2019年10月5日より、町田市立国際版画美術館で、「浮世絵黄金期」の美人画の名品を紹介する企画展「美人画の時代 ―春信から歌麿、そして清方へ―」展がスタートしました。国内30箇所以上にのぼる美術館や個人コレクターの協力を仰ぎ、およそ240点(前後期で展示替え)で織りなす美人画のベスト盤のような展覧会! 春画の双璧と称される「歌まくら」と「袖の巻」の2作も出展。そもそも浮世絵の「黄金期」とは? 担当学芸員の村瀬可奈さんに「美人画の時代」展の楽しみ方をうかがいました。
80’s&90’s:THE BEST(※200年前)
よく1980年代を洋楽の全盛期と言うように、実は浮世絵にも「黄金期」と呼ばれる時代があります。そして意外に思われるかも知れませんが、この「浮世絵黄金期」には、現在、浮世絵の代名詞のようになっている北斎も広重も、人気の国芳も登場しないのです。
「浮世絵黄金期」とは、主に天明(1781-89)と寛政(1789-1801)の約20年を指します。その時代の浮世絵の主流と言えば、美人画と役者絵。そしてその代表格は、清長、歌麿、写楽といった浮世絵師の面々でした。(長寿だった北斎は、この時代から絵を描いていましたが。)風景画や戯画が人気の近年の感覚とは、ややズレがある「黄金期」と言えるかも知れません。
勝川春章は、北斎の師匠。当の北斎は20〜30代に「浮世絵黄金期」を迎えている。そして広重や国芳が物心つく頃には、ゴールデンエイジは終わっていた!!
さて、多くの人が1980年代の洋楽を高く評価するだけあって、この時代は、強烈なスター性をもったアーティストが多数登場し、「まさにロック」「これぞポップス」と言うべき名曲が次々に生まれました。だからと言って、それ以外の時代にも多くの名曲が存在し、注目すべきムーヴメントがあることも事実ですし、コッテコテの80年代より、70年代の伸びやかさや90年代の軽やかさを好む人も当然います。
「浮世絵黄金期」も、まさにそうした時代ととらえていただければと思います。「黄金期」で浮世絵のすべてを語ることはできませんし、人によって好みは分かれますが、やはりそこには、時代の圧倒的なエネルギーと大衆芸術である浮世絵のエッセンスが凝縮されています。
大首絵形式(バストアップ)の美人画で一世を風靡した喜多川歌麿。細かい差異ではあるものの、一定の美人画の様式の中で、歌麿はモデルの顔の個性を描き分けた。「歌麿が描いた難波屋おきた(※寛政三美人の一人)を見ると、天海祐希さん似の美人だったのかなって思いますね」(村瀬さん談)
喜多川歌麿「青楼七小町 玉屋内 明石 うら次 しま野」寛政6-7年(1794-95)頃、大判錦絵、神奈川県立歴史博物館
花魁(おいらん)、評判の町娘、歌舞伎役者……「浮世絵黄金期」とは、言うなれば、高僧でも武将でもない、市井の人々が絵画の主役になった時代。庶民が自分たちの中にヒーローやアイドルを見出し、自分たちのカルチャーを獲得していく時代とも言えるでしょう。やや大げさに言えば、人が、人を愛で、人に熱狂した時代です。
今回「浮世絵黄金期」の美人画の名品を一堂に揃えた町田市立国際版画美術館の「美人画の時代」展をめぐりながら、あらためて、この時代の「人間を見つめる眼差し」に近づいてみたいと思います。
こんなに多彩! 三つの章で綴る、百花繚乱の「黄金期」
「美人画の時代」展の会場は、3つの章で構成されています。第1章の「“美人画の時代”の系譜」では、まず「黄金期」の歴史を通覧。「黄金期」の少し前の時代から「黄金期」の隆盛までの約40年間を、さまざまな浮世絵師の作品でたどります。人形のような春信の美人から、八頭身の清長の美人を経て、肉感的な歌麿の美人へ……美人(画)の流行は、40年でこうも変わるものかと驚かされます。
続く第2章は、3つのテーマで「黄金期」の作品を見ていきます。「誰を描いているのかー個性の表現」「俗か雅かー肉筆画から紅嫌いまで」「女か男かー役者絵から春画まで」。ここに掲げられた3つの問いは、まさに浮世絵ビギナーが最初にぶち当たる壁とも言えます。「みんな同じ顔に見える」「これって、誰が楽しんだんだろう?」「女なのか男なのか分からない」そうした疑問やとまどいに対して、第2章の作品群は優しく寄り添ってくれるでしょう。
