浅草雷門前から隅田川へ向かい、吾妻橋を渡って墨田区へ。橋のたもとにひっそりと立つ高札(こうさつ。たかふだ、とも)を目指します。道行く人がふりかえることのないその高札には「鬼平情景」の文字。「鬼平」とは池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』のことです。小説ゆかりの地が多く点在することから、2013年、墨田区が区内各所に高札を設置しました。
江戸時代後半を舞台に、火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)長官、「鬼の平蔵(鬼平)」こと長谷川平蔵が凶悪犯を取り締まる『鬼平犯科帳』。高札を読むと小説の場面が思い出され、ちょっと興奮します。しかし、私が読み始めたのはつい3、4年前のこと。それまで時代小説にはほとんど興味がなかったのですが、年上の知り合いにすすめられて何となく読み始めたら、これがおもしろい。文庫本全24巻を読んでしまいました。そのおもしろさは? と聞かれると難しいのですが、登場人物がそれぞれ“何か”を抱えていて(切ないことであったり、おかしなことであったり)、それが事件につながったり、さりげなく描かれていたり。とにかく、いいとか悪いとかでは割り切れない、いろいろなことがある人間の姿が興味深い。仕事とか社会とか人間関係とか、ある程度経験を重ねてきた人には“沁(し)みる”はずです。
新たな『鬼平犯科帳』が製作へ
『鬼平犯科帳』はテレビドラマや映画だけではなくマンガやアニメにもなっているので、そのタイトルは聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。しかし、若い年代の方は、詳しい物語の内容については実はよく知らないという人も少なくないのかもしれません。
この機会に、ただの勧善懲悪ではない人間ドラマが展開する『鬼平犯科帳』に親しんでみてはいかがでしょう? 墨田区の高札めぐりは“初心者”にとってはうってつけですし、本格的に読んで(観て)みるのにも、今がちょうどいいタイミングかもしれないのです。
というのも、2021年3月、『鬼平犯科帳』の新作映画製作発表記者会見が開かれ、10代目松本幸四郎さん(以前の市川染五郎。2018年に松本幸四郎を襲名)が新たな長谷川平蔵役となることが発表されました。原作者である池波正太郎の生誕100年に当たる2023年に向けたプロジェクトで、2024年に劇場版の公開と連続シリーズの配信が予定されています。
これまでのテレビドラマとしては、フジテレビで第9シリーズまで続いた中村吉右衛門版が一番知られているでしょう(以下、テレビドラマを取り上げる場合は吉右衛門版)。レンタルDVDもそろっています。先日、救急搬送されたニュースがありましたが、1日も早い回復が待たれます。吉右衛門さんは10代目松本幸四郎さんの叔父に当たる方。松本幸四郎版の5代目「鬼平」を楽しみにしているはずです。
長谷川平蔵は実在の人物がモデル
さて、散策の前にまずはごく基礎的な知識をいくつか。『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵は実在の人物です。諸説ありますが生まれたのは1745(延享2)年。1787(天明7)年9月、42歳で火付盗賊改方の長官となり翌年4月に退任しますが、その年の10月に再び長官に就任。1795(寛政7)年5月16日まで働き、同月19日に亡くなっています。
テレビ第1シリーズ第1話「暗剣白梅香(あんけんはくばいこう)」は、長谷川平蔵が火付盗賊改方長官を解任されたところから始まります。これは平蔵を昇進させるための人事でしたが、その後、犯罪が凶悪化。やはり平蔵が必要と判断され、わずか6か月で再任となったのでした。
