私たちの生活は、現代的で暮らしやすい環境が整うほど虫や小さな生き物たちと縁遠くなりがちです。これが徹底しすぎると、ひょっこり出くわした小さな虫でも、思わず「こわい!」「キモチワルイ!」となってしまう場合もあるでしょう。
ところがひと昔前、特に江戸時代は違いました。当時の日本美術を鑑賞すると、様々な虫が生き生きと愛らしく、時におどけて登場するので、人間の仲間として共存していた様子が伝わってきます。
江戸時代の物語や和歌、様々な美術作品に登場する虫たち、そして彼らからインスパイアされながら共存していた人々の姿を見ながら、今を生きる私たちのヒントにしたいと思います。
虫たちが恋愛したり、和歌を読んだり!
虫たちに対して、一気に親近感を高めさせてくれた作品が、こちらの「きりぎりす絵巻」です。登場するキャラクターは、源氏物語絵巻さながらに美しい衣装をまとい、豪華な邸宅に住んでいるのですが、顔が「虫」なのです。
美しい玉虫姫をめぐって、蝉(せみ)の右衛門督、螽斯(きりぎりす)の紀伊守、蜩(ひぐらし)の備中守などが恋愛劇を繰り広げます。同じ種同士ではなく、異種混合の昆虫同士なのがまた面白く、「美しい玉虫姫の美貌は異種の虫にもわかるのかな?」などとマジメすぎる疑問が湧いてきたり……。思いを遂げた蝉の右衛門督は、玉虫姫と盛大な婚礼をあげるものの、恋に破れた螽斯の紀伊守と蜩の備中守は出家するなど、かなりリアルに人間模様とシンクロしています。そして、玉虫姫と蝉の右衛門督の間に生まれたのは、蝉の男の子! ハイブリッドではなくて? と深読みしかかりましたが、何はともあれ幸せになったとのことですので、めでたしめでたし。ここに登場する虫たちは、こんなに擬人化されるほど人々と日常を共にしていたのだなと感じました。
さらなるツワモノは、和歌を読む虫たちです。「虫歌合」と題した絵の中では、様々な虫たちが歌合(※注1)をします。カマキリ、バッタ、ムカデ、ノミやシラミまでいます。人間の筆者ですら、基本から和歌を学んで始めるのは億劫なのに、なんてハイレベルな知識虫たちでしょう!
(※注1)歌合(うたあわせ)とは:うた‐あわせ〔‐あはせ〕【歌合(わ)せ/歌合】左右に分けた歌人の詠んだ歌を左右1首ずつ出して組み合わせ、判者(はんじゃ)が批評し、その優劣を競う遊戯。平安初期以来、貴族の間に流行。平安後期には歌人の実力を争う場となった。
コトバンクより引用
こちらの場面では、蟷螂(かまきり)とあしまとい(ハリガネムシ)が歌合をしています。なんと、ハリガネムシは、蟷螂に寄生する虫だそうで、歌合のペアもそのような生態系を知った上での組み合わせになっているところが粋。江戸の人々は、虫たちの生態系もしっかり観察していたということがうかがえます。
そして、虫が主人公を助けてくれる微笑ましいお話が描かれていたのは、天稚彦物語絵巻(あめわかひこ ものがたり えまき)です。七夕伝説を題材とした物語ですが、姫が夫との再会を鬼に妨害されてしまいます。姫は、鬼に課された難題をいくつか克服しなければならないのですが、その難題の一つが、千石の米を一粒残さず別の蔵へ動かすというもの。そこで活躍するのが蟻たちです。見てください! 米俵に群がった蟻たちが、一匹一粒を担いでもう一つの蔵に移しています。これは、小さくて勤勉な蟻たちにもってこいの仕事。江戸時代の人々は、蟻を悪さをする虫と決めつけて一律駆除してしまうのではなく、たまに良いこともしてくれる友達のような存在として見ていたのかもしれません。
すごいぞ虫たちの造形美!
