伊達政宗といえば、戦国時代を代表する人気武将。仙台駅には像が立ち、地元の人からは敬意を込めて「政宗公」と呼ばれています。渡辺謙さんが演じた『独眼竜政宗』など、大河ドラマにも何度も登場し、今でも非常に人気が高いですよね。そんな伊達政宗の顔が最新技術を持って「復元」されたとのこと!今も人々を魅了する政宗公のご尊顔は、なぜ、どのようによみがえったのでしょうか。伊達家当代ご当主、国立科学博物館で復元を担当された坂上和弘さんにお話を伺いました。
きっかけはNHK『歴史探偵』。新たな政宗公の魅力をお茶の間に
伊達家18代ご当主、伊達泰宗さん。「伊達家伯記念會」会長として、さまざまに活動されています。オンラインでお話を伺いましたが、背景に政宗公の肖像画の掛け軸が見えました。伊達家にとっていかに大切な方なのかがよくわかります。
ー政宗公のお顔を再現、と聞いて驚きました。なにかきっかけがあったのでしょうか。
伊達泰宗さん(以下、伊達):NHKの方からお電話をいただいたのきっかけです。『歴史探偵』という新番組を始めるにあたって、ぜひ伊達政宗公を取上げ、番組の中で政宗公の「伊達男」ぶりをご紹介したいとのことでした。
ー「伊達男」の起源は政宗公だと言われています。
伊達:そう伝えられていますが、政宗公の「伊達男」ぶりとは表面的な姿形を表したというだけではありません。貴族の家柄にそなわった教養と優雅さ、「独眼竜」の異名を天下にとどろかせた最後の戦国大名としての活躍。そして伊達62万石の藩祖である生きざまこそが「伊達男」の真意であると私は思います。
ー江戸幕府後も政宗公は存在感を示されていましたね。
伊達:伊達政宗公の御霊屋(おたまや)である瑞鳳殿が戦災で消失したため、再建に伴って墓所を発掘しました。お電話をいただいた時にその調査資料が手元にあり、「政宗公」の容貌を復元してみては、と提案させてもらいました。
ーご遺骸が残られていたんですね。
伊達:昭和49年に発掘調査が実施され、私も遺族として立ち会いました。その際、頭骨のレプリカが作成され、頭骨の形状などは判明していましたが、最新の技術で容貌を復元したらどうなるのだろうと思っていました。
ー国立科学博物館の坂上和弘さんが作成を担当されました。
伊達:実は、坂上さんは50年前に政宗公の遺骨を調査された鈴木尚先生(東京大学名誉教授)の孫弟子さんにあたるとのことで、「光栄なことです」と取り組んで下さいました。ただ、私自身少し迷いもあったんです
ー迷い、ですか?
伊達:政宗公の遺骨を扱うことは、調査研究が目的であっても遺族の許可が必要であり、死者の人権にも関わる問題です。また、政宗公は「両の目をそなえよ」と遺言されています。結果として隻眼の容貌として復元された場合、今までの伊達政宗像が壊れてしまったら、と悩みました。
ー政宗公といえば眼帯のイメージです。実際、隻眼での姿は数少ないですね。
伊達:完成するまでは、そのことが気がかりでした。製作途中も見せていただきました。復元が終わりNHKニュースで、記者の方にコメントを求められたのですが、威厳ある立派なお姿を拝顔して、言葉が出ませんでした。凛々しくそして貴族的なご容貌。まぎれもなくご先祖様政宗公が目の前に蘇られた!と確信いたしました。
―どこかお顔立ちが似ていらっしゃるような……。
伊達:記者の方から「政宗公と顎の形が似ていますね」と言われました。逆に言えば私の顎の形状が現代人的ではないということかもしれません(笑)そういえば、瑞鳳殿が再建される以前、境内の事務所で宿直した時、夢枕に政宗公に立たれたことがありました。
―それはすごい!
