることになります。まさに、今でいう大ベストセラーです。葛飾北斎の経歴とともに『北斎漫画』の成り立ちをご紹介しましょう。

ス、スゴい!!64年間って……。


浮世絵師としてデビュー後、狂歌絵本の挿絵に傾倒

19歳で浮世絵師、勝川春章(かつかわしゅんしょう)の一門に弟子入りしたした北斎は、勝川春朗(かつかわしゅんろう)の画号で絵師として順調なスタートを切りました。絵の才能に恵まれ、彫師の経験もあった北斎は、役者絵でめきめきと頭角を現し、美人画なども手掛けます。しかし、35歳の時に勝川派を離脱。一筋縄ではいかない北斎は「隠れて他流派に学んでいたため破門された」や「兄弟子との不仲」などがその理由とも言われています。そうして新たな創作の場を模索した北斎は、当時人気のあった狂歌絵本の挿絵を描くようになりました。

画本狂歌山満多山 メトロポリタン美術館蔵

その後、46歳頃から、長編小説の版元である読本の挿絵に傾倒。これが大変な人気となり、一躍スター絵師となります。さらに北斎は、人気作家だった滝沢馬琴(たきざわばきん)と組んで次々と作品を発表。全国に名を知られる、今でいう有名イラストレーターのような活躍ぶりを見せます。

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北斎の絵手本が門人に所望された

全国各地に呼ばれ、旅をしながら絵を描いていた北斎は、全国に多くの門人がおり、この門人の中の一人に、尾張藩の藩士、牧墨遷(まきぼくせん)がいました。彼と意気投合した北斎は、よく名古屋を訪れ、長い時には、3カ月以上も逗留するようになります。その際に北斎の絵を学びたいと願う墨遷らのために、絵手本を描くことになったのです。最初北斎は、

画に師なし。波乱を描かんと欲すれば紅海に見、草木を描かんと欲すれば山野に見る。人物鳥獣左右其師に遭ふ。(北斎の教え 牧墨僊『写真学筆 墨僊叢画』より)

「絵に師匠などいない。絵がうまくなりたければ、紅梅を見て、山野を見る。草花や鳥、動物たちなど、師がたくさんいる」という考えから教えることを断っていたのです。しかし、周りからの強い要望に折れ、人物をはじめ、動植物、風景、風俗や妖怪幽霊まで、様々な絵を描き、その数は300枚以上にも及びました。

北斎漫画 伝神開手北斎漫画 初編-十五編 アムステルダム美術館蔵

北斎人気にあやかった抜け目ない版元

人気絵師の描く絵手本は売れる!と目を付けたのが、名古屋の版元である永楽屋東四郎でした。永楽屋により、文化11(1814)年に出版された『北斎漫画』は、大変な話題となりました。江戸や京、大阪が中心の出版界において、永楽屋は尾張藩の藩校御用達として漢籍などを発行し、出版社としての力をつけていましたが、この『北斎漫画』で更に潤っていきました。江戸の版元とも親交があった永楽屋は、北斎と深いつながりのあった角丸屋甚助の提案もあり、共同で5年間に十編の北斎漫画を刊行し、これが爆発的な人気を呼びます。

北斎漫画 メトロポリタン美術館蔵

その人気の高さは、序文を宿屋飯盛(やどやのめしもり)の別号で活躍した狂歌師、石川正望(いしかわまさもち)や戯作者・太田南畝(おおたなんぽ)といった文人が書いたことにも現れています。

北斎漫画 メトロポリタン美術館蔵
『北斎漫画』は、絵画学習のための教習本だったのですね。でもあまりに素晴らしくて面白いから、一般の人からの支持を集めたんだろうなぁ。この大ヒットで、「漫画」は戯画風のスケッチを指す言葉として広まったのだとか。

北斎漫画 メトロポリタン美術館蔵

名古屋で行われた一大プロモーション

江戸へと進出するきっかけにもなる永楽屋は、この『北斎漫画』のプロモーションを企画。牧墨遷らと共に、西本願寺別所の西掛所において、120畳の紙に大達磨を即興で描くという一大パフォーマンスを行います。大勢の見物人が集まる中、ほうきで作った巨大な筆を使い、大達磨を描きあげました。こういった大らかなサービス精神が北斎の人気の秘訣だったのかもしれません。

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北斎漫画 メトロポリタン美術館蔵

北斎没後も出版され続けた『北斎漫画』

北斎は、嘉永2(1849)年、享年90で亡くなります。しかし、北斎漫画の人気は衰えず、当初十編で完結するはずが、没後も発刊が続けられ、明治11年(1878)に全十五編をもって完結しました。収録された絵手本は4000点にものぼり、人々の営み、建築、森羅万象を描いた作品はどれも素晴らしく、19世紀には海外でも高い評価を受けます。絵を描くことが生きる術であったかのように描き綴られた『北斎漫画』は、私たちにそのすさまじい絵師人生を伝えてくれているようです。

北斎漫画 メトロポリタン美術館
フランスの画家・ドガは、『北斎漫画』に出てくる力士のポーズを、踊り子を描く時に取り入れたそうです! 北斎の才能は、海外からも注目されるほど飛び抜けていたのですね。

北斎漫画 シカゴ美術館蔵



参考文献:『北斎漫画入門』浦上満 著 文藝春秋
『日本大百科全集』小学館
アイキャッチ 北斎漫画 メトロポリタン美術館より

書いた人

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。