仮面ライダー、銭形平次、必殺仕事人――。昭和時代のテレビを彩った、これらのドラマには共通点がある。いずれも、俳優の村上弘明さんが出演していることだ。前2作は主役を、必殺~でも主要な役柄を務めた。
平成生まれの読者には『恋はつづくよどこまでも』の主人公でドSの天堂浬をしのぐドSぶりで知られる父親、ラスボス万里といったほうが分かりやすいかもしれない。村上さんの守備範囲はそれほど広い。
数多くの出演作のうちでも、1996年に放映された大河ドラマ第35作『秀吉』で演じた明智光秀は、村上さんのその後の役者人生に大きな影響を与えたとされる。この役をどのように受け止め、どう向き合ったのか。『麒麟がくる』の放映に合わせ、光秀に対する思いなどを聞いた。
明智家の水色桔梗の旗印
「逆賊」なので、最初は断ろうと思った
和樂webライター、あきみずさんの労作『NHK大河ドラマ、あの戦国武将を演じた歴代俳優全リスト!あなたが思うはまり役は?』によると、これまでの大河ドラマには15人の明智光秀が登場する。
15人の俳優によって演じ分けられた光秀にはそれぞれ固有の魅力がある。その中でも、マザコンで妻思いという面を演じ切ったとして高評価を得ているのが村上さんだ。
村上弘明さん
ーー光秀役のオファーが来た時、どんな風に受け止められましたか。
村上:(以下略) 正直、戸惑いました。以前、仕事で一緒になったNHK関係者の方からも「光秀というのは逆賊だよ。村上君がやる役ではない」と言われ、事務所でもイメージを大切にするべきだという方針もあって、お断りするつもりでした。
ーー確かに、当時は武田薬品工業のコマーシャルでジャングルを走り回ったり、タイで象を洗ったりしていらっしゃった。要するに「村上弘明は健康的で明るい」のが売りだった。それがどんな経緯で光秀役が舞い込んできたんですか。
1995年の年明けから春先にかけてのころですが、NHKとタイの放送局で『メナムは眠らず』という合作番組をタイで撮影していました。その撮影のために滞在していた現地で、担当ディレクターの一人に30回分のシノプシス(あらすじ)を渡されたんです。明日までに目を通しておいてください、と言われ、100ページほどもあるシノプシスを明け方にかけて読みました。確かにそのシノプシスには光秀のキャラクターはしっかりと描かれていて「いい役だ!」と思ったことは記憶しています。
ーーところが、結果的には引き受けた。首を縦に振った決め手はなんですか。
マネージャーと二人、お断りするつもりでNHKに行ったら、話だけでも聞いてほしい、みたいなことになって。制作関係者4人と焼肉屋に行きました。
その場で「今度の大河では、人間・光秀を描きたい。そして、これまでの逆賊というイメージを払拭したい。だから、村上さんにお願いしたい」と切り出されたんです。「疑問に思ったことはいつでも遠慮なく言ってくれ」とも。
振り返ると、この時の「人間・光秀を描きたい」という作り手側の言葉に、何かしら心を動かされるものがありました。
明智光秀像
文武両道に秀でた光秀のビジョンを描く
ーー「村上光秀」として、役作りではどんなことに心がけたんですか。
受けた以上は自分が納得して演じたい。そこで、当時の天下であった畿内五国をどのように治めようとしていたかという、光秀のビジョンを描いてほしいと局側にお願いしました。だから、光秀はこの時どう考えて行動したんだろう、といつも考えていました。そのために、戦国時代の資料を徹底的に読み込みました。
よく知られるように、光秀は本家筋にあたる土岐氏の没落を受けて、明智家再興を託されるわけです。そこで越前の朝倉義景に10年近く仕えることになる。この間、光秀は実にさまざまな知識を蓄えるだけでなく、人間としての素養も身に着けるんですね。
そのさなかに現代なら号外が出るような大ニュースが飛び込んできます。桶狭間の戦いです。大軍率いる今川義元をそれよりはるかに弱小の織田信長の軍勢が破った。光秀はその報に接して俄然、信長に注目するわけですね。
