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Culture
2020.06.15

シャッターはどうして生まれたのか?全国100軒の古民家を取材した筆者が見た商店街

この記事を書いた人

新型コロナウイルスの影響で、多くの店が閉店や休業に追い込まれている。そのため多くの店がシャッターを下ろし、閑散とした風景をよく見かける。しかし、様々な絵が描かれたシャッターが目に留まり、ついつい立ち止まってしまう。古民家鑑定士の資格を取得した私が、シャッターの歴史と現代における意義について考えてみたいと思う。

浅草の仲見世通りに並ぶシャッター

朝7時に浅草の仲見世通りをトボトボと歩く。ああ、シャッターって面白い。一枚一枚違う絵が描かれている。これらは浅草の伝統行事や四季の風物詩が描かれた『浅草絵巻』だ。シャッターが閉まっていたとしても、浅草の街は十分楽しめる。

シャッターは、客にとって店の開店と閉店をくっきりと認識できる便利な存在だ。つまり、時間の区切り目を媒介する存在とも言える。そこに絵が描かれることによって、閉店時も通る人を楽しませるという手の込んだ仕掛けが施されている。

例えばこんなことがあった。「仲見世通りに行くぞ」と早朝に勢い込んで来たが、まだ店の開店時間前だったためシャッターが下りていることに気づく。 しかし、シャッターに描かれた色鮮やかで下町情緒溢れる絵に惹かれ、いつの間にか本来の目的を忘れて眺めている。 シャッターは24時間街を楽しむことができる仕掛けなのだ。浅草の他に山梨県韮崎市や埼玉県寄居町などでも同様に、絵が描かれているシャッターを見たことがある。

世界初のシャッターはイギリスで設置

さて、世界で初めてシャッターが生み出された経緯について、気になったので調べてみた。シャッターのはじまりは1837年、イギリスで木片をつづり合わせてつくられた木製シャッターだったといわれている。現代のシャッターに比べれば脆いものであったが、この頃から侵入者を防いだり、火事に備えたりなどというのが目的であったのだろう。

日本初のシャッターは日本銀行本店?これは本当なのか

日本で初めてのシャッターが設置されたのは日本銀行本店と言われており、1896年のことである。イギリスから輸入したスチール製のものだったようだ。しかし、これが日本初のシャッターであったかどうかは疑問が残る。

日本では平安時代から、家と家の間に「うだつ」という壁が存在していた。これは屋根部分に防火壁を備える構造で、今でも古い民家に見られる。隠れたウダツマニアの私は、岐阜県中津川市の中津川宿にうだつを見に行ったことがある。頑丈な壁が突き出ている様は、とても格好良かった。ちなみに、出世しないという意味で「うだつが上がらない」という言葉が存在する。これはうだつが江戸時代以降に装飾性を持ち、自分の財力を誇示するために設置されたことに由来するのだ。

ところで、イギリスで1837年にシャッターが設置されたことについて先ほど述べたが、これは防犯と防火が目的だった。防火に関して言えば、このうだつも十分目的を果たしているのではないだろうか。また、同時期に防犯目的で、暖簾(のれん)をかけるという習慣が広まっていたようである。

さらに現在のシャッターに近い構造になっているのが「揚戸(あげと)」だ。これは現在でも、東京都台東区にある下町風俗資料館付設展示場(旧吉田屋酒店)で見ることができる。揚戸とは、江戸時代中期から明治時代にかけて、商家建築の正面入り口に設置された上下に開閉する木製の扉のこと。これが、商品の搬入搬出の時に開閉をしやすいことから普及したため、シャッターの原型とも呼ばれているのだ。

何はともあれ、このように日本には古来からシャッターの萌芽のような商家の構造が存在していたわけで、イギリスのシャッターが日本に上陸したことで忽然と建築に導入されたというわけでもない。そもそも、防犯・防火に関して言えば、森林率68.5%で木造家屋大国の日本は江戸時代以降特に火事に苦しめられてきた歴史があり、防火に関してはかなり試行錯誤されてきている。

現代のシャッターは装飾的機能を拡張している

歴史の大きな文脈からいえば、シャッターは防犯・防火の機能が重視されてきた。しかし、機能的な側面が充実しつつある今、シャッターには別の意義が付加されようとしている。

それは、町の賑わい創出の文脈でシャッターを考えるという動きである。発端はシャッターへの落書きが横行し、美しい景観を損ねたり、治安が悪化したりという事例が見られるようになったことだ。それを解決すべく、シャッターにあらかじめ絵を描くことで落書きを防ぐという逆転の発想が生まれた。さらに、シャッター自体がインスタ映えスポットとして話題となり、多くの自治体がこれを取り入れるようになった。冒頭で紹介した浅草のシャッター街も、絵が描かれていることでとても映えるスポットになっている。

加えて、現代は日本史上稀に見る人口減少時代。現在の人口は約1億3000万人だが、100年後には江戸時代の約3000万人に逆戻りするという予測もある。つまり、今後さらに空き家が続出していくことで、町が寂しくなるくらいならせめてシャッターを華やかにしようという動きも出てくるだろう。絵が描かれるシャッターこそまさに「新時代のシャッター」である。

書いた人

千葉県在住。国内外問わず旅に出て、その土地の伝統文化にまつわる記事などを書いている。得意分野は「獅子舞」と「古民家」。獅子舞の鼻を撮影しまくって記事を書いたり、写真集を作ったりしている。古民家鑑定士の資格を取得し全国の古民家を100軒取材、論文を書いた経験がある。長距離徒歩を好み、エネルギーを注入するために1食3合の玄米を食べていた事もあった。