近年の刀剣ブームの担い手は主に女性です。しかし、刀剣に関わる職人は今も男性の比率が非常に高いのが現状。女性だからできない、女性には無理、そんな風に思っていませんか?
でも、調べていくとちょっと様子が違うよう。今回は江戸時代に活躍した女性刀工・大月源(おおつきげん)と、刀剣製作にまつわる職業についてご紹介します。
刀職の種類と役割
刀剣製作は、昔も今も分業制で行われています。刀を作る人、研磨して仕上げる人、金具を作る人、刀身を保護する鞘を作る人、外装を美しく仕上げる人など。
作業は通常、あまり人目に触れる場所では行われていません。岡山県瀬戸内市の備前刀剣博物館では一年を通じて工房見学が可能ですが、その他は神社の奉納行事と、伝統工芸のイベントでの実演があるくらいでしょうか。
そもそも刀職(とうしょく)とはどんなもので、どんな種類があるのでしょう?
刀工(とうこう)
大元となる刀を作るのが、刀工です。刀鍛冶(かたなかじ)・刀匠(とうしょう)などとも呼ばれ、素材の鋼から形を作り、刃文を焼き入れ、作者の名前を持ち手部分となる茎(なかご)に刻みます。鍛冶押し(かじおし)と呼ばれる研磨を行って完成形をイメージできる段階まで整えたら、研師に託します。
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研師(とぎし)
刀工が作って姿を整えた刀を、さらに細部まで研磨して精緻に仕上げていくのが研師です。研磨の工程は10以上にも及び、刀、と聞いて思い浮かべるような刃長70センチくらいの長さのものを仕上げるには、だいたい10日~2週間ほどかかります。
仕上げの工程では、京都で採掘される天然砥石を今でも使用しています。仕上げ用の砥石の代用品は、現在の技術をもってしても人造砥石として完成していないのです。
研師は、錆が出たり刃こぼれを起こしたりしてしまった刀の修復作業も行いますが、研磨は不可逆な摩耗であるため、できるだけ研がなくてよい状態に保つことが刀剣にとって重要となってきます。
また、一度研磨を失敗してしまうと元の姿には戻らず、場合によっては致命傷となってしまうこともあるため、刀身の修復作業は専門家に任せることが鉄則です。
白銀師(しろがねし)
刀身に付けられている金具「鎺(はばき)」を作るのが白銀師です。鎺は一見シンプルなものに見えますが、非常に重要な役割を持っています。刀を納めておく鞘の中で刀身を固定する、壊れやすい箇所を保護するなどの実用面、施される細工の美しさのみならず、刀身の見た目のバランスを整え補うといった調整役も担っている、縁の下の力持ちなのです。
地域によって特色あるデザインも存在し、刀身や外装とのコーディネートを楽しめる、おしゃれな金具となっています。
鞘師(さやし)
刀身を保護する鞘を作るのが鞘師です。鞘は朴(ほお)の木を刀身の形に合わせて削っていく特注品で、基本的には本来の組み合わせ以外合わないので、「元の鞘に収まる」「反りが合わない」などの言葉が生まれました。
鞘内は、数ポイントが接触することで刀身を支える構造となっているため、刀身を傷つけることなくスムーズに出し入れできる内部構造を作る技術が必要とされます。
柄巻師(つかまきし)
刀の持ち手部分である柄(つか)に、紐を巻く職人です。巻く、といってもただ単に巻いていけばよいわけではなく、高度な技術が求められる専門職。巻き方のバリエーションや美しさ・強度だけでなく、柄と刀身を留める目釘穴の位置に合わせた最適な紐選び・柄に巻く糸の下の鮫皮(さめがわ:実際はエイの一種であることが多い)の材料選びや処理など、求められることはたくさんあります。きりりと巻かれた上質な柄巻には、それだけ眺めていてもうっとりさせられる気品を感じます。
また、柄糸(つかいと)を巻いたときにきれいに仕上がるよう、鞘師が作った柄を削って調整するのも柄巻師の仕事です。
塗師(ぬし)
鞘の外側を漆で塗って美しく仕上げていくのが塗師の仕事です。
刀剣の鞘塗りから生まれた漆の技術もあるほど、刀剣と漆の関係は深いものとなっています。
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金工師
鐔や目貫(めぬき)・小柄(こづか)・笄(こうがい)・縁頭(ふちがしら)など、刀剣にまつわる様々な外装金具を作るのが金工師の仕事です。装剣金工(そうけんきんこう)と呼ばれることもあります。
時代が下って江戸時代になると、特に鐔は実用を離れた鑑賞品としても発達していきます。そのため、華やかな技巧が凝らされたものもたくさんあり、手のひらの美術品として人気を集めています。
また、刀身に彫刻を施していくのも金工師の仕事の1つです(刀工本人が行うこともあります)。
女性の刀職はどのくらいいる?