織田信長像
その後も信長の快進撃は続いて、斎藤龍興から奪った稲葉山城を岐阜城に改めたりする。そのあたりから、朝廷や公家も信長の存在から目を離せなくなる。そこで、光秀も義昭を擁して信長との謁見に及ぶわけです。
一方で、将軍になることを望んでいたものの義景の援助を得られなかった足利義昭を信長に仲立ちして上洛させ、15代将軍の座に就かせる働きをする。そういう知恵があるし、気配りもできる。つまり、交渉術に長けていたんですね。
光秀のすごいところは、交渉術ばかりでなく、武芸にも秀でていたことだと思うんです。文武両道というやつですね。例えば、丹波攻めの際には総大将を命じられています。さまざまな合戦を見てきた信長が光秀の戦いぶりを認めていたからでしょう。
岐阜城跡
信長にとって、最も頼れる人物であった
ーーこのころ「信長お気に入りの家臣ランキング」があれば、首位が光秀、二番手が羽柴藤吉郎(豊臣秀吉)という感じだったんでしょうか。
信長に頼られていたのは確かだったと思います。例えば、光秀は信長の家臣における「一国一城の主」第一号です。しかも、山城の東側の坂本城と西側の亀山城(現、亀岡城)の2つをもっている。要するに要衝を任された。それほど信長の信頼が厚かったわけですね。
亀山城(現、亀岡城)跡
しかも、茶会への参加も許された。単にお茶をたしなむのではなく、情報交換と人脈作りをするためです。丹波攻めの際には茶会に出席するために戦いを中断したこともある。その逸話を聞いた時、なんと優雅なことかと思ったんですが、そうではなくて、そうやって、いつも最新情報をつかむ努力をしているわけですね。
茶会はその時々に必要な人材を集める場としても重要であったはずです。そういうアンテナを常に張っていたんでしょうね。ですから、前にも言いましたが、この局面で光秀にはどんな心の動きや揺れがあったんだろうと自分なりに想像しながら役に打ち込んでいたような気がします。
ーーそういう、いくつかの小さな動きが重なり、絡み合い、より大きなうねりとなって本能寺に至る、という見方ですか。
光秀と信長に限らず、後世に書かれた歴史は勝者の理屈で裏打ちされています。事実、光秀は逆賊というレッテルを貼られている。これは秀吉目線なんですね。
実際、信長が起こしたとされる歴史上の行動のアイデアを出したのは光秀だろうと思います。そう考えると、信長の描いたビジョンも実のところ、光秀の意見をかなり取り入れたものじゃないかとぼくは思っています。それほど、信長に頼られていたからです。
後年、秀吉が打ち出したさまざまな改革や治世の手法はオリジナルではなく、信長モデルの踏襲だろうとも思います。そういう視線で捉えると光秀の真の力が分かるんじゃないでしょうか。
坂本城跡と明智光秀像
地元では名君とされる人間的な一面も
ーー光秀と信長の究極の関係性を示すハイライト、本能寺の変が起こった理由には諸説ありますが、村上史観ではどうみますか。
結論から言えば、動機は突発的なものだったと思います。数々の記録に書かれているように、光秀は信長のために文字通り、東奔西走しています。ほとんど、こき使われたといっても過言ではない。光秀でさえそうなんだから、重臣たちはもっとつらい目に遭っている。そういう彼らの姿を目の当たりにして心が動くのは自然だと思います。
朝廷をはじめとする、信長を快く思っていない人たちの不満や思いも情報収集機関である茶会から感じ取ることができる。だから、光秀一人の気持ちではなく、声なき声に押され、悩みに悩んだ末の「本能寺」だったのではないか。今はそんな風に思っています。
本能寺
ーーもう逆賊とは言わせねぇよ、といったお気持ちですか。
