すっかり日々の暮らしの必需品になってしまったマスク。現代では、主に感染症の防止を目的に利用されるマスクですが、人類は「仮面」としてのマスクを、文字がなかった時代から洋の東西を問わず愛用してきました。
そんな仮面に魅せられてしまった人がいます。アメリカ・アリゾナ州の民俗学者、アーロン・フェルメスさん。ご自身が長年収集してきた世界各地の仮面数百点以上を「オンライン・ミュージアム」としてウェブ上に公開しています。
非営利で運営されているウェブサイト「Second Face: Museum of Cultural Masks」では、仮面は顔を隠すもの、つまり「第2の顔」であるという点に着目してアーロンさんが集めたすべてのコレクションを、誰もがいつでも見ることができます(解説は英語のみ)。
仮面だけを集めた世界で唯一のオンライン博物館。
早速アクセスしてみると、日本の能狂言で使われる面はもとより、アジア、アフリカ、南北アメリカなど、世界各地で使われてきた仮面がずらり。アフリカと日本の不思議な共通点や、アジアと南アメリカに共通する特徴など、かなりニッチなジャンルだけれども眺めているだけでも絶妙に面白い!
せっかくなのでアーロンさんにオンラインでインタビューし、仮面の歴史について詳しく解説してもらいました。
世界5大陸から集めまくった「仮面」たち
まずはアジアの仮面コレクションを見てみましょう。
サイトのトップから「galleries」を選ぶと、世界の地域が選べますので「asia」を選んでみます。
収集されているのは、日本をはじめインド、ネパール、韓国、スリランカ、インドネシア、ブータン、中国、タイなどさまざまな国の仮面。怖い顔から動物の顔を模したもの、木の質感が残る素朴なものから金ピカに飾ったものまで、バリエーションもさまざまです。
日本からは、雅楽の中で使われる舞楽『蘭陵王』の仮面もありました。
解説を読むと、どの地域で使われていたものかはもちろん、作者、何に使われていたものか、材質、年代など、それぞれとても詳しく書かれています。
これは狂言で使われる「小天狗」の仮面。1960年代に制作され、木製の面の表面を漆と銅で加工しているとの説明が。
解説では「天狗」についても、非常に詳しく説明されています。
国ごとではなくタイトル順に並んでいるので、日本の仮面もある意味アジア各地の仮面とランダムに並んでいます。
「これは日本のものかな」と思って解説を見てみるとバリ島のものだったり、ブータンのものだったり。
日本の文化はアジアの中でもある種特異なものだと(勝手に)思っていましたが、仮面の世界では案外見分けがつかないのもおもしろいです。
「日本の仮面はプヌ族の仮面に似ている」
アーロンさんに尋ねてみました。
――日本の仮面にはどのような特徴がありますか?
アーロン:日本の仮面には私自身も非常に興味を持っていて、これまで京都はもちろん、鹿児島やその他の各地を訪れて仮面を収集してきました。ただ、日本の仮面とはどのようなものかをカテゴライズするのは非常に難しいんです。
強いて言えば、日本の仮面は木材をはじめ、和紙や革など、材質が多彩であることにまず一つ特徴があります。木材は世界で最も人気のある仮面の材料ですが、世界には革や布、金属、紙の張り子を使ったものもあります。その中でも日本の仮面は、クラフトスキルの高さとその完璧主義については、いくら賞賛しても誇張ではないと思います。特に、能や舞楽のマスクの完成度は、ドイツやインドネシアのバリ島のマスクメーカーとともに、世界でも最高品質の仮面です。
――そうなのですね。私は日本の仮面と他の国のものと見分けがつかないことがありました。
アーロン:技術や材質に特徴を見ることができますが、日本の仮面のテーマは、他の多くの文化と明らかに類似しています。日本の仮面は、実際の歴史上の人物、神々、動物、神話上の生き物を描いていて、これらは他の国で見られるものと大差はありません。特に、インド、ヒマラヤ諸国、中国、韓国など、仏教の影響を持つ国々の仮面によく似ています。獅子頭は、明らかに中国の獅子舞に由来し、舞楽の仮面の多くは中国の王、将軍、神話の人物を描いています。
アーロン:その他にも日本のものに似ているドイツや、オーストリア、スイスの仮面もありますし、メキシコやアンデス(ペルーおよびボリビア)にも、みなさんが日本のものとよく間違えるような仮面がありますよ。私はアフリカ・ガボンとコンゴ共和国に暮らすプヌ族の『ムクジマスク』が最も日本的なように思います。もちろん、これらすべてが日本の文化の影響を全く受けずに発達したものです。
――なるほど。作り方などにも共通点があるのですか?
