Culture
2021.01.28

外国人はわびさびをどう理解してる?芭蕉の俳句「古池や~」の翻訳を徹底分析してみた

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わずか十七字の言葉で表現される俳句。その多くからは日本人の精神世界が垣間見れるため、日本文化に関心のある外国人に人気の文学ジャンルのひとつとなっている。その証拠に、海外の文豪らにも多く翻訳されている。さて、松尾芭蕉の有名な俳句のひとつに「古池や 蛙飛び込む 水の音」がある。芭蕉のこの句も例外ではなく、これまで翻訳された数は百を超えている。

俳句の翻訳!とても気になります。

俳句の世界は実に奥深いものである。実際、日本在住年数が長く、日本文化に造詣のある外国人でさえ、一字一句正確に翻訳するのは難しい。近年ではひと昔前に比べると精度が上がったと持て囃(はや)される機械翻訳の王道、Google翻訳。少なくとも今日の技術では歯が立たない。

そして、俳句翻訳において頭を悩ます(といっても、その過程がある種の醍醐味でもあるわけだが……)関門が、俳句の本質にも関わる「わびさび」をどう訳すかである。ここでは、「古池や~」の句において重要なカギを握るさびの部分をどう表現できているかに着目しつつ、いくつかの翻訳を検証する。

「古池や~」の句が表す内容とは?

「古池や~」の句からどのような情景が思い浮かぶだろうか。

庭には年季の入った池があり、奥には長年家族が暮らしていたと思われる家屋が佇んでいる。そこにはかつて家族の営みがあり、子供たちの賑やかな声が聞こえてくることもあった。やがて、その子供たちは成長して家から離れていき、残された老夫婦のみがひっそりと暮らしていた。そして、家から巣立っていったその子供たちは家庭を持つようになり、たまの休暇に自分の子供と一緒に帰省した。孫たちの賑やかな声が聞こえてくることもあったが、その家の持ち主はこの世を去り、今や朽ち果てた家と庭の古池が残るのみ。そして、静けさの中で時折、蛙の鳴き声が聞こえてくる。

この句から想像される内容は人それぞれだろうが、少なくとも筆者は以上のような情景がわずか十七字の句から思い起こされる。

ポイントは「古池」をどう訳すか

「古池や~」の句のベースとなるのが、「この世のあらゆる存在はとどまることなく滅し、移り変わるものである」という、仏教において中核をなす教え無常観の考えである。そこには日本人が中世以降大切にしてきたさびの精神が生きており、特に「古池」の二字にその精神が凝縮されている。(わびさびが具体的にどんなものであるのかについては、和樂webのこちらの記事「わびさびとは何か?日本人ならではの美意識をわかりやすく解説」が参考になるだろう)。したがって、「古池や~」の翻訳のポイントとしては、まず「古池」の部分を上手く表現できるかどうかがキモとなる。

古池、たしかにどう翻訳するんだろう……?

さて、「古池」の「古」の部分に相当する英語の候補として挙がるのが「ancient」「old」だ。海外の翻訳を拝見したところ、「old pond」と訳すパターンと、「ancient pond」のパターンに分かれる。以下の(1)は「old pond」と訳したパターン、一方(2)は「ancient pond」を選んだパターンである。

(1) The old pond;
A frog jumps in-
The sound of the water.

(2) ancient is the pond –
suddenly a frog leaps – now!
the water echoes

同じ俳句の翻訳でも、こんなに雰囲気が変わるんですね!

「ancient」と「old」、どちらも「古い」という意味で解釈され得る単語である。両者にはどのような意味的な違いがあるのだろうか? そこで、オックスフォード現代英英辞典『Oxford Advanced Learner’s Dictionary (6th edition)』(オックスフォード大学出版局)でその意味を調べてみた。

ancient: belonging to a period of history that is thousands of years in the past; having existed for a very long time

(日本語訳)過去何千年という歴史の遺物である。長年存在している

続いて、「old」の意味である。

old: having lived for a long time; having existed or been used for a long time

(日本語訳)長寿。長年存在しており、使用されている。

「ancient」を辞書で引くと、その用例に「ancient Greece」と出ている。なるほど、数千年前の歴史が集積した古代ギリシャは「old Greece」ではなく、「ancient Greece」というわけか……。また、歴史的遺物としての意味合いを持たせるには「ancient」が適している。ならば、時代の長さはともあれ、数十年の時の流れを感じさせられる「古池」に相応しいのは「ancient pond」ということになるであろう。

歴史の詰まった遺物が「ancient」ってことなのかな? 微妙なニュアンスが難しい……!