当時の時代背景はというと、1772(明和9)年に田沼意次が老中に就任し、その後、天明の大飢饉に。各地で打ちこわしが起こり、浅間山も噴火します。田沼意次は罷免され、1787(天明7)年に老中となったのが松平定信。寛政の改革が始まります。将軍は10代家治から、1787年に11代家斉(いえなり)へ。時代の大きな変わり目に、長谷川平蔵は表舞台へ登場したわけです。
ところで、火付盗賊改方とは何なのか? 江戸の放火犯や盗賊などを取り締まる、いわば特別捜査官のようなものとされます。池波正太郎は『鬼平犯科帳』(文春文庫)第1巻で、江戸の町奉行所が今の都庁のような性格を合わせ持っていて、「犯罪者を捕えるというよりも、犯罪がおこらぬようにする[たてまえ]」であったのに対し、こう記します。
しかし[火付盗賊改方]の任務は、そのなまぬるさをおぎない、あくまでも犯罪者を追捕して、これがためには、かたくるしい規則にもしばられず、どこまでも身を挺(てい)して[悪]と闘うというのが[たてまえ]であった。
予算は町奉行所とは比べものにならないほど低く、「町奉行は檜(ひのき)舞台。盗賊改メは乞食芝居」と差別されており、火付盗賊改方の同心(下級役人)たちは町奉行所へ反感を抱いていたといいます。極悪人を捕まえるという、極めて重要で危険な任務を行っていたにもかかわらず、安月給で世間から相応の評価がされていない──。それが火付盗賊改方という仕事だったのです。
平蔵の右腕は「密偵」たち
では、まだまだ“密”が気になる日々。人にはそれほど会わずに『鬼平犯科帳』という物語に出合う、墨田区の散策へご案内しましょう。
吾妻橋のたもとの「鬼平情景」高札の表題は「吾妻橋(大川橋)」。大川は隅田川の旧名です。吾妻橋と改名されたのは明治になってからのことです。「鬼平情景」の設置場所は、墨田区観光協会に地図があるほか、同協会ホームページ(観光マップ「すみだまち歩き博覧会」内「鬼平犯科帳ゆかりのスポット詠み歩き」)にも載っています。
「吾妻橋」の高札から墨田区役所方面へ歩くこと約3分。「如意輪寺(にょいりんじ)」の高札に着きます。ここは平安時代に歴史が始まる古刹。門前には盗賊たちの「盗人宿」があり、『鬼平犯科帳』の密偵・大滝の五郎蔵もここを宿にしていました。
『鬼平犯科帳』では「密偵」たちが活躍します。もともとの盗賊が長谷川平蔵のもとで働くようになったのが密偵。元盗賊だった人脈を活かし情報収集をします。捕縛されるなどして平蔵の人柄にほれ込んで密偵となったのですが、盗賊仲間を裏切っているわけですから、当然その立場はバレると危険。その人生も波瀾万丈です。
人生が波瀾万丈なのは、実は長谷川平蔵も同じです。平蔵は、父親が使用人に手を出し生まれた子。正妻からはいじめられ、若い頃はなかなかの“ワル”でした。しかしだからこそ、悪の世界の事情がよくわかっていたといえるでしょう。最初に書いたとおり、「善」と「悪」が割り切れるほど単純なものではない、というのが『鬼平犯科帳』であり、それはほかの池波作品にも共通しています。
すみだリバーウォークへ
「如意輪寺」から墨田区役所前を北へ徒歩約7分で、「枕橋 さなだや」の高札へ。枕橋は北十間川に架かっていて、高札は橋の少し先、すみだリバーウォーク入口の隣に立っています。2020年6月、東武スカイツリーラインの鉄橋沿いにできたこの歩道橋は、鉄道高架下に店が並ぶ東京ミズマチとともに墨田区の新たな名所となっています。
この「さなだや」というのは、そば屋です。「鬼平」番外編の『正月四日の客』(『にっぽん怪盗伝』収録。角川文庫)は、この店が年初めに店を開ける毎年正月4日に「舌がひんまがるような」辛い汁のそば「さなだそば」を出すことから話が始まります。そんなそばなので客は来ないのですが、ある一人の客だけは喜んでそのそばを味わう。亭主はなぜそんなそばを正月4日に出すのか? 喜んで食べる客の正体は? やがて店名の由来もわかるのですが、この物語そのものもかなり“辛口”な展開となっています。