アーロン:たとえば能面を見ると、素材の木材は非常に薄くて軽く削られており、繊細な彫刻が施されています。この薄さで作れるのは、世界では他にバリ島のごく一部の人たちしかいないでしょう。素材という意味では、バリ島の「トッペン」と呼ばれる仮面が能面に最も近いように思います。
また、能面は色も他のほとんどの国で見られるよりも落ち着いていて、表情も複雑な、微妙な顔をしています。日本の面のキャラクターには、高度な自然主義が見られるように思います。それとは対照的に、誇張した表情と鮮やかな色使いが見られる鬼や天狗、幽霊、神々を模した仮面は、他国の文化にも共通しています。
私は子供の頃に日本の般若の仮面を見て、悪夢を見た記憶があります(笑)。
なぜ世界中の仮面を集めるのか?
「Second Face」では、画像のほかに、アーロンさんと撮影クルーが世界各国で撮影した動画も公開されています。
スペインの「ヴィアナ・ド・ボロ」のカーニバルで使われている仮面も南米の「鬼」に似ているようで興味深いです。ヨーロッパからアジア、南北アメリカ、仮面を追って記録を続けているアーロンさんは、人類学の博士でもあるそうです。
――そもそもなぜ仮面を収集し始めたのですか?
アーロン:もともとは美術史や人類学が専門だったのですが、世界のどこへ行っても必ず仮面があることに興味を持っていました。そこから「民俗芸術」に興味が湧いたんです。
世界中の仮面には、ある傾向があります。「人間もしくは動物のような顔をしていること」。そして、「持ち運び可能であり、個人が所有できること」です。
多くの場合、仮面には人間にとって身近なものが描写される傾向があります。そして、何メートルもあるほど大きくはありません。今も昔も、人間の首が耐えられる重さには限界がありますからね。だから世界のほとんどの仮面は、クレス・オルデンバーグさんの彫刻(巨大な彫刻で有名)や、ピカソの絵画とは異なり、個人が所有できる大きさです。
もちろん、例外もあります。特に北西アフリカの仮面は非常に抽象的です。人間でもないし動物でもないものがあります。しかし、それでも「持ち運び可能であり、個人が所有できる」ということでは、まだ共通しています。
――オンラインミュージアムを開設したきっかけは?
アーロン:ニューヨークのメトロポリタンミュージアムや大英博物館などにも、大規模な仮面コレクションがありますが、膨大な芸術や工芸品の中で仮面はあまり目立たないんです。そうした博物館には展示されている何倍ものコレクションがあるのですが、仮面の展示スペースは非常に限られているか、まったく展示もされません。それで、コレクション全体を常に展示することを目的に、オンラインミュージアムとして開設しました。
――世界には仮面の博物館というのは他にもあるのですか?
アーロン:メキシコのサン・ミゲル・デ・アジェンデや韓国にあるハホマスク博物館などは、地域の伝統や儀式に特化した素晴らしい仮面博物館です。ただ、私のオンラインミュージアムの目的は少しそれらの博物館とは異なります。「Second Face」は、世界中の文化的表現としての仮面の多様性、制作目的の多様性を示すために、世界中のマスクの完全なコレクションを目指しているのです。
人はなぜ仮面をかぶるのか
――なるほど。それほど世界には多くの仮面があるということですね。なぜ、人は仮面をつけたがるのでしょうか?