翻訳を眺めても、全体的に「old」を選んだ人が圧倒的に多い。このことから、外国人にとって文面には表されない俳句の奥に秘められたわびさびの心を汲み取ることは至難の業であることが分かる。

「蛙飛び込む」の訳にも注目!

この句において重要な箇所がもう1点ある。それは「蛙飛び込む」の部分だ。

以前の日本では鳴く蛙に対して詠むのが一般的であった。平安時代前期に編纂(へんさん)された古今和歌集の仮名序に、「花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける(現代語訳:梅の花の上で鳴く鶯や、水の中で生息する蛙の声を聞くと、生きているすべてのもので歌を詠まないものなどあるのでしょうか」という歌がある。芭蕉の「古池や~」の句では池の中へと飛び込んでいく蛙が詠まれているわけだが、既存の常識を取っ払い、文学の世界に新境地を開いた作品として特筆すべき存在でもあるのだ。

この有名は俳句には、新しい試みがあったのですね! 初めて知りました!

また、蛙は周囲の静けさを引き立たせるという、この句においては「古池」とともにさびの構成要素のひとつにもなっている。よって、飛ぶ蛙をどう訳すかがこの俳句の翻訳のうえでのもうひとつのカギを握っていると言っても過言ではない。

多くの人が思い浮かべる情景と言えば、静寂の中で蛙がポチャンと池に飛び込む様子ではないだろうか。その場合、池の中に飛び込む蛙の数は1匹である……はずである。もちろん、多くの翻訳では1匹の蛙を表す「a frog」となっているが、複数の蛙を仮定し、「frogs」とした珍訳も存在する。それはラファディオ・ハーンの翻訳だ。ハーンの翻訳は研究者の間でも物議を醸した。

(3) Old pond – frogs jumped in – sound of water

ラファディオ・ハーンとは、ギリシャ生まれの小泉八雲の出生名からとったペンネームである。妖怪学者として名を馳せ、怪奇文学集でも知られる八雲は1850年6月、ギリシャ西部のレフカダ島で生まれ、幼少時代は英国人としてアイルランドやイギリスで過ごした。その後米国での生活を経て、40歳の時に来日。日本人女性と結婚し、長男を授かったのをきっかけに日本に帰化した。

ハーンの翻訳では蛙は複数形で表されているが、蛙の数が2~3匹なのか、5匹なのか、はたまたそれ以上なのかは分からない。それは受け取った側の解釈に委ねられる。いずれにせよ、私たちが想像していたものとは若干異なる情景が想起されるのではないだろうか。ハーンは複数国での滞在年数が長く、国籍や人種の異なる多くの人々の思考傾向についても十分熟知していたはずである。もしかするとアメリカンジョーク的な感じで、現地の人々によるウケを狙っての発想だったのかもしれない。

カエルさんたちの飛び込み合戦! みたいな賑やかな光景を想像すると、楽しくなってきてしまいます笑

和歌にせよ、俳句にせよ、内容に曖昧さを持たせ、その解釈を受け手に委ね、それによって面白みや風流が見出される。そして、国境を超え、文化的背景や言語習慣、宗教を異にし、さまざまな価値観を持った人たちによって多くの解釈が生まれる。こうして多様化した世界観を嗜む、それも俳句の楽しみ方のひとつではないだろうか。また、昨今では北海道大学大学院情報科学研究院内に「AI俳句協会」なる組織も発足しており、今後は人間と機械とのコラボで新たな文化が創造されるのかもしれない……!?

AIとの俳句競作(共作?)! 見てみたい!

スコポス理論を提唱したドイツの言語学者のハンス・ヨーゼフ・フェルメール氏によると、翻訳においては必ずしも原文に忠実である必要はない。フェルメール氏は翻訳を受け取る側を配慮し、その受け手のために情報をコード化する必要があるとして翻訳の本質を説いている。ハーンがどういう意図をもって飛ぶ蛙を複数形で表したのかは不明であるが、もし仮に上記の憶測が本当であるとすれば、ハーンがとった選択は翻訳の本質を捉えた理にかなった行為であるとも言える。

直訳すると逆に分からなくなってしまうってこと、学校の授業でも確かにありました。

外国人にわびさびを伝えるのは難しい

特に欧米諸国と日本とでは、互いに言語習慣や文化が異なる。実際、欧米人がストレートに伝える傾向にあるのに対し、日本人は言葉に出す前に言おうとする内容を察するのを良しとしており、基本的に自分の思ったことを言葉に表すようなことはしない。その点、中国やアラブ諸国は文化人類学的に日本と同じ文化にあるため、欧米諸国の人と比べれば意思疎通の面で上手くいく可能性は高いかもしれない。

意志や感情の表現の仕方、文化差があっておもしろい!

