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2019.08.19

日本のお城観光がもっと楽しくなる!絶対に見たい11の「からくり」を徹底解説

この記事を書いた人

旅行などで、たいていの人が一度は城を観光したことがあるでしょう。建物が多く残る城跡はもちろん、復元された建物であっても、城の構造には見どころが多いものです。
城はかつての領主の拠点であり、攻めてきた敵を退けるためのさまざまな仕掛けが施されていました。それを知って訪ねると、面白さは倍増します。今回はそんな城のさまざまな「からくり」のうち11種類を入門的に紹介。特にこれから旅行で城を観光する予定のある方は、一読しておけば、現地でご家族や友人に説明してあげることもできるでしょう。

お城に行ったら見ておきたい11の「からくり」を入門的に紹介

お城には敵を撃退するための、さまざまな防御施設があります。たとえば、堀、土塁、石垣などは、すぐに思い浮かぶものかもしれません。それらは山城(やまじろ)や平城(ひらじろ)といった城のタイプによって異なるものもありますし、戦国と近世(江戸時代)のように時期によって異なるものもありますが、基本的にいかに外敵の侵攻を防ぐかという工夫です。それらはまさに城の醍醐味(だいごみ)であり、城そのものともいえるものでした。今回は基本的に城の完成形ともいわれる近世の城郭を中心に、「からくり」を4つのテーマに分け、11種類紹介します。

「現存天守12城」とは

松本城

からくりの紹介に入る前に、ちょっと寄り道です。復元された天守(てんしゅ)ではなく、現存する天守がある城が、全国にどのぐらい存在するかご存じでしょうか。一般に「現存天守12城」と呼ばれます。江戸時代には全国およそ300藩のうち、城を持つ大名は幕末時点で151家ありました。もちろんすべての城に天守があったわけではありませんが、明治維新後の「廃城令」により大半の城が破却され、昭和初期の段階で現存天守をもつ城は20になります。その後、戦災により8城が失われ、現在の12城となりました。

ちなみに「現存天守12城」は、弘前城(弘前市)、松本城(松本市)、犬山城(犬山市)、彦根城(彦根市)、丸岡城(坂井市)、姫路城(姫路市)、備中松山城(高梁市)、松江城(松江市)、丸亀城(丸亀市)、伊予松山城(松山市)、宇和島城(宇和島市)、高知城(高知市)です。またそのうち、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城の5城の天守が国宝に指定されています。城を訪れる際の参考にしてください。

姫路城

なぜ水堀と石垣なのか

大坂城の水堀

1.水堀(みずぼり)

では、からくりを紹介していきましょう。城跡を訪れた時、皆さんはどこから城に入りますか。たいてい城跡は「水堀」に囲まれていますので、堀に架かる橋を渡り、城門から内部に入るかと思います。この入口付近を城では虎口(こぐち)と呼びますが、攻める側(敵)にとっては、非常に恐ろしい場所であり、攻防の激戦が繰り広げられる場所なのです。

水堀は水の張られた堀のことで、濠とも書きます。戦国時代以前から水堀はありましたが、近世においては鉄砲の射程距離を勘案して、従来の弓矢の射程(約27m)よりも堀の幅が広くなりました。江戸城で最も広い堀の幅は50間(約90m)といわれますので、容易に越えられる幅ではなく、鉄砲を撃ち合う以外に戦いようがありません。

江戸城清水門より牛ヶ淵方向の堀を望む

また城方は石垣や塀などの遮蔽物(しゃへいぶつ)を盾(たて)にして敵を銃撃できますが、敵は堀端(ほりばた)で体をさらして戦うことになり、鉄砲を撃ち合うにしても不利です。そこで多少の犠牲を払ってでも、橋を押し渡り、城門を突破しようとするでしょう。しかし広い堀に架かる橋の幅は細く、敵は大軍であっても縦列にならざるを得ません。城方はその側面に銃撃を加えることで、大きなダメージを与えることができました。

大坂城に架かる橋

2.石垣

築城技術の大変革といわれるのが、「石垣」の普及です。土塁ではできなかった垂直に近い急斜面の塁壁を築くことが可能となり、石垣最上部の端いっぱい、もしくは石垣から突出した建物を築くことができるようになりました。また水堀とも連繋しており、水堀の先に高石垣の塁壁があることで、敵に「水堀を渡り、石垣を登るのは無理である」と断念させ、戦闘を城門のある虎口付近で行うように仕向けているのです。