気になるあの娘の家の庭に、ボール(鞠)を放り投げたナンパ男の図。美人画は「美しい女性」単体ではなく「美しい男女」が描かれることも多い。中性的な男女を描いた春信の作品。「美人画の中に登場する男性は、女性と同じような体型、顔立ちが圧倒的に多いんです。マッチョな男性は好まれなかったようですね」(村瀬さん談)
鈴木春信「鞠と男女」明和4年(1767)頃、中判錦絵、千葉市美術館
そして最終章は「わたしたちの浮世絵黄金期」。いつから「黄金期」と言われるようになったのか? なぜこの時代なのか? この章では、後世の評価と「黄金期」の浮世絵を愛した人々を紹介します。そこには、鏑木清方(かぶらききよかた・1878-1972)や上村松園(うえむらしょうえん・1875-1949)といった昭和の日本画家も。実は私たちは知らず知らずのうちに、様々な場所で、この「黄金期」にかたちづくられた美人の面影を目にしているのかもしれません。
会場には男女の性愛を描く「春画」の展示コーナー(18歳未満立入禁止)も。「浮世絵の美人画において重視されたのは、人物の若さと美しさでした。それに対して、春画はあらゆる年齢・身分・容姿の男女(ときには国籍を越えて)を、まんべんなく扱っています。春画を見ることで、美人画が対象とした人物の特徴が、よりわかりやすくなるのではないでしょうか」(村瀬さん談)
喜多川歌麿「歌まくら」天明8年(1788)、大判錦絵12枚組折帖、浦上満氏
あの美人を、ふり向かせたのは誰なのか?
さて、この盛りだくさんの企画展をご担当された学芸員の村瀬さんに「浮世絵における美人の定義ってなんでしょうか」と素人丸出しの質問をしたところ、村瀬さんから返ってきた答えは「視線を集めるひと」というものでした。
美人=視線を集めるひと?! ……てっきり「江戸時代の美人は、細長の目で、鼻筋が通った顔の〜」といった類の、顔立ちに対する回答が返ってくるものとばかり思っていたので、ちょっと不意打ちでした。しかし、さらに村瀬さんのお話をうかがうと、非常に興味深い美人画の鑑賞方法が見えてきました。
村瀬さん:浮世絵美人画の成立を見て行くと、市街の情景を描いた近世の風俗画から、次第に特定の人物を切り取って、美人ひとりを単体で描いていく過程が読み取れます。わかりやすい例では、菱川師宣の「見返り美人」です。(※本展出品作ではありません。)美しい女性が、こちらを振り向く姿で描かれていますが、彼女に声をかける人物や、彼女の注意を引いたものが、彼女の周囲(画面の外側)に想定できます。
な、なるほど……!?
見台の上の布を外して書物を読もうとしていたところだろうか。師宣の作品ではないが、こちらも画面の外に向かって振り向く女性の姿が描かれている。「浮世絵の美人画には、画面の外に視線を投げている女性が比較的多いんです」(村瀬さん談)
鳥文斎栄之「青楼美人六花仙 丁子屋雛鶴」寛政5-6年(1793-94)頃、大判錦絵、神奈川県立歴史博物館
村瀬さん:浮世絵美人画は、作品に描かれているのがひとりでも、画面の外に別の人物がいたり、月が出ていたり、といった状況を暗示させる作品が多いんです。そこに視線のやりとりやストーリーがあります。そのせいか、正面を向いた、カメラ目線の美人画って、あんまりないんですよね。
確かに! 西洋の肖像画は、ドヤ顔でこちらを見ている作品も多いですが、展示室に並ぶ浮世絵の美人たちとは、ほとんど目が合いません。つまり、浮世絵美人画を写真に例えれば、スタジオ撮影ではなく、スナップ撮影。
村瀬さん:西洋絵画の女性の表現に比べると、日本の美人画に描かれている美人は、何を考えているのか、何を思っているのか、ちょっとわかりづらい向きがあるかもしれません。それは一つには、画面の中ですべての状況説明をしていない点にもあると思うんです。かわりに浮世絵美人は、画面に「描かれていないもの」を、鑑賞者に想像させます。そうした分かりにくさを、逆に楽しんでいただければと思うんです。
登場人物の視線が複雑に交差する清長の作品。中央の振袖の女性は、向かいの女性に片方の手を握られながら、隣の女性とおしゃべり。その姿を岸辺の少女が見つめている。猿回しの猿は、波間に浮かぶかもめに興味がある様子。笠をかぶった侍は、何に気づいたのだろうか。画面の中だけで物語は完結しない。
