日本美術の展覧会に行くと、江戸末期や明治初期に白黒で撮影されたサムライの肖像写真や、古城・寺社仏閣など有名な建築物を写した古写真などを見かけることってありますよね。
こうした古写真には、思わず足を止めて凝視せずにはいられない不思議な魅力があります。現代とはまるで違う景観の中に、文化財だけが今とさほど変わらない姿で写り込んでいる作品を見ると、まるで異世界の中を覗き見しているようなスリリングな面白さが感じられます。
そんな妖しい魅力満載の古写真、とりわけ非常に珍しい国宝文化財の記録写真ばかりを集めた『国宝ロストワールド』という読み物がこの秋小学館から発売されました。早速読んでみましたので、内容・見どころを簡単に紹介したいと思います。
写真の美しさと解説の充実ぶりが凄い『国宝ロストワールド』
実はこの『国宝ロストワールド』は、何もないところから出てきた出版企画ではありません。表紙に巻かれた帯の右下に書かれているように、2017年9月~2018年9月にかけて小学館から刊行された分冊雑誌『週刊ニッポンの国宝100』の巻末連載「写された国宝」を抜粋し、コラムや解説を増量して再編集したスピンオフ企画なのです。
本書では、日光東照宮、法隆寺夢殿、東大寺大仏殿といった日本を代表する建造物から、中宮寺菩薩半跏像、興福寺阿修羅像といった誰もが一度は見たことのある有名な仏像まで、徹底的に国宝を写した古写真を特集。明治、大正、昭和に撮影された全33枚の選びぬかれた美しい国宝写真を発色の良い美しい印刷で楽しむことができます。
取り上げられた写真家は、全部で21名。明治初期に記録写真という分野で活躍した知られざる写真家から、文化財写真を芸術作品へと押し上げた昭和の巨匠まで、日本の文化財写真撮影の歴史を体当たりで作り上げてきた偉大な写真家達についても、丁寧に掘り下げられて解説が加えられています。筆者もリアルタイムで『週刊ニッポンの国宝100』は購読していましたが、こうして一つの書籍にまとめられると、記録写真の通史を味わえる新たな面白さが感じられました。
大正13年(1924)頃 ゼラチン・シルバー・プリント 28.0×22.8cm 飛鳥園 奈良
本書の特徴は単なる写真集ではないこと。読み物として非常に良く出来ているのです。
たとえば上記ページを御覧ください。写真が大きくクローズアップされる一方で、解説のテキスト量が非常に充実していますよね。撮影対象、撮影者の紹介に始まり、その写真が撮影された経緯やエピソード、使われた撮影技法、鑑賞時のポイント、そしてなぜその写真が重要なのか写真史・美術史の流れを踏まえてデータ満載で解説されています。
通常こうした書籍の場合、専門用語が山程出てきて初心者は置いていかれ気味になるところですが、本書は非常に専門的である一方、初心者でもわかるようにしっかり構成されているのが素晴らしい。マニアックなのにわかりやすいという、一見矛盾したように見える要素をハイレベルな編集でまとめてくれています。実際、一眼レフを完全にもてあましている写真初心者の筆者でさえ、読み始めたら最後まで苦もなく読み通すことができました。難読語や固有名詞には、すべて隅々までふりがなが振ってあるのもポイント高し。
それでは早速中身を少しだけご紹介しましょう。
おおらかで見ていて楽しい明治の国宝写真
左:明治41年(1908年)以前 コロタイプ印刷 26.7×20.7cm『日本精華』第1輯より 入江泰吉記念奈良市写真美術館/右:明治35年(1902)以前 コロタイプ印刷 27.7×19.5cm 『日本精華』第1輯より 入江泰吉記念奈良市写真美術館
本書を順番に読んで行くと、明治時代に撮影された国宝写真に写っている文化財の姿は今と随分様子が違っていることに気付かされます。たとえば、上の写真(右)にある興福寺の至宝・国宝「阿修羅像」。学校の教科書にも掲載される奈良時代を代表する有名な国宝ですが、よーく見てみると阿修羅の腕が2本折れていますね?!(ためしに阿修羅像とググってみてください。すぐに違いがわかります)
古代から伝わる日本屈指の仏像が、なぜこんなことになっているのでしょうか?それは、明治時代初期に吹き荒れた廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動の影響でした。明治元年に布告された神仏分離令によって仏教排斥運動が高まり、全国各地の寺社仏閣は荒廃していったのですね。その後、明治35年~38年にかけて仏像は無事に修復を終えて今の姿へと蘇ったそうですが、良くも悪くも当時の現状を冷徹に伝える記録写真の価値がじわじわと実感できる1枚でした。