伊賀上野城の高石垣

3.横矢(よこや)

「横矢掛(が)かり」ともいいます。石垣や土塁などの塁壁に凹凸を与え、あるいは櫓(やぐら)や塀を張り出させて、攻め寄せた敵を側面から鉄砲、弓で攻撃できるようにした工夫です。守備側の死角をなくし、特に虎口付近の攻防では敵も逃げ場所がないため、横矢は大きな効果がありました。

大坂城の横矢の石垣

攻防戦の主戦場「桝形虎口」の恐ろしい構造

江戸城清水門桝形虎口の高麗門

4.桝形(ますがた)虎口

犠牲を払いながらも堀の橋を渡り切った敵の前には、城門が待ち受けます。多くの場合、高麗門(こうらいもん)と呼ばれるシンプルな門で、突破するのはそれほど困難ではありません。しかし、問題はここからです。門から中に入ると、正面は石垣。通路はL字に90度曲がり、その先に頑丈な第2の門・櫓門(やぐらもん)が立ちはだかります。また、櫓門に向かう敵の背後側も石垣。つまり櫓門と石垣によって三方向を固められた四角い空間になっていました。これが「桝形虎口」と呼ばれるもので、櫓門を突破しようとする敵は、正面の櫓門、横と背後の石垣の三方向から、同時に城方の攻撃を受けることになるのです。

最初の門である高麗門を抜けると、正面には石垣、右手に90度曲がって櫓門
目を左に転じれば左手も石垣。石垣上には土塀がめぐらされていることが多い
城方の目線で桝形虎口を見る。この空間に入った敵には銃弾の雨が注ぐ
大坂城の屈曲した石垣と枡形虎口(左側)

5.櫓門

戦闘用に作られた城内の建物を櫓といいます。櫓門は門の上に櫓が設けられたもので、石垣に挟まれた城門の場合、両側の石垣上に「多聞櫓(たもんやぐら、長屋状の櫓)」を渡すタイプのものと、楼門のように独立してつくられた二階門のタイプがありました。厚い土壁によって防弾に優れ、門扉には鉄板などが貼られて頑丈です。合戦の際は櫓内に将兵が詰めて、敵を櫓上から鉄砲などで攻撃します。

江戸城桜田門の櫓門。門扉には鉄板が貼られ、突破するのは容易ではない

6.控え塀と狭間(さま)

石垣の上には土塀(どべい)がめぐらされていることが多く、塀には敵を射撃するための穴が切られていました。これを「狭間」と呼びます。狭間は円形、三角形、正方形、長方形などの形状があり、弓矢向け、鉄砲向けと武器によって使い分けていたともいわれます。また塀を支える柱を持つものを「控え塀」と呼び、合戦の際には柱の上に足場板を置けば、塀の屋根上から射撃することも可能になりました。狭間と合わせて、異なる高さから敵を攻撃する工夫です。なお塁壁内側を石段状にして、兵の移動を容易にしてある場合もありました。これを「雁木(がんぎ)」と呼びます。
狭間と控え塀
狭間と雁木

このように敵が櫓門の前で足止めされているところへ、櫓門上と横、背後の石垣上の塀から攻撃されれば、甚大な被害が出ることは明らかでしょう。城にはこうした門がいくつも設けられており、本丸(城の中枢部)にたどりつくまでに、敵に大きな犠牲を払わせ、攻城を断念させるつくりになっていました。

城内のさまざまな「からくり」

姫路城内の通路。迷路のように屈曲している

7.屈曲する通路

城内の通路は複雑に屈曲し、石垣などで先が見通しにくくなっています。敵に待ち伏せを警戒させ、侵攻速度を遅らせる効果がありました。特に先が全く見えないヘアピンカーブでは、進軍速度をゆるめざるを得ず、城方の標的にもなります。

