Culture
2020.09.23

スーファミ、セガサターン、プレステ。ゲーム業界を発展させた任天堂vsソニー、セガの戦い。

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プレイステーション5のリリースが告知されて、いま再び家庭用ゲーム機に熱い視線が注がれているような気がする。ボク自身も、しばらくゲームというものをやっていなかった。そんなところにやってきたのがプレイステーション4用のソフト『Ghost of Tsushima(ゴースト・オブ・ツシマ)』である。アメリカ人が制作した元寇をテーマにしたアクションゲーム。主人公である対馬の侍が蒙古を相手に戦いを挑むというストーリー。ネットに流れる映像を観て、驚いた。こ、これは買うべきか……。

買うというのは本体からである。価格を見ると一番安いタイプで2万9800円。ここでいま一歩躊躇して止まっている。なにしろ、既にプレイステーション5のリリースは告知されているのだから。

もちろん、買えば楽しめるのはわかっている。なぜなら、ボクはひとつの作品を買えばだいたい2年は楽しめる。ひとつのゲームをやりこむからじゃない。ただ、ひたすらに下手なのだ。昨日よりも明日の精神で、少しずつ鍛錬を重ねていく修業。亀の歩みのように上達していくのは楽しいが、ゲーム会社にとっては困った客かも知れない。

任天堂ひとり勝ちから各社が競い始めた時代のワクワク感

考えてみれば、家庭用ゲーム機……少し古びた言い方をすればテレビゲームというのは、常に心をわくわくさせてくれるものだった。

いまは、コンシューマー機とか専門的な用語も使われるが、かつてはどんなゲーム機でも「ファミコン」で通じていた時代があった。マンガ『気まぐれコンセプト』でネタにしていたコピー機はみんなゼロックス。広告代理店はみんな電通のノリである。

それというのも、任天堂がファミコン。それに続くスーパーファミコンで圧倒的な支持を得ていたからにほかならない。

1983年に発売されたファミコン(ファミリーコンピューター)、1990年に発売されたスーファミ(スーパーファミコン)によって築かれた、任天堂不動の時代が終わり、群雄割拠が始まったのは1994年末のことだった。

そう、各社が一斉に家庭用ゲーム機の世界に新たな手を打ち出したからである。 

サターンかプレステかどれを買う

1994年、スーファミは累計販売台数1300万台を超え、家庭用ゲーム機シェアの9割を握っていた。ところが1994年の秋頃から徐々に「次世代機」への期待が高まっていた。

次世代機。それは様々な企業が年末商戦に向けて投入したスーファミの16ビットを越える32ビットの高性能なゲーム機のこと。

この年の3月に発売された松下電器の3DO REAL。これに続いて11月末からNECのPC-FX。セガのセガサターン。ソニーのプレイステーションと次々とゲーム機が登場していたのである。

中国で売ってた謎ゲーム機。今どきこんなの売れるのか……

任天堂と対決する各メーカーにも焦りはあった。既に任天堂は32ビットを超える64ビットのゲーム機を開発していることを公表していた。その発売時期は早ければ1995年秋とされていた(結局NINTENDO64として1996年6月に発売)。

それまでに、どれだけのシェアを獲得できるかが各社の課題だった。
シェア拡大のために各社がまずチャレンジしたのは値下げである。先頭を切った3DO REALは5万4800円という価格も災いしたのか初年度目標100万台に対して9月末で30万台と苦戦(『FOCUS』1994年11月9日号)。そこで、11月末からは価格を1万円下げることを発表した。

対して、セガは11月にセガサターンを当初より5000円下げた4万4800円で発売開始。12月に発売を開始したプレイステーションは、3万9000円でスタートした。

そうして迎えた年末商戦で、優位に立ったのはセガサターンだった。プレイステーションがセガサターンに後塵を拝したのは出荷台数が少なかったからだとされている。いずれにしても、年末商戦を終えて次世代機の本命はセガサターンとプレイステーションに絞られていた。セガサターンでは「バーチャファイター」。プレイステーションでは「リッジレーサー」や「鉄拳」といずれも人気タイトルを確保していたからだ。

カセットからCDにソフトが変わったのは驚きだった。まさかダウンロード主流の時代が来るとは

 
ただ、多くの人が知っている通り、しばらくの間は、セガサターンが優位な状況が続いた。理由はなんといっても「バーチャファイター」である。1995年12月に発売された「バーチャファイター2」は100万本を突破する超人気タイトルとなっていた。このタイトルは一種の社会現象であった。なにしろ、アーケード版をプレイするために、多くの腕に覚えのあるプレイヤーがゲームセンターに集うのだ。そして、あちこちのゲームセンターには二つ名を持つヤツらが現れるようになっていた。いまのeスポーツの走りのようなものだ。この「バーチャ」人気は一般誌も取り上げるようなもので、強いヤツは尊敬された。そして、モテた。

