月をテーマにした錦絵(浮世絵版画)のシリーズ『月百姿(つきひゃくし)』は、明治を力強く生き抜いた浮世絵師、月岡芳年(つきおか・よしとし)の晩年の名作として、近年さまざまな展覧会で目にするようになってきました。その全100点を前後期に分けて展示する企画展「月岡芳年 月百姿」(太田記念美術館)を、つあおとまいこの二人が訪れたところ、「すごい、月の絵ばかり!」とまいこははしゃぎはじめました。現代でもスーパームーンなどがしばしば話題に上がりますが、芳年の絵を見ると、昔の人も特に満月が大好きだったのだなぁということがよくわかります。ただし、『月百姿』が描いたのは、日本や中国のいにしえの物語が生んだ幻想的な世界です。見ていると、NHKの大河ドラマ「光る君へ」の舞台となった平安時代も、たくさん描かれているではありませんか。今度はつあおが熱心に見入り始めました。
えっ? つあおとまいこって誰だって? 美術記者歴◯△年のつあおこと小川敦生がぶっ飛び系アートラバーで美術家の応援に熱心なまいここと菊池麻衣子と美術作品を見ながら話しているうちに悦楽のゆるふわトークに目覚め、「浮世離れマスターズ」を結成。さて今日はどんなトークが展開するのでしょうか。
月から生まれた『源氏物語』
つあお:今日は「月」の展覧会ですね! 作者は月岡芳年、出品作は『月百姿』というシリーズ。まさに月づくし!
まいこ:こんなに月をたくさん見られる展覧会もなかなかないですよね。
つあお:確かに。十五夜やうさぎとの関係をはじめ、日本人にとって月はすごく馴染み深くて、情感を揺さぶられる存在。日本の画家はけっこう月をたくさん描いてます。でも、ここまで月の絵が並ぶ展覧会は珍しいかも。
まいこ: 月にまつわる和歌も歴史上ではたくさん詠まれてますものね。
つあお:百人一首にもけっこうあります。今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」のヒロインの紫式部(役名=まひろ)も、月の歌を詠んでいます。「めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな」
まいこ:へぇ! 風流! それにしても、「めぐりあひて」すなわちめぐりあったのに「雲がくれ」しちゃうとは、いったいどういうことなのでしょう?
つあお:久しぶりに幼馴染みの友達と会えたのに、それが本当にあなただったかどうかもわからないくらい素早く、まるで空のお月様が雲に一瞬のうちに隠れてしまったみたいに、いなくなってしまってあゝ悲しい(涙)…みたいな内容なのだそうです。
まいこ:切ない歌ですねぇ。それにしても、平安時代の貴族たちは美しい世界の中に生きていたんですね。いい時代だなぁと思います。ところで、月岡芳年さんは明治時代の人ですよね?
つあお:そうなんですが、『月百姿』シリーズでは、日本と中国のいにしえの物語を題材にした絵をたくさん描いているんです。
まいこ:1枚の絵を見てどんな話かが想像できるような物語を絵にしたんですね!
「出家しないで!」と声をかけたくなる絵
つあお:そうです。「光る君へ」には、貴族の中で当時勢いのあった藤原家の陰謀で花山天皇(かざんてんのう)が夜中にこっそり出家させられる、つまり退位させられる話が放送された回がありました。花山天皇は17歳で即位し、まだ2年しか経っていませんでした。何と「月百姿」にも、夜中に出家するために移動している花山天皇と陰謀を実行した藤原道兼が描かれた絵があるんです。
まいこ:わー、そんなに若くして! それにしてもなぜそんな陰謀にはまってしまったんでしょうね?
つあお:平安時代は、貴族が天皇に娘を嫁がせることで摂政などの権力者の座につくはかりごとをたくらんだ、まさに権謀術数の時代。しかも、この絵に描かれた場面では、花山天皇はどうも一瞬出家をためらっているようなんです。
まいこ:私は花山天皇に同情しちゃいます。
つあお:結局、藤原道兼は計画を完遂してしまう。でもね、一つこの絵には救いがあるんじゃないかと思った。月が藤原家の所業をしっかり見てたんじゃないかと思うんですよ。
まいこ:確かに。
つあお:よく悪事に対して「お天道様は見ているぞ」とか言いますけど、太陽だけだと夜の悪事は監視できない。でも、強盗や泥棒は夜にも多い。花山天皇へのたくらみは、誰にも見られずに出家させることだったから、真夜中になってしまったわけです。
まいこ:ふむふむ。
つあお:そして「お月様」は、ただ照らすだけではなくて、真夜中の所業をしっかり見ていた。『月百姿』は「月が見た100のできごと」の絵でもあるのだな、と。だからこそ、後世に伝えられたんじゃないかなんて想像してしまうわけです。
まいこ:確かに。全体の色調はグレー系で淡い光に照らされているように見えますが、道兼のずる賢しそうな顔もしっかり照らしてますね。
つあお:イケメンの花山天皇の顔も、月明かりに映えている。
まいこ:薄衣の向こう側に、イケメン天皇の顔がしっかりと見えます。お月様は偉大ですね。
つあお:こうして月が照らしているからこそ、後世の人たちの間では、こうした絵を見て花山天皇に同情する人が増えたのかもしれませんよ。
まいこ:私も、「出家しないで!」と声をかけたくなりました。
沈む月を見つめる赤染衛門の思いとは?
