桜の名所の1つ、奈良・吉野山。金峰山(きんぷせん)から北西方向に連なる尾根約8キロメートルを指し、吉野神宮付近を下千本(しものせんぼん)・如意輪寺付近を中千本(なかのせんぼん)・吉野水分(よしのみくまり)神社付近を上千本(かみのせんぼん)・西行庵付近を奥千本(おくのせんぼん)と呼びます。
4月中旬ごろに下千本から順次見頃を迎えていきますが、次第に山が薄紅色に染まっていく様子は圧巻です。
でもこの桜、花見のために植えられたものではないのだとか。
じゃあ、一体誰のために、十数万本ともいわれる大量の山桜が植えられたのでしょう?
答えは、神様のため!
答えは、神様のため。吉野山には金峯山修験本宗総本山の金峯山寺があり、桜の木はどれもここの御本尊である蔵王権現(ざおうごんげん)のために植樹されたものだったのです。
修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)によって桜は蔵王権現の神木となり、平安中期以降、参詣者らによって寄進され続けました。その結果が、山全体を染め上げるほどの見事な光景だったのです。
昔は桜ではなく、雪のイメージだった!?
西行法師などの和歌にも詠まれ、桜の名所として名高い吉野山。
しかし、『万葉集』や『古今和歌集』など、平安中期までは山岳信仰と関連の深い、雪の山として詠まれることが多かったようです。
義経も後醍醐天皇も!吉野山には歴史上の人物のエピソードがたくさん
吉野山には、桜以外の名所も多数あります。
金峯山寺・吉野神宮・吉水(よしみず)神社・吉野水分神社はじめ多数の寺社が建立される信仰の聖地であり、源義経ゆかりの地であり、南北朝時代に後醍醐天皇らの南朝が置かれた吉野朝の本拠地でもあります。
また、文禄3(1594)年には豊臣秀吉が多くの家臣を従えて、吉野山で花見を行ないました。
平成16(2004)年には、「紀伊山地の霊場と参詣道」のうちの一部として、世界遺産(文化遺産)に登録されています。
アイキャッチ画像:葛飾北斎『雪月花 吉野』メトロポリタン美術館より
参考文献
・『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
・『世界大百科事典』小学館
・『デジタル大辞泉』小学館
・『日本国語大辞典』小学館
・『小学館 全文全訳古語辞典』小学館
・『国史大辞典』吉川弘文館