戦国時代などの合戦時、敵方の人物の首を取ってきて報告すると褒美がもらえました。先陣を切って敵陣に攻め込むのと同様、手柄として扱われていたのです。
でも、そんな褒められるはずの敵の首なのに、めちゃくちゃ叱られて、周囲からも冷たい視線が突き刺さりまくる、なんてことも……なんでよ~!?
今回は、功名とならなかった首取りについて、ご紹介いたします。
要するに、卑怯な振る舞いをするな、ってことだった
戦国時代はわりと何でもあり、というイメージもあるのですが、明らかに卑怯な振る舞いはかなり厳しく叱られたよう。首を取ってきて功名にならないのは、どれもそうしたパターンです。
奪首(ばいくび)
味方の誰かが取った首を横取りしたもの。他人がやった仕事を、さも自分の手柄のようにアピールするのは、そりゃいつの時代だってバレたら総スカン。
どころか、武田家においてこの奪首に及んだ者は本人のみならず妻子(いなければ親)までが成敗されたそう。
味方討(みかたうち)
文字そのまま、味方の首を取ってくること。っていうか、なんでそんなことするのよ、叱られて当たり前でしょ……。
これも武田家においては本人と妻子(いなければ親)が成敗されたといいます。
作首(つくりくび)
取ってきた首に細工をして、より高い身分の人に見せかけようとしたもの。バレなきゃよかったんでしょうが、残念。
功名となる首にもランク付けがあり、高い身分の首ほど評価の対象になったからなのだそう。こちらは成敗まではされなかったようです。
そのあたりの裏事情についてはこちらの記事をご覧ください。
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こういうものはだいたい非難ごうごう
女性や子どもの首・病人の首を取るのは、卑怯な振る舞いとしてかなり非難されたようです。
また、すでに討ち死にしている人の首、他の人があえて首を取らなかった(さらに高い評価を得るため、別の敵に向かっていった)ところにやってきてチャンスとばかりに楽して手に入れたものも、いくつかの例外を除いて名誉とはみなされなかったようです。
アイキャッチ画像:歌川豊国(初代)『片岡仁左衛門』 メトロポリタン美術館より
主な参考文献:
・鈴木眞哉『刀と首取り 戦国合戦異説』平凡社新書
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