光秀に対するイメージは撮影前とは百八十度変わりましたね。タイから帰って焼肉屋で説得された時のように「人間・光秀」という見方が強まりました。その意味では役者としても大きな収穫だったと思います。実際、福知山では名君扱いされていますから。
歴史に書かれていない側面を演じたい
ーー光秀体験はその後の役者人生にどんな影響を及ぼしましたか。
光秀は空想の産物ではなく、実在の人物です。まず思ったのは、役をやる以前に受け止めていた光秀像と内実は違うという、当たり前のことでしたね。言い換えれば、歴史として語られるものと実態との違いみたいなものでしょうか。
例えば「突っ張る」という言葉がありますね。なんで突っ張るかというと、痛いところを触られたくないからです。肉体的な傷口だけじゃなくて、弱点やコンプレックスもそう。だから、人間の見た目は裏腹なんじゃないか。そんなことを収録が進むにつれて確信するようになりましたね。
ーー回を追うごとに、光秀推しが色濃くなっていった。
群雄割拠の戦国時代に生きた光秀は繰り返される下克上の世の中で、自分の立ち位置や役割を絶えず探していたんだと思います。特に、義景に仕えていた時代は窓際扱いだった。でも、その時代が光秀の人間力を高めるわけですね。心身共にどん底にいるからこそ、自分を冷静に見つめられる。
明智家再興という目的のために、何をなすべきか、なすために足りないものは何か、それを得るにはどうすればいいのか、みたいなことをずうっと考えていたんだと思います。
ところが、そういう人間的な部分とか苦悩とかいった部分はあまり歴史に書かれていないんですね。でも、9カ月余り光秀を演じたことで、必ずしも書かれていない側面を演じることにこそ意義があるのではないかと考えるようになりました。光秀体験のお陰です。
福知山城跡。福知山では今も光秀は名君として慕われている
役に引っ張られてきた今日までの道のり
ーー平成生まれの人たちには光秀はおろか、仮面ライダー時代の村上さんなんて想像できないでしょうね。
地元の岩手県陸前高田市から東京に出てきて柔道部の友だちと暇さえあれば映画館に入り浸っていました。浪人中も古今東西の映画をさんざん観ていましたからこの世界への憧れはあったんですね。
そうしたら、その友だちが勝手に映画のオーディションに応募してしまった。『もう頬づえはつかない』の桃井かおりさんの相手役です。結局その役は奥田瑛二さんがおやりになるんですが、もともと映画が好きだったから事務所に入ったんです。
その最初の仕事がスカイライダー。歴代で初めて空を飛ぶ仮面ライダーという設定です。
ーーその後は現代劇から時代劇までさまざまな役をこなして現在に至るわけですが、これからやってみたい役ってありますか。
振り返ってみると、これまで、こんな役がやりたいと思ったことはないんですね。むしろ、毎回新しい役に引っ張られて現在の場所にいるという感じかな。ただ、どんな役であれ「正義」という鎖でつながってきたような気がします。
ーー仮面ライダー、銭形平次、必殺仕事人。確かにそうですね。
でもね、正義に対する価値観とか捉え方って時代の移ろいと共に変わっていく面があると思うんです。新型コロナウイルス対策もそう。常に同じではないんですね。
明確に夢とロマンを示して欲しい
ーー「再始動」した『麒麟がくる』に7代目の光秀からエールを送ってください。
光秀に限らず、歴史上の人物を描くことは、その時代ならではの産物だと思います。例えば、ぼくが光秀を演じたころはバブルが崩壊し「正義」の意味合いが多様化してきた時代です。
ドラマの上でも王道である「勧善懲悪」に偽善的なものを感じ始めた時期でした。光秀逆賊説を払拭するという制作側の意図もそういう時代の流れから自然に浮かび上がってきたものだと思っています。
戦国時代に人々が本当に望んでいたものは一体なんだったのか。人間・光秀を通して、その夢とロマンが明確に示されることを願っています。
行きつけのイタリアンレストランで“一日シェフ”を務めることも