アーロン:学術的に言えば、次のような理由が考えられます。エンターテインメント、農業・狩猟の促進、霊または神の召喚、幸運の祝賀、死者の見守り、村の保護または浄化、子供が成人するための儀式、求愛、占い、病気の癒し、戦争の準備といったものです。
――そんなにあるんですね。
アーロン:けれども、これらは仮面を使用する場面であって、本質的な理由ではありませんよね。もう少し考えてみましょう。
まず、仮面を使うことで、人は「他の何か」になることができます。これは「想像」であり、一種の「遊び」と言えるものです。日本の「ひょっとこ」や「うそぶき」、バリ島のボンドレス、ラテンアメリカのパヤソ(道化師)などの仮面が、どれもユーモラスな表情をしていることは、人間が本能的に「遊び」を求めていることを分かりやすく象徴しています。
「面白くすること」、つまり「遊び」は仮面をかぶることの大きな目的の一つであるわけです。
一方で、コミカルであること以外にも、英雄的であったり、悲劇的であったりすることを目的とした仮面もあります。いずれにせよ、私たちは日常生活の中で、コミカルなこと、悲劇的なこと、あるいは英雄的なことを見聞きする機会が常にあるわけではありません。だからこそ、そうした「想像」が求められる場面で仮面をかぶり、「面白いふり」「悲しいふり」「英雄であるふり」をしようとするのです。
そうした視点に立つと、冠婚葬祭のあらゆる場面で、文化を問わず仮面が使われることにも、理解ができます。
たとえば、一部のネイティブアメリカンは年に一度、ピエロのような仮面を用います。彼らが仮面を使って「面白いふり」をするのは、彼らの生きる環境とそれに伴う慣習が非常に厳しいものであり、カーニバルと仮面は、1年中抑圧されてきた彼らの感情やセクシュアリティ、ディスリスペクトフル(無礼講)な行為を解放する道具として機能しているのです。
人間の最も愛すべき部分
――言われてみれば、日本でもお祭りでよくお面が売っています。自分ではない他の何かになることが重要、ということですか。
アーロン:現代中国のオペラやヒンドゥー教の儀式など、顔をペイントしたり、タトゥーをしたりする文化は広くありますが、そうしたことと仮面の使用は通じるものがあります。匿名性を高めることが重要なのです。仮面のほうがペイントなどよりも匿名性はより高くなりますしね。
――やはり仮面は宗教的な儀式と結びつくことが多いのでしょうか?
アーロン:キリスト教はもちろん、あらゆる宗教の儀式は彫刻や像と結びついています。ただ、彫像やレリーフとは異なり、多くの文化の中で、仮面はその仮面を着けた人物自身を「神」に変える傾向があります。そこから、しばしば仮面自体が神聖なオブジェクトと見なされてきました。たとえば、アフリカやネイティブアメリカンの部族(特にホピ、ズーニ、ディネ、ヤキ族)にとっては、仮面そのものが神であり、仮面を着用した人によって神は人々のもとへと導かれると信じられています。
自分が神であるふりをすることは冒涜的だという考えもあるかもしれません。しかし、大切なのは「仮面をかぶっているとき、あなたはもはや“あなた”ではない」ということです。仮面が持つその力が、人間をコメディアンにも、恐ろしい鬼にも、神にもするのです。
仮面はフィクションであり、「魔法の思考の産物」とも言えるもので、合理的ではないとも言えるでしょう。しかし、人間は合理的ではないからこそ、世界にこれほど多様な仮面が生まれてきたとも言えるのではないでしょうか。この「非合理性」こそ、私は人間の最も愛すべき部分だと思っています。
――仮面の知識とともにアーロンさんの仮面への愛と、人間への愛がとても良くわかりました。ありがとうございました。
みなさんも、ぜひ一度アーロンさんの渾身のオンライン博物館「Second Face」を訪れてみてください。
関連リンク:アーロンさんが館長を務めるウェブサイト「Second Face: Museum of Cultural Masks」