また、上の写真(左)を見てみましょう。由緒ある文化財としてのオーラが今ひとつ感じられない画像ですが、これはなんと法隆寺の秘宝、国宝「玉虫厨子」なんです。うーんどうしてこんなに普通っぽいんだろうと思ってしばらく解説を読んでいたら腑に落ちました。なんと建物の外に出して、太陽の明るい自然光の下で撮影していたのですね。
貴重な文化財に太陽の直射日光とかマズいのでは・・・と思ったのですが、よく考えてみたら、この作品が撮影された20世紀初頭は写真技術などもまだまだ未発達だったわけです。フラッシュ撮影なども安全性・信頼性に問題があり事実上使用できなかったので、暗いお堂の中では詳細な厨子の全体像をきちんと撮影することが難しかったのでしょう。でも何とか正確に記録には残しておきたい。そこで現代なら禁断ともいえる、明るい光を求めて屋外撮影に踏み切ったというわけです。今なら絶対に許されないようなシチュエーションで撮影された、明治ならではの記録写真を楽しんでみて下さい。
重文 明治21~22年(1888~89)プラチナ・プリント 20.8×26.2cm 東京国立博物館 Image:TNM Image Archives
極めつけがこちらの興福寺の仏像オールスターが集結した謎の写真。興福寺境内の東金堂(興福寺の記録によると旧中金堂)に、金剛力士像や法相六祖坐像、迦楼羅像、阿修羅像、無著菩薩立像・世親菩薩立像など、興福寺の名だたる国宝がさながら「アベンジャーズ」のように全員集合して一つの写真に仲良く収まっているのです。
お堂の中が妙に明るいのは、扉を全開にして自然光を取り入れていたからなのでしょう。よく見ると無著菩薩立像が持っているはずの持物を世親菩薩立像が持っています。さらに、奥に窮屈そうに置かれた阿修羅像には謎の御札が貼付されていますよね。未だ廃仏運動による混乱の影響が続く明治初期に、持てる技術・リソースを駆使して何とか良い記録写真を残そうと創意工夫を重ねた当時のカメラマンたちの苦心の跡が感じられますよね。
知られざる記録写真の名人たち
左:明治42年(1909)プラチナ・プリント 約33×41cm 宮内庁宮内公文書館/右:明治42年(1909)プラチナ・プリント 約33×41cm 宮内庁宮内公文書館
上記で見てきたように、技術的な制約、人々の関心レベルも現代とは大きく異なっていた明治期の国宝写真には、現代の基準では到底考えられないような面白さがあります。しかし彼ら写真黎明期に活躍した記録写真家たちの尽力がなければ、今のような文化財保護制度は成り立たなかったでしょう。
なぜなら、日本各地に何十万点も存在する様々な文物・美術品を比較検討し、価値に優劣をつけてわかりやすく整理分類するには、客観的な記録がどうしても必要だからです。たとえば、室町時代に足利家所蔵の唐物をまとめた『君台観左右帳記』や、江戸時代屈指の大名茶人松平不昧が日本各地の茶道具の名品を記録した『古今名物類聚』をはじめ、歴史を振り返ると過去にも何度か大規模に文化財の格付けと記録が試みられてきましたが、いずれも国民的レベルで共有されるには至りませんでした。職人が一つ一つ絵で描いてまとめているのでは効率が悪すぎますし、なにより客観性を欠いてしまいますよね。
その点、写真は違いました。現代に比べれば技術的な制約は大きかったにせよ、彼らの尽力によって誰が見ても納得できる、客観的な記録を残すことができました。また、手描きのイラストに比べると、効率よく大量に記録を残せるようになったので、網羅性も確保できたのです。これにより、美術史的・歴史的な専門調査が一気に進み、信頼に足る国宝制度の土台が築かれたのです。
本書では、そういった国宝制度の裏側で記録写真に情熱を注いだ知られざる写真家をコラムで解説。特に読んでいて胸が熱くなるのが著者のひとり、岡塚章子氏が14ページにわたって書き下ろした渾身のコラム「文化財撮影の歴史を切り拓いた3人の写真師の物語」です。
写真術を学ぶため、幕府の軍艦に乗り込んで上海に渡って師匠を探した横山松三郎。アメリカ艦隊に乗り込んで単身渡米し、最新の写真印刷術を学んで帰国してから日本初のコロタイプ写真製版・印刷・出版業で実績を積み、写真分野で日本初の帝室技芸員にまで上り詰めた小川一眞。日本の古美術品が破壊や海外流出で荒廃していることに危機感を抱き、文化財撮影を行うため故郷の徳島を離れ奈良・猿沢池で美術専門の写真館を開業して精力的に活動した工藤利三郎。