鳥居清長「隅田川渡し舟」天明7年(1787)頃、大判錦絵三枚続、山口県立萩美術館・浦上記念館
作品画面の中ですべてを語らず、「描かれていないもの」を婉曲的に表現するというのは、なんとも日本人らしい感性です。村瀬さんのお話をうかがうまで、筆者は画面に「描かれているもの」ばかりを一所懸命に見ようとしていました。何が描かれているのか。どういう風に描かれているのか。それは結果的に、画面の確認作業のような美術鑑賞になっていたように思います。どこか漫然と展覧会の会場を巡っていたのは、画面の中だけで答え合わせをしていたからかもしれません。
「浮世絵黄金期」は、一部の教養人の楽しみだった浮世絵が、一般大衆向けに広まっていく過渡期でもある。一点物の特注品であった肉筆画と、量産品であった版画では、同じ絵師でも画風が異なる。あらゆる階層の人々の好みと楽しみ方に応えた歌麿。その肉筆画は、情趣にあふれ、どこからか虫の声が聞こえてきそう。
喜多川歌麿「納涼美人図」(重要美術品)寛政6-7年(1794-95)頃、絹本着色、千葉市美術館
村瀬さんがおっしゃるように、「視線」を意識し、画面に「描かれていないもの」を想像しながら改めて展示室の美人画を鑑賞したところ、平面に描かれている美人の周りに、自然と空間が立ち現れていくように感じました。
「歌麿の良さがわからない」のは悪いことじゃない
村瀬さんが、美人画の画面の内外で錯綜する「視線」に気づいたきっかけは、なんだったのでしょうか。
村瀬さん:学生時代、なにげなく見た勝川春章の美人画に「なんか良いな」と思ったんです。私にとっては、今までになく作品の世界観に、すっと入っていけた作品でした。そこから、春章の美人画の研究をスタートして。けれど、研究発表の場で、春章の美人画について「感情表現が豊かである」と述べたところ、指導教諭から疑問を呈されたんです。確かに、中世の絵巻物などには、もっと喜怒哀楽の感情をわかりやすく描写した作品があります。そこで、自分はどうして春章の作品から感情を読み取ったのか、というところを掘り下げてみることにしたんです。
指導教諭の異論にめげず、そこから自分の「なんか良いな」という共感を掘り下げた村瀬さん。
村瀬さん:そして、顔の表情ではない部分から読み取れる感情について考察してみました。美人画の構図を研究していくうちに、作品に間接的に描かれているコミュニケーションから、登場人物の感情を読み取っていることに気づいたんです。
美人画は顔じゃない!? けれど確かに、美人画の要素は、「顔だけ」ではないと言えます。そもそも200年以上前の美人の顔に、現代の私たちが、当時のように反応しているかといえば、おそらく違うでしょう。それでも浮世絵の美人画を見て、「素敵だな」と思ったり「これはなんだろう?」と思ったりするのは、村瀬さんがおっしゃるように、作品を構成するさまざまな要素から、私たちが複合的に美人の感情を読み取っているからなのかも知れません。そして、それは画面の内外で絡み合う視線や会話をほのめかす、浮世絵師たちの巧みな画面構成によるところが大きいでしょう。
眉毛がない! 現代の私たちの感覚では理解しがたい、江戸時代の既婚者のお歯黒や子持ちの眉剃り。眉毛がないぶん、余計に表情が読み取りにくいが、のけぞり気味の姿勢や手紙を握りしめる手から、どこか必死さが伝わってくる。顔の表情以外の部分から、私たちが感情を読み取っている一例。
喜多川歌麿「婦女人相十品 文読む女」寛政4-5年(1792-93)頃、大判錦絵、太田記念美術館
村瀬さん:浮世絵に、これが正しい見方、っていうものは、ないと思うんです。名作と言われるものにいまいちピンとこなかったり、逆に周りの人が無関心なものに心惹かれたり……その経験や自分の価値観を、否定しないでほしいと思います。「分からなければならない」という思い込みが、本当に自分の心のフックにひっかかる作品との出会いの障害になってしまうのは、もったいないな、と。
「分からない」ことも大切な経験。確かに、食べ物でも音楽でも、自分の本当の「好き」にたどり着くまでには、それなりの当たり外れを経験します。安直に、美人画鑑賞のハウツーを指南いただこうと思っていた筆者は、村瀬さんの言葉に襟を正す思いでした。