刀工を除いて、刀職には特別な資格が設けられていません(刀工は国家資格)。そのため、はっきりした数字はなかなか把握できませんが、2020年現在、修業中も含めて全国に女性刀職は、研師は5~6名(男女全体で60~70名程度)、白銀師は2~3名(全体で15~20名程度)、柄巻師は1~2名(全体で10名程度)、金工師は3~4名(全体で15~25名程度)くらいいるでしょうか(塗師については、刀剣専門ではない場合が多いため、不明)。なお、この人数のうち、男女とも専業刀職は非常に少ないのが現状です。
研修会やコンクールに参加するなど、刀職に興味を持つ女性が少しずつ増えてきている印象を受けます。
大月源とは?
とはいえ、刀を作る刀鍛冶については、やはり体力面から女性に不利な部分があります。2020年7月現在、国家資格を持つ女性刀工はいません(男性有資格者は300名程度)。鉄を鍛える際に使う大鎚(おおづち)を持たせてもらったことがあるのですが、約8キロの重さは、持ち上げて頭上まで振り上げることはできても、正確なコントロールで狙った箇所を確実に叩くとなると非常に難易度が高いものでした。それを相当な速度で繰り返すのですから、男性であってもとても鼻歌まじりとはいきません。通常業務として大鎚を振るう刀鍛冶にマッチョが多い理由を、深く納得させられた経験でした(スレンダーに見えても、だいたい細マッチョです)。
しかし、江戸時代中~後期に女国重(おんなくにしげ)と呼ばれる女性刀工が現れます。大月源(おおつきげん)、備中(現在の岡山県西部)の地で活躍した刀工・大月伝十郎(おおつきでんじゅうろう)の娘です。
大月源・作刀事始めの逸話
大月源・通称お源(げん)には、こんな逸話が残されています。
お源は、名工・備中水田(びっちゅうみずた)の流れを汲む荏原国重(えばらくにしげ)派の家系に生まれました。
16歳の時に父と死別し、伯父・伴十郎(ばんじゅうろう)に育てられたのですが、伯父もお源が21歳にときに病に倒れます。伯父はお源に刀工の家系を絶やさないようにと懇願し、それに感じ入った彼女は口伝で作刀の秘伝を授かりました。
必死に修業したお源ですが、なかなか思うようにいかず悩んでしまい、氏神様に100日の願掛けをします。その甲斐あってか、諸国修業の旅をしていた刀工・筑紫(つくし・ちくし:現在の福岡県)の信国(のぶくに)に出会います。信国はお源の資質を見抜いて丁寧な指導を行い、以後、お源は遠国にも知れ渡るような素晴らしい刀を造ったのでした。
その後、父や伯父と同じく刀工だった12代甚兵衛国重(じんべえくにしげ)と結婚しますが、甚兵衛は病のため、刀を作ることができません。お源は家系存続のため、自ら作刀に励み息子へと技術を引き継ぎ、文化5(1808)年、76歳で生涯を閉じました。
お源さんはどんな刀を作った?
お源の作った刀が、数本現存しています。すべて刃長1尺(約30センチ)以内の短刀で、これは体力面で長いものを作るのが難しかったためと考えられています。
作品には、どこか温かみのある、柔らかい雰囲気を感じます。息子が狩野派の絵師に描かせたという肖像画にも、鋭いながらも優しいまなざしを見て取ることができます。
お源は小柄ながら体つきはがっしりしており、腕も太かったと伝えられていますが、あの大鎚の重さを考えると納得。
女性と刀職
男性にしか許されていない職業と思われがちな刀職。しかし、男女平等運動の機運が高まる近年以前から、女性の刀職はいたのでは、と考えられています。それは、刀剣1振を仕上げる際に要する時間と刀剣の需要量を考えると、女性が関わっていないと看做すほうが難しい、という見地によるもの。
江戸時代以前の絵画には女性が刀に関わるものが見られないのですが、これは当時、性別含め、実際とは異なる表現がまま見られたことから、鵜吞みにすべきものではありません。
また、「刀は武士の魂」という言葉が出現するのも、幕末ごろ。この言葉も、だから女性は刀に触れるな、とは続きません。江戸時代以前、女性が武器をとって戦うこともあった世の中において、刀に触れるな、などと言われるはずもなかったのです。
そして近代、戦時中に撮影された写真には、たくさんの女性が工場で刀剣を研磨する光景が収められています。
女性は刀に触れてはいけない、そんなことが言われていたのは、日本史上、ごくごく短期間のことだったのですね。
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アイキャッチ画像:V&A museumより