隅田川土手からスカイツリーへ
訪ねた頃は、まだまだ桜が見頃だった隅田川の堤を川上方向へ。随所に解説版が設置されていて、江戸時代から桜の名所だったことがうかがえます。「枕橋 さなだや」から約10分で、「みめぐりの土手」の高札に到着。江戸時代、大川には対岸の浅草を含め料亭や船宿が多く、『鬼平犯科帳』にもこのあたりの風景はしばしば登場します。
ここから土手を下りて約2分歩くと、「三囲神社(三囲稲荷社)」の高札が掲げられた三囲(みめぐり)神社の前へ着きます。今の三越の前身となる三井家(越後屋)が江戸進出のときに三囲の名にあやかって守護神とした神社です。境内には、旧三越池袋店のライオン像が移設されています。
三囲神社から水戸街道を渡って約3分。街道から1本入った通りに「常泉寺」の高札があります。1596(慶長元)年に開基されたこの寺院の寺域は広大でしたが、現在は区画整理され大幅に狭くなりました。高札のすぐ先が言問通りで、常泉寺の現在の入口はこの通り沿いにあります。
なお、浅草からすでにスカイツリーは見えていましたが、ここからはいよいよ間近に見上げられるようになってきます。そして、まさにスカイツリーを目指して歩いていくことになります。
みりん堂の「平蔵煎餅」を味わう
次の「業平(なりひら)橋」までは徒歩約12分。途中、東武スカイツリーラインの高架下は東京ミズマチで北十間川沿いにしゃれたカフェやショップが並びます。「業平橋」は浅草通りの業平橋の下、大横川親水公園の一角に立っています。さまざまな遊具もあり、親子連れでにぎわっていました。スカイツリーが丸い鏡に映るオブジェもあります。
浅草通りを約5分歩くと現れるのが、「みりん堂」というせんべい屋さん。店の脇には「西尾隠岐守屋敷」の高札があり、このあたりは夜になると賭場や盗人宿への経路となっていたことが記されています。「みりん堂」の名物は「ぬれせん」や「相撲煎餅」ですが、やはり味わってみたいのは「平蔵煎餅」(648円、税込)。平蔵などがプリントされたせんべいのほか、本所(現在の墨田区南西部)界隈の切り絵図も入っていて好評です。
みりん堂 基本情報
住所:〒130-0002 墨田区業平1-13-7
営業時間:9:00-18:00(日祝-17:00)
定休日:月曜日(臨時休業あり)
公式webサイト:http://mirindo.com/
長谷川平蔵が青春時代を過ごした町
「みりん堂」から浅草通りを東へ約7分歩くと、春慶寺というお寺が見えてきます。ただし、寺といっても周囲の建物と同じようなビル。ここの前にも「鬼平情景」の高札があります。長谷川平蔵の親友、岸井左馬之助(さまのすけ)の寄宿先として多くの作品に登場します。左馬之助をドラマで演じた江守徹が揮毫した石碑が立つほか(第5シリーズから演じたのは竜雷太)、『東海道四谷怪談』などの作者である鶴屋南北の墓もあります。
「春慶寺」から次の「出村の桜屋敷」の高札までは少し距離があり、25分ほど歩きます。「みりん堂」方面へ戻り、タワービュー通りを南下するのがおすすめ。スカイツリーと錦糸町を結ぶ約1.2kmの通りで2014年に整備されました。スカイツリーを背にして歩くと、左手に業平小学校が建っています。王貞治さんが卒業した学校です。
春日通りを越えた先で右折し、大横川親水公園に架かる紅葉橋のたもとにあるのが「出村(でむら)の桜屋敷」の高札。5分ほどのところには「高杉銀平道場」、そのすぐ先には「法恩寺」の高札があり、長谷川平蔵と岸井左馬之助が青春時代を過ごした場所として作品に登場します。
