現代でも命を削って臨む出産ですが、江戸時代の出産は想像を絶するほどに過酷なものでした。現在ではメジャーな、子宮切開によって胎児を取り出す「帝王切開」が日本で初めて行われたのも、江戸時代であるとされています。ところでこの手術が行われた県がどこだったか、みなさんご存知でしょうか?
帝王切開が初めて行われた県は……
正解は秩父郡我野正丸、現在の埼玉県飯能市です!
麻酔なしで帝王切開に臨んだ勇気ある女性は、当時30代だった本橋みとさん。3日間もの陣痛に苦しんだ末に彼女の胎内で、残念ながら赤ちゃんが死亡していました。そして遂には、みとさんも危険な状態に陥ります。
このまま放っておいては危ない! と、みとさんの命を救うため立ち上がったのが、2人の医師。伊古田純道(いこだじゅんどう)・岡部均平(おかべきんぺい)です。江戸時代のことなので、みとさんは麻酔を施されることなく開腹手術を受けました。もちろん医師たちに帝王切開の経験はなく、オランダの医学書を見ながら手術を行ったとされています。
日本初の帝王切開は奇跡的に成功! 術後みとさんは88歳という長寿を全うしました。
江戸時代の壮絶な出産
みとさんの帝王切開が行われたのは江戸時代の後半、1852年。ペリーの乗った黒船が来航する前年のことです。
当時の自然分娩といえば、産婦は天井から垂らした綱をつかんで陣痛に耐えたり、産屋や納屋などに隔離された場所で臨んだり。産婦は一人寂しく、痛みに耐えながら、声を押し殺して出産するのが当たり前だったのです。さらに、産後は7日間眠ってはいけないとされていたんだそう。気力体力ともに消耗した産後でさえも、過酷な状況を強いられていました。
江戸の子どもの死亡率の高さ
過酷な状況は、出産だけにとどまりません。
1787-1837年に在任した11代将軍、徳川家斉が授かった子どもの数はなんと53人。
男子26人、女子27人、計53人の子宝に恵まれましたが、当時は子どもの死亡率が高かったこともあり、無事に成年になったのはわずか28人といわれています。
江戸時代の平均寿命は30代。当時の日本は「七歳になる前の子は神の子」と言われるほど乳幼児の死亡率が高かったのです。死亡率の高い乳幼児期を無事に乗り切って成長したことへの感謝と、これからの末長い健康を祈って神社にお参りに行ったのが「七五三」の始まりとも言われています。(詳しい「七五三」の歴史はこちらの記事をお読みください)
壮絶な出産を乗り越えてやっとの思いで生まれた子どもたちも、大人になれるかわからない。江戸時代の出産と子育てがいかに大変なものだったかわかります。
明治初期に横浜に滞在していたフランスの海軍士官モーリス・デュバールは、日本政府高官の妻が声を出さずに出産して驚いたことを記述しています。江戸時代の壮絶な出産方法は明治時代まで続き、徐々に自宅の畳の上で出産するようになっていったのです。
さらに詳しい出産の歴史はこちらの記事をどうぞ。
産後7日間眠ってはいけない?壮絶な出産の歴史から見えた「母は強し」の姿
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