江戸時代中期の京都で活躍した天才絵師・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)。あらゆる動植物を画題とし、のちに畢生(ひっせい)の大作といわれる「動植綵絵-どうしょくさいえ-(宮内庁三の丸尚美術館)」を生み出した若冲が、生涯にわたって描き続けた“鳥”。身近な鶏などの写生に始まり、現実に存在しない鳳凰(ほうおう)までも鮮烈に表現した若冲は、水墨画においても独自の境地を切り拓き、奔放な筆によって妙味溢れる数多くの傑作を遺しました。アメリカ・ワシントンD.C.のフリーア美術館が所蔵する、今回の「双鶴図(そうかくず)」もそのひとつです。
【連載】日本美術とハイジュエリー 美しき奇跡の邂逅 第11回 CHANEL
一方、羽根にインスピレーションを得たジュエリーは、稀代のファッションデザイナー、ガブリエル・シャネルが初のハイジュエリーコレクションで発表した「シャネル」のアイコンともいえるもの。“飛翔、飛躍”を象徴する羽根モチーフが、繊細なきらめきをまとって、軽やかに若冲の名画と対峙します。
精緻な技を駆使して軽やかに表現された羽根
軽やかな羽根モチーフのイヤリングは、「シャネル」を象徴するジュエリーコレクションのひとつ。写実的なデザインでありながらも、その印象は優美。曲面にセッティングされたダイヤモンドの一石一石が、光をまとって燦(きら)めきます。そうした細部へのこだわりは、卓越した画法で知られる若冲の絵画にも通じる緻密さ。たとえば、この「双鶴図」(フリーア美術館蔵)には、若冲が水墨画で鳥の羽根や魚の鱗などを描く際に用いた「筋目描き(すじめがき)」と呼ばれる画法が使われてます。それは淡墨を含ませた筆を重ねると、境界に白い線が浮き出る特性を生かした技法で、まさに妙法なのです。
水墨画のような光と影のドラマティックな対比
鮮烈な輝きを放つ羽根モチーフのリング。リアルな鳥の羽根に着想を得ながらも、それを大胆にデフォルメして、迫力のあるデザインに。ダイヤモンドの光と影が織りなす対比がその意匠を際立たせ、ドラマティックに印象づけます。迷いなく、勢いに溢れた若冲の筆致が、鶴のもつ生命感を見事に描き出しています。
大胆な描写から生まれる現実を超えた美の表現
筆を自在に操り、どんなモチーフもその特徴を的確に捉え、ときにはそれを誇張して斬新に表現した若冲。墨の濃淡で大胆に描かれた鶴の羽根にも、その稀有な能力と技術が存分に発揮されています。一方、羽根モチーフのジュエリーは、自然に倣った非対称のデザイン、1本ずつ異なる羽毛の造形がリアル。
風にたなびく羽根の華麗な様子を意匠化
風を受けて軽やかに舞う羽根。その先端でまばゆい輝きを放ちながら揺れるペアシェイプのダイヤモンドが、華麗なデザインに躍動感をもたらします。それは、勢いのある筆さばきで若冲が描いた、鶴の尾の部分の表現とも呼応するかのよう。
天才・若冲が墨で描いた妙味溢れる軽快な“羽根”
独特の構図、斬新な画題の捉え方、奔放な筆致から生まれる軽快さ──。そうした妙味溢れる若冲の水墨画の魅力をご紹介いたします。
もうひとりの天才・若冲と共通点の多いガブリエル・シャネル
江戸時代中期の京都に現れ、その比類なき才能と卓越した技術で瞬く間に注目の存在となった稀代の天才絵師・伊藤若冲。若くして狩野派、宋元画に学んだ若冲は、やがてそれにも飽き足らなくなり、身近な動植物の写生を通して、独自の様式を模索するようになります。まず、若冲は庭に数十羽の鶏を放すと、その姿を丹念に観察し、写しはじめました。
その若冲が鶏とともにたびたび描いた画題に鶴が挙げられます。吉祥画題として知られる鶴は、若冲の肉筆彩色画をはじめ水墨画の多くの作品に描かれてきました。
そうした若冲が描いた水墨画の鶴には、いくつかの注目すべき点があります。まず、伝統的吉祥画題を描いているとはいえ、そこは若冲。表情に愛嬌があり、実にユーモラスなのです。また、若冲の水墨には迷いが一切なく、その勢いのある筆さばきは、非凡な天才性を感じさせます。そして、羽根を描くときみ用いられた若冲ならではの「筋目描き」。その高度な技術は、ハイジュエリーの精緻を極めた石留めの技巧にも通じるところがあるでしょう。
一方、「シャネル」の羽根モチーフのジュエリーは、その優美なデザインだけでなく、ダイヤモンドの光と影の織りなす対比が、まさに若冲の水墨画のようにドラマティック!
20世紀を代表するファッションデザイナー、ガブリエル・シャネルは数ある宝石のなかでもダイヤモンドを“最小にして最大の価値をもつ宝石”と讃えました。1932年、パリの私邸で自身初のハイジュエリーコレクションを発表したときも、ほかの宝石には目もくれず、ダイヤモンドを主役にしたほど。
また、羽根モチーフのジュエリーは、この最初のコレクションに登場したことからもわかるように、ガブリエル・シャネルにとって特別な意味をもっていました。“飛翔・飛躍”を象徴する羽根モチーフは、彼女の人生においてお守りのようなものだったのかもしれません。
そして、自然を愛したガブリエル・シャネルは、ジュエリーデザインにも、できるだけ対象本来の姿を留めようと努めました。たとえば、羽根モチーフのジュエリーは自然の法則に倣って非対称に。細部にも微細な変化をつけて表現されています。そうした感性とこだわりは、分野こそ異なれ、もうひとりの天才、若冲と共通するところが多いといえるでしょう。
フリーア美術館とは? 美術館の所蔵作品には貴重な若冲の図案集も
伊藤若冲が活躍した江戸時代中期は、木版の技術が進み、版画や絵本の出版がさかんに行われるようになりました。そうした版画のなかでも「拓版画(たくはんが)」と呼ばれる技法に傾倒し、多くの秀作を残しました。それは従来の版画と異なり、描線部分を彫ってへこませ、彫面の上に料紙を当てて摺っていく方法で生まれます。そのため、黒一に描線が白く浮かび上がり、美しい濃淡を表現することも可能。グラフィカルでモダンな印象も魅力といえます。
基本的に版画作品や版元は所蔵しない方針のフリーア美術館ですが、日本美術史上、意味のある作品だけはその例外とされてきました。先に掲載した若冲の木版画帳もそのひとつです。
◆フリーア美術館
住所:1050 Independence Ave SW,Washington, DC 20560, U.S.A.
ー和樂2019年10・11月号よりー
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文/福田詞子(英国宝石学協会 FGA)
協力/フリーア美術館
撮影/唐澤光也