江戸城清水門を入るとすぐにヘアピンカープ。城方は敵を攻撃しやすい

8.奥行幅と高さが異なる石段

城跡の石段を昇り下りする際、非常に歩きにくく感じるはずです。実はこれもからくりの一つで、わざと石段ごとの段差や奥行幅、歩幅を変えて、敵が進みにくくしているのです。無理に急ごうとすれば転倒しやすく、転倒によって敵の隊列が混乱すれば、これまた城方の標的になります。
岡山城の石段

9.多数掘られた井戸

籠城戦に備え、城内には多数の「井戸」が掘られ、飲料水を確保していました。熊本城では、120もの井戸が掘られたといいます。また、天守内に井戸が設けられているケースもあります。
姫路城内の井戸

天守と櫓のからくり

狭間の切られた石落とし

10.石落とし

城は曲輪(くるわ)と呼ばれる複数の区画で構成されています。本丸、二の丸、三の丸という言い方の方が、なじみがあるかもしれません。本丸は城の中枢であり、最終地点です。本丸に至るには、敵は三の丸、二の丸をはじめ、その他の曲輪を突破しなければたどりつけない構造になっていました。そして曲輪ごとに、敵に打撃を与える仕掛けが施されています。

その攻撃拠点が櫓でした。櫓については櫓門のところで少し触れましたが、櫓門や塁壁の上に長屋状に築かれたものを多聞櫓(たもんやぐら)、三重、二重、一重の屋根を持つ櫓を三重櫓、二重櫓、平櫓(ひらやぐら)と呼びます。これらにはいずれも鉄砲の狭間が多数切られ、特に二重櫓以上の重層櫓は高い火力を誇りました。城内で最も高い建造物である天守も、重層櫓の一つといえます。また櫓を壊そうと真下から石垣を上ってくる敵には、石落としから巨石を落とし、熱湯をかけ、あるいは銃撃して撃退します。石落としはほとんどの櫓、天守に備えられていました。
松山城天守曲輪の櫓に見る複数の石落とし

11.忍び返し

天守は戦時においては城主の戦闘指揮所となり、最終防衛拠点となります。もちろん天守にまで攻め込まれれば落城は必至ですが、最後まで戦うべく、天守にも多数の狭間が切られ、石落としも設けられました。彦根城の天守には、「隠し狭間」と呼ばれる、外からは狭間とわからない仕掛けもあります。また密かに少数の兵を入れておく「隠し部屋」があったとされる天守も複数存在します。一方、外敵(主に忍者など)の侵入を防ぐ工夫もありました。天守の石垣上に鋭い鉄串を並べる「忍び返し」で、高知城や熊本城小天守で目にすることができます。防御効果もさることながら、威嚇(いかく)的な装飾といえるかもしれません。
高知城の忍び返し

また熊本城大天守では、天守台よりも大きく長い土台材が敷かれ。石垣よりも大きな一階が建ちました。石垣よりもせり出したこの部分を、忍び返しと呼ぶこともあります。
熊本城の忍び返し

さて、いかがでしたでしょうか。今回は多くの城で共通する「からくり」の代表的なものをご紹介しました。もちろんさまざまな仕掛けや工夫は、これだけにとどまりません。「戦いが起きたときに、いかにして守り抜くか」。それを実現するために、当時の人々があらゆる知恵を絞り、工夫をこらした姿が「城」であるわけで、だからこそ奥が深く、興味が尽きないものといえるでしょう。

また、城は一つひとつ立地、気候、形態が異なりますので、それぞれにその城ならではの特徴やからくりがあります。もし旅行で城を訪ねる際には、そうした点にも注目しておくと、より興味深く感じられ、理解が深まるでしょう。そしてなにより、城を運用するのは人間です。その城を誰が、どんな状況下で築いたのかを知ることも、重要なポイントです。

とはいえ、難しいことは抜きにして、まずはぜひ、お城に出かけて、さまざまなからくりに接してみてください。きっと新たな発見があり、お城を訪ねることが楽しくなるはずです。

書いた人

東京都出身。出版社に勤務。歴史雑誌の編集部に18年間在籍し、うち12年間編集長を務めた。「歴史を知ることは人間を知ること」を信条に、歴史コンテンツプロデューサーとして記事執筆、講座への登壇などを行う。著書に小和田哲男監修『東京の城めぐり』(GB)がある。ラーメンに目がなく、JBCによく出没。