実はこれまで、歌麿の作品を所蔵していなかった町田市立国際版画美術館。かねてから「歌麿作品を見たい」との要望も多く、町田市のふるさと納税を活用して、3年間で185.5万円を集め、このたび歌麿作品を購入した。コレクションにお迎えしたのは、楽しげに語り合う若い男女。なんとも粋なふるさと納税だ。
喜多川歌麿「当世好物八景 はなし好」享和元-2年(1801-02)頃、大判錦絵、町田市立国際版画美術館
村瀬さん:ボストン美術館の日本美術コレクションの形成に尽力したE・フェノロサ(1853-1908)は、清長を絶賛していて、歌麿の評価はきわめて低いんです。鏑木清方も、「黄金期」の美人画を幅広く学習していますが、歌麿よりも春章や栄之が好きでした。必ずしも、みんながみんな「美人画の最高峰=歌麿」と言っているわけではないんです。この展覧会が、皆さんそれぞれの好みの美人画に出会う機会につながれば嬉しいです。
春信から歌麿、そして時代を越えて清方まで。まばゆい「浮世絵黄金期」をめぐる、絵師・画家たちの豪華競演。きっと「美人画の時代」展の会場で、好みの美人に出会えることでしょう。ご自身の直感を大切に、そしてぜひ、そこに生まれた共感を掘り下げてみてください。浮世絵の鑑賞に限らず、日々の暮らしにおいても、さまざまなものに気づき、視野を広げるきっかけに、つながることと思います。
週末は錦秋の芹が谷へ! イベントも目白押し
町田市立国際版画美術館は、町田駅(小田急線・JR横浜線)から徒歩約15分。住民の憩いの場である、芹が谷公園の南端に建っています。街中の雑踏を離れ、雑木林に囲まれた公園は、これからの時期、紅葉も楽しめて秋のおでかけにぴったり。会期中の週末には、作品鑑賞をより深める講演会やご家族で楽しめる体験講座も多数開催予定です。(各イベントの詳細・申込みについては、公式サイトをご参照ください。)
芹が谷公園の中にある緑に囲まれた美術館。平日は、放課後の学生たちの姿がちらほら。
近年、著名な海外の美術館のコレクションをまるっと持ってくる「○○美術館名品展」という展覧会が増える一方で、一貫したテーマ性のもとに、国内各所に散らばるコレクションを選りすぐって展示する展覧会は、浮世絵に限らず、全体的に減ってきているように思います。(実際に後者の方は、企画段階から非常な労力を要するので。)「浮世絵黄金期」の美人画の優品たち。これを逃すと、しばらくお目にかかれないかもしれません。
「美人画の時代」展は、版画専門の美術館として、同館がこれまでに培ってきた実績と信頼、そして何より担当学芸員の熱意があればこそ実現した展覧会でしょう。前後期で大幅な展示替えがあるので、ぜひ両会期、足をお運びください。半券提示で100円引きになるリピーター割引もありますよ!
◆美人画の時代 ―春信から歌麿、そして清方へ―
会 期 2019年10月5日〜11月24日
(前期:10月5日~27日/後期:10月29日~11月24日)
会 場 町田市立国際版画美術館(東京都町田市原町田4-28-1)
休館日 月曜日 ※10月14日(月・祝)、11月4日(月・振休)は開館
翌10月15日、11月5日(火)は休館
時 間 平日:10:00〜17:00(入館は閉館30分前まで)
土日祝日:10:00〜17:30(入館は閉館30分前まで)
展覧会公式サイト
取材協力:村瀬可奈、町田市立国際版画美術館(敬称略)
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和樂webには、浮世絵や江戸文化にまつわるコンテンツが盛りだくさん。その中から、今回ご紹介した「美人画の時代」をより多角的に楽しめる記事をご紹介します。ぜひ、展覧会とあわせて、読書の秋をお楽しみください。
①そもそも「浮世絵」とは? 版画と肉筆の違いって? まずはこちらから!
浮世絵とは?代表作と絵師たちをまとめて解説!
②美人画は顔だけじゃないとは言うものの・・・江戸時代の理想の美人顔って?
美白テクからニキビの治し方まで!江戸版おしゃれマニュアル『都風俗化粧伝』を読んでみた(文・進藤つばら)
③なんだかんだ言っても、やっぱり歌麿でしょ!
喜多川歌麿とは? 3分ですべてがわかるその人生
④春画コーナー、なんで18歳未満は入れない?
9/28公開!映画「春画と日本人」に見る忖度の構造、大墻監督インタビュー(文・松崎未來)