書籍として江戸時代から明治時代にかけて出版された葛飾北斎『北斎漫画』全15巻の全ページを見開きの実物で見せるなど、画期的な展示を実現した特別展『北斎づくし』(東京ミッドタウンホール)。訪れたつあおとまいこの二人は、そのボリュームに圧倒されながらも、「あんなものからこんなものまで描いているんだ!」と北斎の探求欲と表現力にうなりまくります。さらには、やはり書籍として制作された『富嶽百景』全ページの実物展示に、富士山に対する北斎の執念と愛を感じたのです。
えっ? つあおとまいこって誰だって? 美術記者歴◯△年のつあおこと小川敦生がぶっ飛び系アートラバーで美術家の応援に熱心なまいここと菊池麻衣子と美術作品を見ながら話しているうちに悦楽のゆるふわトークに目覚め、「浮世離れマスターズ」を結成。さて今日はどんなトークが展開するのでしょうか。
36冨嶽+100富嶽=148富士山…数学を超越した葛飾北斎
つあお:葛飾北斎が錦絵(浮世絵版画)の「冨嶽三十六景」でめちゃくちゃ魅力的な富士山の絵をたくさん描いたのは有名ですよね。加えて、その少し後に書籍の形態で出版したのが『富嶽百景』。「三十六」の後に「百」! どんだけ富士山が好きなんだ! っていう感じです。(注:「冨嶽」「富嶽」はどちらも「富士山」の別称)
まいこ:錦絵の「冨嶽三十六景」は「36」どころか46点描いてる。10点足しても満足せず、『富嶽百景』も描いたんですね! 一気に100増やしているところもすごい!
つあお:『富嶽百景』もちょうど100点ではなくて102点なんですよね。「冨嶽三十六景」と『富嶽百景』を合わせると、148点もの富士山の絵を描いたことになる。36+100=148なんです。北斎は数学を超越してます。
まいこ:富士山愛ですね! しかも、描いたのは70歳を超えてからでしたよね!
つあお:「老いてますます盛ん」どころじゃない感じ。たわくし(=「私」を意味するつあお語)も、この境地を目指したいなぁ。
まいこ:江戸時代の70歳は、今の80〜90歳くらいの感じでしょうか? もう仙人の域ですよね!
つあお:その「仙人」にとっても、やはり富士山は本当に神秘的な存在だったんでしょう。いくら描いても描き足りなかった感じ。
まいこ:この展覧会では「冨嶽三十六景」全点が展示されているのも素晴らしいのですけど、『富嶽百景』を見ると、モノクロームなのに、より一層想像の世界が広がってる気がしました。
つあお:実はね、「冨嶽三十六景」のような錦絵よりも、『富嶽百景』のような版本(書籍)のほうが北斎が本当にやりたいことが表されていたという説もあるんですよ。
まいこ:そうなんですか!
つあお:「(版本は)流行をさほど追わず、ある程度の自由な発想を許容する」と、北斎の研究に生涯を捧げた美術史家の永田生慈さんが『葛飾北斎の本懐』という本で述べておられます。
まいこ:なるほど! それですごく自由な感じがしたのかも!
つあお:例えばこの絵の波の表現、まるでエッシャーの絵みたいじゃないですか? 時代はエッシャーのほうが後ですが。
マウリッツ=コルネリス=エッシャー オランダの版画家。位相幾何学の原理をヒントに、現実にはありえない錯視的空間を精密に描いた。(引用元=『日本国語大辞典』)
まいこ:私も見てすぐにそう思いました! あるモチーフがいつのまにかほかの景色とブレンドして違うものになっている。日本にもこんなだまし絵みたいな表現があったなんて!
つあお:この波の場合は、波頭がいつの間にか千鳥になっています。そしてひょっとするとその先にある松の木にもなっているように見えたりもします。
まいこ:本当ですね。波に近いところの千鳥なんて、最初目の錯覚でそう見えるのかと思った。波と千鳥の中間的な存在の描写も素敵です!
主役の富士を隠す北斎
つあお:『富嶽百景』は書籍なので、めくっているとこうしたいろんな表現の富士山がどんどん見られるわけです。
まいこ:めくる行為自体が楽しくなりそう!
