(アイキャッチ画像:©(公財)東京動物園協会)
2020年10月、上野動物園に待望のゾウの赤ちゃんが産まれました!上野動物園と言えばパンダのシャンシャンがとても人気ですが、『かわいそうなぞう』など、ゾウのイメージもありますよね。実は赤ちゃんの誕生は今回が初めて。今すぐ観に行きたいところですが、このご時世では中々難しい……。その日を楽しみに、ゾウと上野動物園の“なが~い”歴史と、出産までの道のりをご紹介します。
※新型コロナウイルスの拡大の影響を見て、上野動物園の2020年12月26日(土)から2021年1月11日(月・祝)まで臨時休園が発表されました。
現在、上野動物園に来園を希望される方は、整理券の予約が必要です。最新情報はHPで更新されていますので、ご確認ください。
上野動物園
はじめは皇室管轄だった上野動物園。ゾウがやってくるまで
上野動物園とゾウの出会い
上野動物園の開園は1882(明治15)年のこと。上野公園に開かれた博物館の附属施設として誕生しました。博物館開館のきっかけは、ウィーンの万国博覧会。日本全国から収集された物産・名産を、一般の人にも公開しようという、啓蒙の要素が強かったようです。ゆえに、動物園の動物たちも主に「日本産」。最初は農商務省の管轄だったので、「家畜」も展示されていました。
4年後には、宮内省の管理となります。トラなど、外国産の珍しい動物が集められるようになったのはこのころから。開園から6年、1888年(明治21年)5月23日にいよいよゾウがやってきます。なんと、シャム(現在のタイ王国)の皇帝から皇室に贈られたゾウを、上野動物園が授かりました。15歳になるオスとメスだったそうです。同時代、オランウータンやライオン、カバなど、今はすっかりおなじみとなった動物も海外から来園し始めました。
大正時代~アジアゾウがやってきた~
1923(大正12)年には関東大震災という災害に見舞われますが、幸いにも甚大な被害にはならず、動物たちも、カバが怖がって水から顔を出さないので心配した……という程度だったそうです。1924(大正13)年、昭和天皇がご成婚されたことをきっかけに上野動物園は東京都に下賜されます。正式名称が「上野恩賜公園動物園」に変わり、恩賜という言葉が入るようになりました。
1925(大正14)年にはアジアゾウの子ども“ジョン”と“トンキー”が来園。上野動物園はにぎやかさを増していきます。
昭和初期~動物園と太平洋戦争~
1935(昭和10)年には、タイ国少年団よりメスのアジアゾウ“ワンリー”が到着。キリンのオスが初めて誕生するなど、次々に新たな試みが行われていました。1940(昭和15)年には、年間入園者が300万人を突破します。3頭となったゾウたちは、太平洋戦争の勃発により悲しい運命に巻き込まれることとなりました。
戦時中の殺処分、そして戦後から平成、令和へ
戦時中、ゾウは「猛獣」とみなされ、ジョン、トンキー、ワンリーは全て殺処分されてしまいます。戦後の復興はめざましく、園の大きさも広がり、モノレールが開通するなど、動物園は平和の象徴として発展を遂げました。動物たちも次々増え、ゾウも1949(昭和24)年にやってきた“はな子”・“インディラ”を皮切りに、2020年までに10頭が上野動物園で暮らしました。
このように、上野動物園にゾウが来たのは開園間もなくのこと。しかし、長いこと繁殖は行われていませんでした。試みられたのは平成に入ってからです。
初めての繁殖までの道のり
1990年代の上野動物園には、オスの“メナム”、メスの“アーシャ―”、“ダヤー”という3頭のゾウがいました。初の国内繁殖を目指し、それぞれ「お見合い」を行いましたが……なかなかうまくいきません。アジアゾウの繁殖には、普段はオスとメスを別々に飼い、お見合いの時だけ一緒にする飼育方法が必要です。今ゾウたちがいる「ゾウの住む森」が完成するまでは、1968(昭和43)年に建てられた古いゾウ舎で飼育されていたため、オスとメスを会わせずに離して飼うことはとても難しかったようです。その後、メスの“スーリヤ”が来園しました。
さらに、2002(平成14)年の10月に若いゾウの“アティ”と“ウタイ”がタイから来園。敬宮愛子内親王殿下ご誕生を記念して贈られました。大所帯となったゾウたちは、翌年、前述の「ゾウの住む森」にお引っ越し。広々とした新しい施設では、オスとメスを分けて飼育することが可能になりました。これで、必要な時にはお見合いさせることができる。繁殖への期待が高まります。
ところが、引っ越しの直前、おとなのオスである“メナム”が死亡、残されたオスはまだ5歳のゾウ、アティだけになってしまいました。おとなになるまではあと10年以上。繁殖への取り組みは、一旦中止されることになりました。
しかし、メスのアーシャ―、ダヤー、スーリヤは、すでにおとなです。アジアゾウのメスが一般的に妊娠可能な年齢は15歳から50歳であり、繁殖できる年齢を過ぎてしまうかもしれないという危惧がありました。そこで、3頭のメスのうち、ダヤーとアーシャーの2頭を他のオスがいる動物園に引っ越しさせ、赤ちゃん誕生の取り組みを続けることにしたそうです。中でもアーシャ―は、愛知県豊橋動植物園のオス、“ダーナ”と相性がよく、2回赤ちゃんが生まれました。しかし、残念ながらその子どもたちは死亡してしまいました。ちなみに、ゾウの妊娠期間は21~22ヶ月という長さです。
“ウタイ”が赤ちゃんを産むまで
今回、ゾウの赤ちゃんを出産したのはウタイ。実は妊娠自体は初めてではありません。最初は2015(平成27)年10月にアティとお見合いし、懐妊。順調にいけば2年後出産予定でしたが、お見合いから1年後に赤ちゃんがおなかの中で死んでしまいます。
2019(平成31)年1月、再びのお見合いに挑戦。交尾が確認され、同年9月にはエコー検査で妊娠が判明しました。経過観察を行い、2020(令和2)年10月末、出産の兆候をキャッチ。31日に赤ちゃんが誕生しました。
残念ながら父親であるアティは結核により、8月に死亡してしまいました。もともと群れで暮らすのは複数のおとなメスとその子たちのみ。オスは、おとなになると群れを出て、単独で生活し、お見合いできるメスを見つけると群れに近づいて、交尾します。その後オスとメスはまた別々に暮らし、生まれた赤ちゃんの面倒をみることはないそうですが……アティが亡くなったのはとても残念です。
子ゾウのこれから
無事に産まれてきた赤ちゃんですが、はじめての飼育はとても大変。目の離せない日々が続きました。また新型コロナウイルスも収束しない中、飼育員の方は常に細心の注意を払いお世話をされていたようです。
名前も「アルン」(タイ語で夜明け・曙・暁の意味)と決まり、一般公開も12月1日に始まりました。少しずつ公開時間も長くなってきています。
明治から令和まで上野動物園と歩んで来たゾウの長い歴史。新たなページが刻まれていくのが、とても楽しみですね!