平蔵は19歳のとき、一刀流の剣客・高杉銀平の道場に入門。稽古に打ち込み、それまでの放蕩生活から剣の道へと進みます。道場で無二の親友となったのが左馬之助でした。まだまだ悪さもする悪友でしたが、そんな二人が少年のようにはにかんでしまった相手が、「出村の桜屋敷」と呼ばれた広大な屋敷の孫娘・ふさという名の初々しい乙女。ふさはやがて横川から舟に乗って嫁入りしてしまい、二人はただ見送るだけでした。
それから20年、この地を訪ねた平蔵は偶然、左馬之助と再開します。道場での青春の日々、そしてふさのことを思い起こす二人でしたが、ふさの境遇は予想もしない状況に。平蔵が探っていた事件とも関わっていることが明らかとなり、運命の残酷さに二人は言葉を失うのでした。小説では第1巻、ドラマでは第1シリーズ2話『本所・桜屋敷』の物語です。
密偵・彦十の家から平蔵の旧邸へ
「高杉銀平道場」から南下し大横川親水公園を渡り、徒歩約15分。「亀沢四丁目こども広場」という小さな公園の一角に立つのが「相模の彦十の家」の高札です。平蔵が銕三郎(てつさぶろう)と呼ばれていた若かりし頃からつき合いのある無頼者で、その後密偵になったのが相模の彦十。ときどき平蔵のことを「てっつぁん」と気安く呼んでしまうことも。テレビシリーズでは江戸家猫八が演じて、いい味を出していました。
ここからさらに徒歩約10分ほど、総武線の線路と京葉道路の間に「長谷川平蔵の旧邸」の高札が立っています。27歳まで暮らした屋敷があったとされる場所です。平蔵の父・宣雄(のぶお)も火付盗賊改方長官でしたが、平蔵27歳の時に京都町奉行所に栄転、平蔵も一緒に京都へ移り住んだのでした。しかし、わずか1年ほどで宣雄は客死(かくし)。平蔵は家督を継ぎ、江戸へ戻ってくることとなります。この旧邸に暮らしていた時代、平蔵は放蕩無頼の青春を送っていたのでした。
密偵たちと平蔵の拠点
「長谷川平蔵の旧邸」の先、首都高速7号線と平行に走る馬車通りを隅田川方面へ20分弱歩きます。清澄通りを渡って少し先にある普通のビルの入り口横に立っているのが「煙草屋・壺屋」の高札。「如意輪寺」の高札のところで触れた大滝の五郎蔵という密偵が営んでいた店で、密偵たちの拠点ともいえる場所でした。
歩いて4分ほど、首都高速7号線の下を流れる堅川のほとりにあったのは「軍鶏(しゃも)なべ屋『五鉄』」。平蔵行きつけの店で、密偵たちともよく集まっています。みんなでつついている軍鶏鍋は本当にうまそう。池波正太郎はグルメとしても知られ、食についてのエッセイも数多く残しています。そちらのジャンルで親しんでいる人は多いかもしれません。『鬼平犯科帳』のみならず、さりげなくおいしそうな料理が登場するのも、池波作品の大きな魅力のひとつです。
お熊婆さんの店 笹や
堅川を渡り、清澄通りを8分ほど進むと、今回最後の高札「弥勒寺門前 茶店笹や」があります。若き日の平蔵、つまり放蕩時代をよく知るお熊婆さんの店です。70歳を超えた元気なお婆さんですが、40代(?)の頃には平蔵の寝床にもぐりこんで逃げ出されたというエピソードも。男勝りな反面、シャイで純粋なところもあるお熊お婆さん、平蔵の片腕となるたのもしい一面もあり、笹やも多くの作品に登場します。
吾妻橋から始まって、のんびり巡って約3時間ほどの散策。スカイツリーの周辺は観光地の雰囲気もありましたが、後半は下町の何気ない風景の中を歩いてきました。高札をたどる目的がなければ、よその者がこの街並みを訪ねることはなかなかないかもしれません。途中には、魅力的なカフェや店も点在しています。食事や休憩をしながら、もっとゆっくり巡るのもおすすめ。
「茶店笹や」の高札から少し歩くと森下の交差点へ出ます。1万歩以上歩いたし、日も傾きかけてきたし、“密”にならない店で一杯だけひっかけようかな。ゆっくりと楽しく呑めるように、早くなってほしいもんです。
※アイキャッチは歌川広重『両国花火之図』メトロポリタン美術館