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2021.03.01

2020年のパスポート新デザインに起用された北斎の赤富士・黒富士の謎に迫る!

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星に願いを。北斎は占い男子だったかも!?

と、ここで僭越ながら筆者の推測を少々。中国古来の占いである「八卦」(「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の「八卦」)の思想では、8つの卦のうち、「巽(=風)」と「震(=雷)」の2つが青色と結びつけられています。

八卦の相対表
色や属性は、さまざまな考え方や組み合わせがあるため、ここに提示しているのはあくまで一例。

当初「藍摺」の構想、つまり青がテーマであった「富嶽三十六景」のシリーズにおいて、北斎は青色と関連する八卦の「巽(=風)」と「震(=雷)」を、シリーズ中の双璧として、富士山で描こうとしたのではないでしょうか。そこから「凱風」「白雨」という気象のキーワードが生まれてきた、と筆者は推察します。浮世絵版画の制作過程では、絵師が最初に描く版下絵の段階では、色彩については暫定でしかありません。もしかしたら、最初は「凱風快晴」も「山下白雨」も、北斎は真っ青な富士山を想定して下絵を描いていたのでは……。

北斗七星を信仰していた北斎の作品には、ときおり天文学や占いへの関心もうかがえます。晩年の作品の落款(サイン)部分には、富士山と八卦の記号(「兌」あるいは「巽」)を組み合わせたような判子も。陰陽道や五行思想に明るい方が北斎の「富嶽三十六景」を観れば、赤/黒富士に隠された裏テーマが見つかるのでは、などと考えています。

「赤富士」と「黒富士」は、風神さんと雷神さん?

さて、素人の空想はそこそこにして。この「赤富士」と「黒富士」について、興味深い見解を発表している浮世絵研究者がいますので、ご紹介しましょう。
國學院大学の藤澤紫教授は、この「赤富士」「黒富士」が「北斎流の風神雷神の見立て」ではないかとおっしゃいます。なるほど、南風を受けて赤く輝く富士山に風神の姿を、雷雲の上にそびえる真っ黒な富士山に雷神の姿を重ねているというわけです。

風神雷神説の根拠として、藤澤先生は、北斎が30代の一時期に「俵屋宗理」という名前で活動していたことを挙げています。日本美術が好きな方なら、ピンときたかも知れません。そうです、建仁寺の国宝「風神雷神図屏風」の作者、俵屋宗達(生没年不詳)。俵屋宗理を名乗っていた時期の北斎の画風は、勝川派や歌川派といった浮世絵のいずれの流派の画風とも異なり、なんらかのかたちで、俵屋宗達の流れを汲む琳派の影響を受けていたことが考えられます。

宗達は京都の人ですが、その系譜に連なる尾形光琳・乾山の兄弟は、それぞれ江戸に滞在している期間があり、そこで「江戸琳派」の土壌が形成されました。そして江戸琳派の祖であり、北斎と同世代の酒井抱一(1761-1828)が、光琳の百年忌を機に、展覧会や『光琳百図』といった出版物を通じて、光琳の作品を広く世に紹介したのです。このような動向に、北斎が無関心であった筈がありません。

宗達の緑の風神さんと白い雷神さんを、北斎が実際に見ていたかはわかりませんが、風神雷神は、琳派の絵師たちにとって、もはや避けて通れない画題。光琳も抱一も、風神雷神図を描いています。森羅万象を描いた北斎が、琳派からの学習を通じて、風神雷神というモチーフに対して興味を持っていたとしても、なんら不思議はありません。宗達が描いたひょうきんな表情の風神雷神とはだいぶ趣は異なりますが、北斎も『北斎漫画』の中で、袋を持った風神と太鼓を背負った雷神の姿を描いています。

藤澤先生は、この風神雷神説について、以下のようにお話しくださいました。

多くの日本美術の作品には、制作者から鑑賞者へ向けたさまざまなメッセージが隠されています。私は、そうした謎解きを、ぜひ多くの方に楽しんでいただきたいと思っています。
北斎が「冨嶽三十六景」を描いたのは70歳を過ぎてから。現代の私たちは、彼がその後も90歳まで生きることを知っていますが、当時の日本人の平均寿命を考えれば、おそらく本人も周りの人々も、「冨嶽三十六景」こそが彼の70年の人生の集大成になるだろうと思っていたはずです。北斎が、それまでの学習や経験の全てを注ぎ込んだこのシリーズには、まだまだたくさんの仕掛けや彼のエスプリを読みとることができると思います。
そして、日本国内はもちろん、海外からの文化や情報を積極的に摂取していた北斎のマインドは、常に海の向こうにまで開かれていたと思います。そうであればこそ、「神奈川沖浪裏」に代表される「冨嶽三十六景」は、国境を越えて、世界中の人々の心に届くのではないでしょうか。

北斎の「冨嶽三十六景」の中でも別格の存在である「赤富士」と「黒富士」。先生がおっしゃるように、いろいろな楽しみ方があると思います。皆さんは、この二つの富士山の姿を、どのように解釈しますか?

「冨嶽三十六景」だけじゃない! 富士を究めた北斎の展覧会が原宿で開催中

さて、今回ご紹介した「冨嶽三十六景」だけでなく、北斎は長い生涯を通じて、何度も富士の姿を描きました。そんな北斎の、霊峰への飽くなき挑戦を識ることのできる展覧会が、現在、東京・原宿の太田記念美術館にて開催中です。残念ながら「黒富士」の展示期間は終了してしまっていますが、現在「赤富士」が展示中。会場で、赤/黒の富士山誕生のヒントを、ぜひ見つけてくださいね。

太田記念美術館「没後170年 北斎ー富士への道」展覧会チラシ
太田記念美術館「没後170年 北斎 —富士への道」展覧会チラシ

◆没後170年記念 北斎 —富士への道
会 期 2019年4月4日〜5月26日(前期:4月4日〜29日 後期:5月3日〜26日)※前後期で全点展示替え
会 場 太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前1-10-10)
休館日 4月8日、15日、22日、30日、5月1日、2日、7日、13日、20日
時 間 10:30〜17:30(入館は閉館30分前まで)

公式サイト

取材協力/藤澤紫、太田記念美術館

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書いた人

東京都出身、亥年のおうし座。絵の描けない芸大卒。浮世絵の版元、日本料理屋、骨董商、ゴールデン街のバー、美術館、ウェブマガジン編集部、ギャラリーカフェ……と職を転々としながら、性別まで転換しちゃった浮世の根無し草。米も麦も液体で摂る派。好きな言葉は「士魂商才」「酔生夢死」。結構ひきずる一途な両刀。