つあお:鞠(まり)を富士山のてっぺんに蹴り上げてるこの絵なんて、さっきの波の絵とはまったく違って、何ともひょうきんですよね!
まいこ:ホントだ! 和尚さんみたいな人が爆笑しながら寝っ転がって鞠を蹴り上げてる!
つあお:ひょっとしたら鞠を富士山の火口の上に載せようとしてるんじゃないですかね。
まいこ:あ〜、だから鞠が火口ぴったりの位置に上がってるんですね。私は何で月みたいにもっと上のほうにあげないのかな?と思ってたんです。
つあお:このまま富士山の稜線に沿って左下に転がり落ちていきそうにも見える。
まいこ:ひょっとしたら奇跡の風が吹いて、『プロゴルファー猿』のようにホールインワンが決まるかもですよ(笑)。
つあお:そりゃすごい! かと思えば、雨を表現したこんなに詩情豊かな作品もあります。
まいこ:あまりにも線で描かれた雨の量が多くて、富士山が蜃気楼のようにモヤっとしてますね。
つあお:雨を線で描く表現は日本独自のものだと思います。
まいこ:へぇ!
つあお:歌川広重などの浮世絵師も雨を線で描いているので、錦絵の一般的な技法だったのでしょう。
まいこ:それにしても、主役の富士山をこれだけ雨で隠してしまうとは!
つあお:富士山の表現を多様にする心憎い演出と言えましょう。旅人が被っている笠の配置も極めてデザイン的で美しいですよね。たぶん実際の風景を描いた、いわゆる「写実」じゃないんじゃないかな。
まいこ:デザイン的な美しさを優先して配置してるんですね。大正から昭和初期の画家として最近挿絵などがクローズアップされている小村雪岱の傘だらけの作品が思い浮かびました!
つあお:Wow! 小村雪岱も浮世絵の流れを汲んでいる画家だったということでしょう。こうした絵をたくさん見ていると、日本の傘や笠っていいなと思っちゃう。
まいこ:ジャパニーズ・グッド・デザイン!
ポエティックな北斎との出合い
つあお:『富嶽百景』では、武蔵野を描いたこの絵はすごくポエティックですよね。
まいこ:本当に! 地上のような天上のような風景!
つあお:この絵の「主人公」がはたして富士山なのか野原なのかわからないところが素敵です。
まいこ:私は江戸時代の、金を基調にした『武蔵野図屏風』が大好きなんです。でも、北斎が描いた「武蔵野図」はモノクロームの素描みたいな絵。なのに、見ているとやはり力強くアピールしてきます。
武蔵野図とは=近世初期のやまと絵系諸画派に好まれた構図で、一般に風情あふれる武蔵野の原野を描いたもの。(引用元:東京富士美術館蔵「武蔵野図屏風」)
つあお:素晴らしい! まいこさんは北斎のセンスを継承している! 北斎は勉強熱心だったから、ほかの画家が描いていた「武蔵野図」を見て自分の中でさらに想像をふくらませたんだろうなぁ。
まいこ:うふ。
つあお:北斎は、屏風だとたいてい横長の「武蔵野図」を縦長にしたところもおしゃれだったりするかも。
まいこ:インスタのストーリーみたいに? 構図の天才!
北斎は蛸が好き
つあお:北斎は構図の天才だけど、モチーフにも思いっきりこだわっている。それがよくわかるのは、なんといっても『北斎漫画』ですよね。
まいこ:この展覧会では、全ページ実物を開いて展示している。すごいことですよね!
つあお:出品者の浦上満さんが、少なくとも見開きのページ数分の『北斎漫画』を所蔵しているってことです。おかげで、全ページ、本物を鑑賞できる!
まいこ:すごい量ですね!
つあお:そして、この展示を見ると、北斎が書籍の形態を愛していたことが、改めてよくわかる気がします。書籍にはめくるという行為が必要。めくると、思わぬ絵が目に飛び込んでくるわけです! たとえばこのページの絵なんてどうでしょう。
まいこ:わーお! まずこの左のページの蛸(たこ)はどこかで見たことがあるような?!