つあお:「光る君」へのつながりでは、登場人物の一人である赤染衛門(あかぞめえもん)も『月百姿』に描かれています。
まいこ:つあおさんは、このドラマにかなりはまってるそうですね。
つあお:もともとは、平安時代の雅な文化に少しでも近づくことができればと見始めたんです。平安貴族の世界が1年間ずっと放送されるなんてことは、これまではありませんでしたからね。ところが、見ているとなかなかロックで、とても大河ドラマとは思えない展開をするところがものすごくいい。
まいこ:へぇ、ロックは和樂webと相性がいいですね! たぶんこの記事も「ロック」に分類されますよ!
つあお:「光る君へ」のBGMでエレキギターの音がバリバリ聞こえてきた放送回も本当にあったんですよ。あれはものすごくイケてたなぁ。
まいこ:へー、ガチでロックを使ってるんですね。一体どんな場面に合うのだろう?
つあお:それは紫式部の心がとんでもなくはじけちゃったときでした(笑)。かと思えば、貴族の女性たちが集まって和歌などに興じる女子会の場面もよく出てくる。赤染衛門は、ドラマでは紫式部が参加している会で学問を指南していたんですよ。
まいこ:え、そんな重要な役割の人物なのですね。でも『月百姿』の中ではちょっとかわいらしい位置づけかも。
つあお:何せ、「恋する乙女」を演じてますからね。和歌も絵の上のほうの枠の中に書かれてます。「やすらはで寝なましものを小夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな」
まいこ:一晩中寝ないで、月が沈んでいくのを見ながら男性を待ってるなんて!
つあお:その時に赤染衛門が感じた切なさは、恋の醍醐味なのかもとも思う。
まいこ:そういうところが男心をぐっとつかむんですね、きっと。そして、赤染衛門の視線の先にあるのは…
つあお:そう、この絵は『月百姿』のうちの1枚なのに、月の姿が描かれていない。赤染衛門は沈む月を見ているから、月は彼女の視線の先、つまり画面の外にあるんです。
まいこ:なんて心憎い設定なのでしょう。しかも、月は沈んでしまうんですものね。男性を待っていたわびしさが追い打ちをかけてきそう…。
つあお:そしてこの絵でも、やはり月は彼女のことを照らしながらずっと見ている。ちなみに、この赤染衛門は麻衣子さんに似てますね。
まいこ:えっ! それは意外。でもちょっと嬉しい(笑)。平安時代でもサバイブできるかな?
つあお:和歌が詠めれば大丈夫なんじゃないですか。
まいこ:うっ、詠めない上に字がワイルドすぎる…。
つあお:紫式部に代筆を頼むといいかも(笑)。ドラマでは、恋文の代筆業をしてましたよ。
まいこ:いや、自力でやります。モテるためには全力でがんばります!
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やはり「光る君へ」の舞台となった平安時代に書かれた「竹取物語」。悲しいお別れの結末に至ることが多い異種恋愛譚の元祖! 5人の貴族や帝を冷たく振りまくって地球を離れていく主人公のかぐや姫は、月からやってきた「月人」だったのですね。それにしても、赤ちゃんの時から人間のおじいさんとおばあさんに育てられた彼女は、一糸乱れぬ美しい黒髪をして、仕立てのいいお着物を完璧に着こなしています。そして地球人好みの超美人。この美人顔の目や口を細密に描きこんでしまう月岡芳年ってすごいですね〜。別れの寂しさがしっかり表れさているようにも感じました。しかしながら、地球人から見たら恋愛対象のかぐや姫でしたが、彼女から見たら地球人は月と鼈(すっぽん)だったのかもしれません。総失恋状態の地球人たちを代表するように悲劇的なおじいさんを見おろしながら、かぐや姫は去ってしまいます…。悲しくもとびきり美しい失恋劇は、月夜に繰り広げられるものなのでしょうか。そういえば、月岡芳年『月百姿』に出てくる恋愛関連も失恋が多かったような!? みなさん、ぜひチェックしてみてください。
つあおセレクト
場所は吉原の遊郭。手前に花魁(おいらん)、向こう側にお付きの禿(かむろ)が描かれています。それにしても、花魁の下駄が妙に高い! それは真上にある月と呼応して全体のアクセントとなり、この絵の魅力を増しています。吉原の桜は、開花期に樹木ごと持ち込まれ、花が散ると撤去されたといいます。桜の木はまるで劇場の舞台装置のように扱われていたのです。さて、その虚構空間に限りなく近い場において、普段は近くに並んでいるはずの花魁と禿は、少し離れて何をしているのでしょうか。それぞれの思いを想像してみるのも、面白いかもしれません。
つあおのラクガキ
浮世離れマスターズは、Gyoemon(つあおの雅号)が作品からインスピレーションを得たラクガキを載せることで、さらなる浮世離れを図っております。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも なしと 思へば
全盛期の藤原道長の作とされているこの和歌には近年になって新しい解釈も出ており、改めて注目を集めています。大河ドラマ「光る君へ」に月を見上げるシーンがしばしば登場するのも、この歌ありきなのでしょう。そして月は、道長や紫式部の姿だけでなく、心も照らしてきたのではないでしょうか。
さて、道長が卵の黄身を無心に見つめているときに和歌を詠みたくなったら、はたしてどんな歌になっていたのでしょうか。卵は生命の源でもあります。道長のことですから、おそらく生きる力を歌い上げたのではないか、などと想像してしまうのです。というわけで一首。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
黄身の命が 光り輝く
展覧会情報
展覧会名:月岡芳年 月百姿
会場:太田記念美術館(東京・原宿)
会期:2024年4月3日~5月26日
前期 4月3日(水)~4月29日(月・祝)
後期 5月3日(金)~5月26日(日)
※前後期で全点展示替え
公式ウェブサイト:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/tsukihyakushi/