伊達:政宗公が殉死者と共に甲冑姿で現れました。瑞鳳殿が早く再建されるのを待っておられたのかもしれませんね。今年は仙台開府から420年です。今日私達がこの地で平和な時代を享受できるのも政宗公あればこそ、その歴史を伝え、過去に恥じぬよう進化していくことが、私達の役目であると思います。数ある政宗公の画像と共に、今回完成した復元像もきっと未来へと大切に受け継がれることと思います。政宗公にはお許しいただければ……と思う気持ちです。
現在、伊達政宗公の復元像は瑞鳳殿で展示企画が準備されているとのこと。時間ぎりぎりまでたっぷりとお話をお聞かせくださいました!
頭骨からさまざまな情報を取得しての復顔像作り
最新技術で復元されたという政宗像ですが、実際にどのように作られたのでしょうか。検証・復元を担当された坂上和弘さんは、つくば市にある国立科学博物館で自然人類学と法医人類学を研究されています。
―伊達政宗公の頭骨をもとに復元されたとのことでしたが、「最新技術」とはどのようなものなのでしょうか?
坂上和弘さん(以下、坂上):今回は、復顔や髪型復元、造形の専門家たちのチームで取り組みました。手法としては、頭骨模型の特定の場所に、あらかじめ計測されていた皮膚の厚みを示す杭を打ちます。これは以前の復元でも使われた技術です。
ー杭の高さイコール、顔の厚みになるよう、目印をつけるんですね。
坂上:頭骨模型の微小な形状を基にして、まず咀嚼筋や表情筋といった筋肉を彫刻用粘土で復元します。その後、杭の高さまで皮膚を埋めていくようにして、彫刻用粘土を貼り付けました。これで全体の形状が復元されます。
―骨の上に筋肉、それから皮膚と重ねていく。
坂上:同時に、骨の形状から、目の形、鼻の形、鼻の高さ(鼻梁の曲線)、口の大きさの推定も行います。サイズに合うように個々の部位を形づくっていきます。
―髪の毛はどのように再現されましたか。
坂上:当時の文献に則して最も妥当な髪型を粘土で再現しました。その結果、彫刻用粘土で出来た復顔像が一旦完成します。その後、しわや皮膚の質感といった、より細かい表現を作りこみます。
―かなり細かく作り込まれていました。これで完成ですか。
坂上:いえ、この粘土像を基にして、FRP製の樹脂模型を作成します。
―FRP(エフアールピー)、「繊維強化プラスチック」で合っていますか?
坂上:Fiber Reinforced Plastics 、略してFRPです。その模型に皮膚色を塗り、義眼を入れ、細かい色を塗っていき、完成です。
―2段階に模型を作られていたんですね!肌の色まで再現されていましたが、これは……?
坂上:肌の色は想像で決定しました。時間と費用をかければ、遺骨から抽出したDNAから肌の色調に関する情報を得ることができますが……。
―DNAでそんなことまでわかるんですか。
坂上:ただ、今回は余裕がありませんでしたね。東北地方に多い(福島含む)肌の色の中で、男性で最も多くみられる色を、やや日焼けした状態を想定して決めました。
―戦国武将らしい肌の色ということですね。政宗公は1567年生まれと言われていますが、現代人と骨格からして違いますか?
坂上:かなり違いますね。政宗公の顔は当時としてはかなり目を引く現代風な美男子だったようです。
―確かに、お顔を今見ると。シブくてカッコいい、俳優さんみたいです。
坂上:ただ、頭の形状、一般的には「頭の鉢」という表現が使われます、は前後に長い。現代人ではまず見られない才槌(サイヅチ)頭と言われる「長頭」でした。
―ラグビーボールのような頭だったと。
坂上:逆に中世の人々ではこの「長頭」が一般的でした。現代は「過短頭」。いわゆる絶壁頭です。また、政宗公の頭の大きさは現代人とあまり差はありませんでしたが、生前の身長は約160センチ。当時の平均的な身長でした。つまり体のサイズに比して頭が大きいという特徴があります。
骨からわかることは、私達が想像している以上に多いようです。
骨と歴史が現代の私達に教えてくれること
骨からこんなにいろいろなことがわかるのか、と今回、お二方に伺って驚き通しでした。
私達にとっては遠い歴史上の人物でも、ご子孫にとっては自分たちとつながった存在。歴史のつながりの上に今があるのだと感じました。
時を超えて私達の前に姿を現してくれた伊達政宗公の復顔像。きっと多くの人々の心に残ることでしょう。実物を見られる日が楽しみですね!