彼らの並外れた写真への情熱と、考えるより先に動き結果につなげていった大胆な行動力には非常に頭が下がる思いでした。これからなにか新しいことに挑戦しようとする人は必読のコラムだと思います。
文化財写真を「芸術」に高めた男たち
大正13年(1924)頃 ゼラチン・シルバー・プリント 28.0×22.8cm 飛鳥園 奈良
さて、混乱の写真黎明期を乗り越え、大正後期~昭和初期に時代が移り変わると、文化財写真は次第に撮影者の個性や美意識が反映された芸術写真へと変化していきます。たとえば、こちらの中宮寺菩薩半跏像の写真を見て下さい。背景が漆黒の闇で覆われ、ほのかに照らされた絶妙な光によって、菩薩半跏像の中性的な優しい表情や優美な曲線のボディのシルエットが浮かび上がっています。
まるでレンブラントやカラヴァッジョのバロック絵画を連想させる強烈な光と闇の対比の中で、仏像の持つ神々しい精神性が強調されており、非常にアーティスティックな仏像写真に仕上がっていますよね。
実際、記録写真の概念を超越した小川晴暘の荘厳な仏像写真は、当時の学術研究者に衝撃を与えるとともに大評判になりました。和辻哲郎『古寺巡礼』の表紙や、50円切手のデザインにも戦後長く採用されているので、一度は目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
昭和60年(1985)入江泰吉記念奈良市写真美術館
本書後半では、小川晴暘の他にも文化財写真を美術作品へと変えた巨匠たちの代表的な国宝写真が登場。仏像の細部や決定的瞬間にこだわって撮影した土門拳、実写版やまと絵のようにノスタルジックで幻想的な大和路の風景写真を得意とした入江泰吉、建築物を幾何学的に切り取る近代的な空間表現を得意とした渡辺義雄など、同じ国宝を題材にしても各作家の個性が見事に反映した作品群は非常に味わい深いです。
クローズアップされる文化財写真の大切さ。
重文 大正13年(1924)ゼラチン・シルバー・プリント 12.0×17.0cm 沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館
最後にぜひ紹介しておきたいのが、こちらの首里城正殿を写した古写真。
読者の皆様も御存知の通り、琉球文化の粋を伝える国宝・首里城の大半が誰もいない夜中に全焼してしまうという痛ましい事件がありました。火事の原因は究明中とのことですが、本当に残念でしたよね。報道によると警備システムなどは一応作動していたようですが、電源がショートした可能性など、様々な原因が推測されています。
実は今回焼失した首里城は、再建された2代目でした。琉球王国時代から沖縄県に引き継がれた初代は、1945年の沖縄戦で全焼。その後、長い間更地のままになっていましたが、その後約30年かけて再建プロジェクトが進められたのです。その復元にあたって大きく寄与したのが、本書にも掲載されている鎌倉芳太郎が撮影した一連の記録写真だったのです。
日本の文化財建物はそのほとんどが木造建築です。たとえば2018年に落成した興福寺中金堂は戦乱や火災で過去7回も焼失していますし、東寺五重塔も雷や不審火で過去4回焼け落ちています。今回の首里城のような事態がいつまた別の場所で起きても不思議ではないんですよね。
いつ失われてもおかしくない、かけがえのない文化財だからこそ、貴重な今の状態を確実に将来の世代へと受け継いでいく記録写真を残しておくことは非常に重要であるのだな、と改めて認識させられた一件でした。
写真ファン・アートファン両方におすすめしたい『国宝ロストワールド』
機転と創意工夫を重ね、記録を取ることで精一杯だった写真黎明期の素朴な記録写真群。今はもう失われてしまった古墳内部の色鮮やかな彩色壁画や、火事で焼失した建築物。そして作家の美的感覚が十二分に発揮された美術写真。
本書では、時代の流れに応じて生み出された様々なタイプの文化財写真が楽しめます。
写真の珍しさ・美しさに注目してパラパラめくって気軽に楽しむのもありですし、しっかり解説を読み込んで写真史・美術史に思いを馳せるのもまた一興。文化財写真の名手たちによって撮影された国宝が見せる意外な表情をぜひ堪能してみてくださいね。
書籍情報
『国宝ロストワールド 写真家たちがとらえた文化財の記録』
著者/岡塚章子、金子隆一、説田晃大
定価/1600円+税
判型/A5判
頁数/112頁
オールカラー
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