値下げ合戦でみんな持ってる一台に

この風を受けてセガは攻勢をかけた。1995年6月に「バーチャファイターリミックス」のソフトがついて3万4800円と大幅な値下げを実施。さらに11月にはキャッシュバックキャンペーンで2万4800円程度まで価格を下げてシェア拡大をはかった。

対する、プレイステーションも1995年5月に2万9800円に値下げ。1996年に入りNINTENDO64が2万5000円で発売される頃には、1万円台になっていた。今のプレイステーション4の価格からは信じられない状況。2日も日雇いバイトをすればソフトまで買ってお釣りが来るのだから、高校生や大学生は、みんなどちらかは持っているものになた。

この頃の記憶を辿ると「きっと、これからもセガサターンが流行るのだろう」なんて、思っていた。しかし、その流れは一瞬でかわり誰もが「プレイステーションを買わなきゃ」と思う日がやってきた。
1996年2月、「ファイナルファンタジー」シリーズの新作「ファイナルファンタジーVII」がプレイステーションを選んだのだ。ここに潮目は完全に変わりプレイステーションは、次世代機戦争の勝者になっていった。

もちろん、セガサターンの人気も急激に上がるということはなかった。昨年末続編が発売されて話題になった『サクラ大戦』はセガサターンだった。しかし、個別のタイトルが話題になっても流れは変わらなかった。コアなゲームユーザー以外も買う、メジャーなタイトルを売るプレイステーションは、次第に覇者となっていったのである。

任天堂との共同開発から始まったプレステ

プレイステーションが勝者となった理由をプレイステーションの生みの親である久多良木健は次のように語っている。

 
ゲームにまつわる新たな状況を作り続けてきた。
『現代』1997年6月号

ソニーは市場を研究しファミコンを支えてきた問屋を通して流通する仕組みに対して、直接販売店におろす流通システムを選択した。また、開発会社に対して品質維持の目的もあり高額なロイヤリティを求めていた任天堂(スーファミの場合、価格1万円に対して3000〜4000円)よりも安いロイヤリティを設定。なによりもCDーROMを採用することでスーファミでは1万円を越えていたソフト価格を5000円台まで値下げ。こうした施策によって優良な開発会社をプレイステーションへ移行させるのに成功したのである。

既にゲーム機以外の様々な分野で覇者となったソニーがそこまで本気になった理由は、利潤のためだけではなかった。

もともとソニーのゲーム機開発は、久多良木が手がけた任天堂のスーパーファミコンにPCM音源を提供する事業から始まったものだった。それを経て1989年にソニーと任天堂が共同で新たなゲーム機の開発を始める。計画されたのはファミコンの後継機・スーパーファミコン。コードネームは「プレイステーション」とされた。これは、後に発売されたスーパーファミコンとはまったく異なるもので、後にプレイステーションで採用されるCDーROMを用いていた。開発は進み1991年6月のシカゴでのコンシュマー・エレクトロニクス・ショーでソニーは試作機を発表する。ところがこの会場で任天堂はソニーとの共同開発計画ではなく、フィリップスと提携したゲーム機開発を発表する。文字通りの共同開発の破棄であった。

これまでに関係者が語ったことから見えてくるのは「両雄並び立たず」という状況だ。任天堂にとってはソニーに飲み込まれることを危惧する声もあったし、CDーROMを採用することを疑問視する声もあった。

例え時間の浪費といわえてもゲームのない生活はありえない

いずれにしても、ソニーのゲーム機開発は中断。既に進んでいたゲームソフトの開発もストップし莫大な損失を出すに至る。

しかし、ここでゲーム機はソニーの黒歴史にはならなかった。1992年6月24日、ソニーで開かれた経営会議では大半の役員がゲーム事業への進出に否定的な意見を述べていた。その席上で、経緯説明のために参加していた久多良木は「我々は本当にこのまま引き下がっていいんですか。ソニーは一生、笑いものですよ」と食い下がった。かくして、当時の社長・大賀典雄がゴーサインを出し、ゲーム事業は再起動した。1993年初頭から始動した開発の情報は、徐々にメディアにも公開されていく。ソニーがゲーム機を開発している……ゲーム機名はPS-Xそんな情報が次第に知られるようになった。そして、1994年5月10日、ゲーム機の名称が公表された。

正式名称は、プレイステーションであった。

それから既に20年以上の時が経った。今や家庭用ゲーム機は、各社がしのぎを削るものとなった。プレイステーション4も売れるが、一方でNintendo Switchも人気は高い。そうした競争が、いまだ魅力的なゲームを出す下地となっているのはいうまでもない。

書いた人

編集プロダクションで修業を積み十余年。ルポルタージュやノンフィクションを書いたり、うんちく系記事もちょこちょこ。気になる話題があったらとりあえず現地に行く。昔は馬賊になりたいなんて夢があったけど、ルポライターにはなれたのでまだまだ倒れるまで夢を追いかけたいと思う、今日この頃。