昨今のグローバル化により、多くの外国人と接する機会が増えた。日本文化に関心を持つ外国人は多く、その中で日本の文化の真髄であるわびさびを紹介する機会もあるだろう。わびさびに関して言えば、外国人にはそのまま「wabisabi」として理解される傾向にあり、日本文学・文化関連で修士号や博士号を取得した人を除けば、その内容について深く知る人は少ない。

日本国内で生まれ育った自分よりずっと日本文化に詳しい外国出身のかたに会うと、自国の文化をもっと勉強しなきゃ!と毎回思います。

さて、「機械翻訳がわびさびをどう理解しているか?」も気になるところだ。2020年12月末現在、Google翻訳で「わびさび」と入力すると、「wabisabi」とそのままの状態で出てくる。一方で、Google翻訳よりも高精度であると評判の「DeepL」。わびさびに対する以下の翻訳結果を見る限り、その噂は本当のようである。

aesthetic sense in Japanese art emphasising quiet simplicity and subdued refinement

(日本語訳)静寂の中の質素さや落ち着きのある洗練された雰囲気に重きを置いた日本の美的意識。

わびさびの意味は大体伝わってくるが、日本文化にあまり関わりのない外国人目線に立って考えた場合、具体的にどのような感情なのかがイメージが湧かない。これでは不十分ではないか……(DeepL開発者よ、天下のGoogleを抜いたからと言っていい気になるなよ)。

生前は日本研究者として、日本の文学や文化に関わる研究に精力的に取り組んできたドナルド・キーン氏。「古池や~」の翻訳においてもわびさびの部分をきちんと理解しており、翻訳にも反映されている。参考までに以下、キーン氏が手がけた翻訳である。

(4) The ancient pond
A frog leaps in
The sound of the water.

言葉の響きも端正で、すてき!

キーン氏は日本在住歴が長いばかりでなく、日本文化関連で博士号を取得。晩年には日本に帰化しており、日本の伝統文化への愛が凄まじく、日本への理解も並々ならぬものであったに違いない。

わびさびは抽象的な概念であり、例えば金閣寺や比叡山の延暦寺の見所を伝えるのとはワケが違う。わびさびを全身で体感できる場所として京都の龍安寺が人気だが、いざその場所へ赴き、わびさびを感覚的に理解したとしても、言葉で言い表せない難しさがある。もちろん、文化や習慣の異なる外国人にわびさびを伝えるとなると、並大抵の英語力では太刀打ちできないだろう。もちろん、TOEICで990点を取得していようが同じである。

おわりに

翻訳というのは、目標言語(日本語から英語への翻訳であれば英語)のスキルさえあればできるものではない。英語のスキルに加え、母国語である日本語に対する高いスキル、さらに双方の国の文化や習慣、流行、宗教、法律など、分野を跨(また)いだ知識が求められる。少なくとも今日の機械翻訳の多くはこれらすべての要件を満たしているとは言えないし、また基本的にわびさびのような言外の意味を解釈するよう最適化されていない。一方で、人間の感情を読み取るAIの開発も進んでおり、今後の展開次第では状況が変わることも予想されるが、現時点では機械翻訳は人間の翻訳者と対等な立場にあるとは言えず、あくまでもスタートラインに立っているに過ぎない。

おもしろ自動翻訳を見て楽しんでいる場合じゃない!?(でも、あれも大好きだから、ちょっと残してほしい気が)

わびさびは外国人に理解し得ないものであるかもしれない。しかしそれこそが、曖昧性を基調とする日本文化の中で生まれたわびさびの魅力でもあるのだ。

アイキャッチ画像:「芭蕉翁像(ColBase掲載)」をもとに筆者が作成

画像:写真AC

(参考文献)

『翻訳学入門』(ジェレミー・マンディ著/鳥飼玖美子監訳)みすず書房

『Oxford Advanced Learner’s Dictionary (6th edition)』Oxford University Press

書いた人

1983年生まれ。愛媛県出身。ライター・翻訳者。大学在籍時には英米の文学や言語を通じて日本の文化を嗜み、大学院では言語学を専攻し、文学修士号を取得。実務翻訳や技術翻訳分野で経験を積むことうん十年。経済誌、法人向け雑誌などでAIやスマートシティ、宇宙について寄稿中。翻訳と言葉について考えるのが生業。お笑いファン。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。