にわか雨が降り始め、人々が一つの屋根の下に駆け込む。 今の時代でも時折見られる光景だ。 その様子を極めて魅力的に描いた屛風絵がある。江戸時代中期の絵師、英一蝶(はなぶさ いっちょう、1652〜1724年)の『雨宿り図屛風』(※)である。軽妙な筆致でたくさんの人々が寄り添うように集まっている様子は、なかなかほほえましい光景と映る。
画家の代表作の一つとして知られるこの作品が東京・六本木のサントリー美術館で開催中の企画展「没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―」の目玉作品として展示されており、見る機会に恵まれた。この展覧会では、狩野派に学びながらも世俗的な情景を描く風俗画で人々を魅了した英一蝶の生涯を彩った作品約90件が、展示替えを含めて出品される。「多賀朝湖」「島一蝶」「英一蝶」と呼ばれたそれぞれの時代の仕事を見渡しながら、『雨宿り図屛風』に表れた魅力を改めて楽しみたい。
狩野派の弟子とは思えない軽妙な表現
英一蝶は、徳川将軍家に仕えた御用絵師、狩野探幽の弟、狩野安信を師とした。にもかかわらず、風俗画の名手として知られている。なかなか興味深いことではないだろうか。その視点では、本展の展示作品の中に浮世絵と見紛う一枚に遭遇したのが印象的だった。千葉市美術館所蔵の『立美人図』(10/14で展示終了)である。菱川師宣の名作として知られる『見返り美人図』をほうふつとさせる作品だったのだ。
一蝶は絵師とは別に、遊郭として知られた吉原の幇間(宴席で客の機嫌を取る太鼓持ちのこと)としても活動していた。この展覧会の企画を担当したサントリー美術館副学芸部長の池田芙美氏は、同展図録に「英一蝶における遊郭の表現において──菱川派の吉原風俗図との比較から」という論考を掲載し、「当時、吉原を題材とした作品を多く手掛けていたのは、菱川師宣率いる菱川派であった」と指摘している。一蝶はまさに菱川師宣に近い世界にいたのだ。
筆者は本展で展示されていた『吉原風俗図巻』を見て、その流れを感じることができた。そして、丁寧な筆致と鮮やかな色遣いに目を奪われた。実に魅力的な絵巻物だったのである。
この絵巻は、画家が「島一蝶」と呼ばれた三宅島への配流(=島流し)時代の作品という。以前、菱川師宣の絵の影響を受けながら、そして吉原で働いていたときのことを思い出しつつ描いたということになるのだろうか。
こうした背景を知れば、一蝶が風俗画家としての道を歩んだのは、極めて自然なことのように思えてくる。遊郭という少々特殊な世界にいたことが、画業の幅を広げると同時に個性の表出に重要な役割を果たしたのは、間違いないだろう。
一生江戸に戻れないことを覚悟
配流の理由は、時の将軍、徳川綱吉の生母桂昌院の甥に取り行って遊女を身請けさせたり、生類憐れみの令を風刺する流言にかかわったりしたことなどによるらしい。幇間の仕事ぶりも半端ではなかったということだ。そして、ひょっとすると根っからの自由人だったのかもしれないとも思う。
そんな一蝶の心の自由人ぶりを表すのが、『風流女福禄寿図』という作品だ。
鹿の上に、お多福が座っている。くすっとした笑いを誘う、なんともユーモラスな絵である。鹿は神の使いたる動物であり、寿老人と一緒に描かれることも多い。お多福はその名の通り「福」の象徴である。同展図録の解説によると、お多福の「福」、鹿の音読みの「ろく」(禄)、お多福が持っている樹を音読みした「じゅ」(寿)を重ねて読むことで、七福神の一人である「福禄寿」を題材としたという説があるという。「福禄寿」と「寿老人」は同一の存在とする説もある。おもしろいのは、絵で駄洒落を表現していることだ。吉原の幇間だった一蝶は、絵でも鑑賞者を楽しませていたのだ。
『布晒舞図』(重要文化財)は、まさに一蝶の絶品である。
宙を浮いているようなふわふわとした感覚がたまらない。三味線や鼓、謡の音楽に乗って、赤い着物を着た人物は実に生き生きとした動きを見せながら舞っている。池田氏は、この舞手を歌舞伎の女方と見ている。晒の布と着物の曲線状のうねりの表現は、見事の一言に尽きる。この絵も「島一蝶」時代の作とされている。
しかし、配流という罰は重い。一蝶は島に渡ると、一生江戸には戻ることができないと覚悟したという。ただし、島にいても江戸からたくさんの絵画の注文を受け、実際に描いていたというから、例えば牢獄暮らしのような生活をしていたわけではなかったようだ。むしろ、かなり創作が自由にでき、筆が乗る生活をしていたと推し量られるのだ。吉原の日常で育まれた感覚が島で大いに花開いたと見るならば、一蝶にとっては配流もまんざら悪い経験ではなかったのではないだろうか。
ただし、その後江戸に戻れたのは奇跡だったという。徳川綱吉の死に伴う恩赦が理由だった。戻ってからは「風俗画はもう描かない」と宣言したという。だが『雨宿り図屛風』は、一蝶が配流前から気にかけていたテーマであり、幾多の風俗画を描いた経験に裏打ちされて生まれた名作だった。
雨を楽しむ日本人
平安時代の『源氏物語絵巻』(徳川美術館蔵)の「東屋(二)」には、雨が降る中で光源氏の息子、薫が和歌を詠む場面が描かれている。温暖湿潤な国に暮らす日本人は、いにしえの時代から雨や霧けぶる風景を楽しんできた。筆者は、一蝶が前半生からたびたび描いた『雨宿り図』(下の写真はその一例)も、その系譜にあるのではないかとにらんでいる。
改めて、配流先の三宅島から江戸に戻った後に屛風仕立てで描いた『雨宿り図屛風』を眺めてみよう。
全体の筆致が薄いのは、おそらく雨でかすんでいる情景を表現しようとしたためだ。画面中央の軒下には、琵琶法師、獅子舞、魚売り、武士など、身分を超えた老若男女が集まっている。犬までいるところが心憎く、破れ傘の隙間から顔を覗かせていたり、柱にぶら下がっていたりする子どもがいるのは、何とも楽しそうだ。にわか雨のために図らずも同じ場所で肩を寄せ合うように集まった人々は皆、同じ境遇にいる者として心を通い合わせているのではなかろうか。この風変わりな絵がそこはかとなく親しみを感じさせるのは、おそらくその心が見る者に伝わってくるからだ。
筆者はこの絵の表現に、徳川の世の中が安定を見せてきた中での平和と、一蝶特有の平等志向を見ている。それゆえ、見ていて心地よいのだろうと思うのである。
つあおのラクガキ
ラクガキストを名乗る小川敦生こと「つあお」の、記事からインスピレーションを得て描いた絵を紹介するコーナーです。Gyoemonは雅号です。
今の時代の「雨宿り」といえば、AIならぬ「絵愛」を大切に誰もが仲よくできる傘の下に集まることでしょう。どうか世界に平和を!
展覧会情報
展覧会名:没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―
会場:サントリー美術館(東京・六本木)
会期:2024年9月18日(水)〜11月10日(日)※展示替えあり
公式ウェブサイト:https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2024_4/index.html
参考文献
◎小川敦生「雨を楽しむ(上)」日本経済新聞2023年9月24日付朝刊「美の粋」面