江戸時代の人々は、身近な虫たちの造形美からも多大なインスピレーションを得ていたようです。例えば現代でもたまに家で遭遇する蜘蛛。害虫を食べてくれる良い虫だとはわかっていても、結構グロテスクなルックスをしているので、筆者の場合はあまり近寄らないようにしているのですが……。
この豪華な蒔絵の鞍には、金色の蜘蛛と銀色の蜘蛛がエレガントに描かれています。蜘蛛は古来より吉祥の前兆として尊ばれていたり、馬との組み合わせで和歌の情景にも登場してきたからだとのこと。
蜘蛛たちが紡ぎ出す「蜘蛛の巣」のデザインは、涼しげな切子にも応用されています。
また、姿形が美しい虫もそうですが、鳴き声が美しい虫も大変重宝されたようです。宮廷を中心に鳴く虫を愛でる文化は発展し、中でも鈴虫、松虫、コオロギが美術品や和歌によく登場します。こちらの銚子にたくさん描かれているのは、鈴虫です。秋草の上に遊ぶたくさんの鈴虫たちは、羽の模様や顔の表情も丁寧に描き分けられ、個性が出ています。羽をこすり合わせて今にも鳴こうとしている鈴虫には、YouTubeの動画くらいのライブ感があります。この作品の作者も鈴虫を飼って観察していたのかもしれません。
こちらの絵には、貴族が嵯峨野周辺を散策して捕まえた鈴虫や松虫のうち、姿形や鳴き声が優れたものを選んで宮廷に献上するという風雅な遊びが描かれています。
夏休みの自由研究のために切羽詰まって親子で虫を捕まえに来たとかではないのですね(笑)。それはそれで微笑ましいのですが、虫の存在が芸術的な遊びにつながっていた時代にも憧れます。
虫と遊ぶ江戸時代
江戸時代中頃に入ると、野山へ出かけ虫の音に耳を済ませる虫聴(むしきき)、夕暮れ時に蛍を追う蛍狩が、市井の人々に親しまれる娯楽となったとのことです。
こちらは、水売りや提灯売りと並んでポピュラーな商売であった虫売りの様子です。自分で虫を採りに出かけられる人たちはもちろん、そうでない人たちは買ってでも、家の中で虫を愛でる習慣があったようです。現代のように音楽プレイヤーが無かった江戸時代には、虫たちが奏でる音を音楽として楽しんでいたのかもしれません。好きなようにオンオフはできませんが(笑)。
もう一つ、最近筆者が気づいた虫の音の不思議な効果があります。それは、人工的な音からは得られないリラックス効果があるということです。
換気口音や道路の音、はたまた環境音楽などですら、ずっと聞こえると気になって眠れなかったりするのですが、外から聞こえてくる虫の音に集中すると自然に眠ってしまいます。鈴虫の音など結構大きいのに! 人工物には決して真似できない、自然なランダムさと独特の周波に秘密があるのかもしれません。もしかしてそのような睡眠効果も狙って虫を飼っていた人も江戸にいたのかしら? と考えたら、彼らに共感が湧いてきました。
それにしても、生きている間は雅な虫たちも、いつかは死んでしまいますが、どうしていたのでしょうか? なんと素晴らしいことに、江戸の人々は、一定期間虫を楽しんだら、外に放していたそうです。このような共生の精神、私たちも見習いたいものです!
元気な男性たちが、夜の道灌山(どうかんやま)に出かけて行き、どんちゃん騒ぎをしながら虫を愛でている様子も描かれています。蛍の光で酒を飲み、鈴虫の声をBGMにしているのでしょうか。この頃は、歩きながら虫の声を聞くだけでなく、ござを敷いて座ったり寝転んだりしながらゆっくりと虫の音を味わったのだそうです。なんて贅沢な時間の使い方でしょう! 虫と共に過ごす飲み会、乙ですね〜。
日本美術の中に息づく虫めづる日本の人々の姿はいかがでしたか?
人間の都合で、極端に虫たちを撃退してきてしまった今、エコバランスのゆらぎも出始めています。しかしありがたいことに、江戸時代の日本美術に見られる虫たちが、まだ私たちの身の回りにはたくさんいます。じっくり見たり、声を聞いたり、触ったりしながら、共に過ごせる豊かな時間を探ってみるのも良いかもしれません。
【展覧会基本情報】
タイトル:虫めづる日本の人々
会場:サントリー美術館(東京都港区赤坂9-7-4東京ミッドタウンガレリア3階)
会期:2023年7月22日(土)~9月18日(月・祝)
※作品保護のため、会期中展示替を行います。
休館日:火曜日(9月12日は18時まで開館)
開館時間:10時~18時
※金・土および8月10日(木)、9月17日(日)は20時まで開館
※いずれも入館は閉館の30分前まで
入館料:一般1,500円、大学・高校生1,000円、中学生以下無料
詳しくは(https://www.suntory.co.jp/sma/)へ。