つあお:北斎って蛸がけっこう好きですよね。蛸と女性が絡み合っているのを描いた「蛸と海女」と呼ばれている有名な春画を彷彿とさせます。
まいこ:(思い出しながら……)うーん、蛸の顔や雰囲気がそっくりですね。でも『北斎漫画』のほうは、葉っぱやら男性やらいろいろなものが絡んでいる!
つあお:この蛸は、結構大変そうですよね! 陸上で男たちを相手に一体何をしているんだろう?
まいこ:蛸は眉間にしわを寄せたようなすごい形相で追っかけて来てる?
つあお:北斎が得意としている妖怪の表現の一種なんだろうなぁ。
まいこ:右のページの顔の絵も面白いですね!
つあお:鏡を前にして、変な顔をする練習をしてるのかな?
まいこ:当時はにらめっこが遊びとしてメジャーだったんですかね?
つあお:そうだそうだ。にらめっこは重要な遊びだったんですよ、きっと。
まいこ:それにしても、こんなに一生懸命練習するなんて! にらめっこで勝つとモテたのかな?
つあお:モテるかどうかは考えませんでしたが、たわくしも若い頃、よく変な顔をする練習をしてました。
まいこ:えーっ! 面白すぎ! どんな顔をしてたんですか?
つあお:たわくしが得意としていたのは、こんなキツネ口でした。
まいこ:実演ありがとうございます! 北斎よりオモシロイかも! モテようとする以外のモチベーションって何ですか?
つあお:とりあえずやるとみんなが笑ってくれたので、それで安心してました。できない人も多かったような記憶が。誰も真似したがらなかっただけかもしれないけど(笑)。
まいこ:ぷぷっ!
つあお:まぁこうした変な顔遊びは、お金がかからなくていいですよね。
まいこ:自分が持つ顔とアイデアの勝負ですからね!
つあお:江戸時代の人たちがアイデアいっぱいだったのか、北斎がアイデアマンだったのか、興味深いです。
まいこ:つあおさんと北斎でにらめっこ対決して欲しいです!
つあお:合点承知の助です。
まいこセレクト
この展覧会には2回出かけました。1回目の鑑賞の際にたまたまグッズ売り場で売っていたTシャツに使われているのを発見して大好きになった2匹の子犬。かの円山応挙の「かわいすぎる子犬」を超える勢いの超絶なかわいさ! でも、かなりじっくり鑑賞したはずなのに、会場のどこで見たか思い出せなかった……。つあおさんにも聞いたけど、やはり謎はとけず。
数日後、つあおさんから連絡があり、「家にあった『北斎漫画』の文庫版(青幻舎)を読んでいたら見つけた!」とのこと。なんと、『北斎漫画』四編の一角に、2匹バラバラに描かれていたのです。さすがつあおさん、ありがとう!
ということで、2回目の鑑賞へ。ドキドキ。四編のコーナーに行くと、ちゃんといました。やはり、恐ろしくかわいい……。特に、斜め上を見上げて微笑んでいる犬くんなんて、なんと表現したらいいかわからないけど、絵から取り出して家に連れて帰りたい。ということで、とにかくこの北斎の天才的にかわいい犬の絵をピックアップします。
つあおセレクト
ピンホールカメラの原理で、雨戸に開いた小さな穴から室内の障子に富士山が映し出された光景。こんなことが現実にあったかどうかは定かではありませんが、北斎は西洋風の絵の描き方を試すなど研究に貪欲だったので、原理を知っていた可能性は高そうです。それにしても、その研究の結果がこんなにひょうきんな表現になるとは! やはり、北斎の境地を目指したいと思う今日このごろです。
つあおのラクガキ
浮世離れマスターズは、Gyoemon(つあおの雅号)が作品からインスピレーションを得たラクガキを載せることで、さらなる浮世離れを図っております。
「変顔は一朝一夕にはならず。修業のたまものである」という奇妙な主張をするつあおの迷作。
展覧会情報
展覧会名:生誕260年記念企画 特別展『北斎づくし』
会場:東京ミッドタウン・ホール(東京・六本木)
会期:2021年7月22日〜9月17日
公式ウェブサイト:https://hokusai2021.jp/
和樂web編集長セバスチャン高木の目にはどう写った?音声で語った番組はこちら
参考文献
永田生慈『葛飾北斎の本懐』(角川選書)
葛飾北斎『北斎漫画』(青幻舎)