「歌舞伎」と聞くと、「The 伝統芸能」というイメージがあり、「何か、難しそう……。」と感じている方が多いかもしれません。
歌舞伎は、江戸時代の庶民に人気のあった娯楽の一つ。旬の話題や事件などをいち早く取り込んだ話題の舞台を観ようと、江戸の老若男女が芝居小屋に押しかけました。歌舞伎役者はアイドルのような存在で、人気役者を描いた浮世絵は、ブロマイドやグラビアのようなもの?
そんな歌舞伎の一大イベントが「顔見世(かおみせ)」。
江戸の歌舞伎の1年は、11月から始まります。なぜなら、この日から江戸三座の新しいメンバーのお披露目でもある「顔見世興行」が始まるから。11月1日は「芝居の正月」とも呼ばれ、歌舞伎ファンにとって大切な日でした。
江戸の歌舞伎役者は、1年契約
江戸時代の歌舞伎の芝居小屋のうち、幕府から興行特権を認められていた中村座、市村座、森田座の「江戸三座」は、歌舞伎役者と1年ごとに専属契約を結んでいました。契約期間は、毎年11月から翌年10月までの1年間。1年ごとにチームと契約をするプロのスポーツ選手と同じような仕組みです。
役者がどの芝居小屋と契約するかの振り分けは、江戸三座の太夫元(たゆうもと/各芝居小屋の興行責任者)、金主(きんしゅ/出資者)などの話し合いで決められていたのだとか。話し合いで決着がつかない場合は、くじ引きで決めることもあったそうですが、これは、プロ野球のドラフト会議のようなものでしょうか?
人気のある役者は奪い合いで、給金が高騰していきました。
幕末の頃から役者の契約期間があいまいになって顔見世興行は行われなくなり、明治時代以降は1年契約のシステムそのものがなくなりました。
ところで、「顔見世」って何?
「顔見世」は、歌舞伎の年中行事の一つで、最大の目的は観客に役者の「顔を見せる」こと。各座が「うちの芝居小屋は、これから1年間、このメンバーで公演を行います!」という一座のお披露目と役者の紹介を兼ねたものだったのです!
「顔見世」は、江戸時代初期の上方に始まり、万治時代(1658~1661年)頃には江戸でも年中行事となったと言われています。
猿若町(さるわかちょう)は、江戸時代末期の芝居町です。町の名前は、江戸歌舞伎の創始者とされる猿若勘三郎(=中村勘三郎)の名にちなむもの。天保の改革によって、日本橋周辺にあった歌舞伎の芝居小屋が浅草に移転。芝居茶屋が並び、座元・役者などの歌舞伎関係者が住む猿若町は、江戸歌舞伎の聖地となり、繁栄しました。
「顔見世」の上演演目決めにもルールがあった!
「顔見世狂言」として上演される演目にも多くの約束事がありました。
幹部で行う企画会議、「世界定」
江戸の各座では、来シーズンに契約する役者が決まると、9月12日の夜、「世界定(せかいさだめ)」を行います。
これは、顔見世興行で上演する狂言の時代やあらすじなどの「世界」を、立作者(たてさくしや)の原案にもとづき、太夫元、座頭(ざがしら)、立女形(たておやま)などが協議する企画会議です。
役者のボス・座頭とは?
芝居小屋・各座の首位に置かれる役者を座頭と呼びます。一座の役者を統率し、舞台、楽屋生活のすべてを統轄する権利と責任を持っていました。
狂言の上演にあたっては、演出家の役割を兼ねます。さらに、太夫元、立作者とともに芝居小屋の経営にも参画。歌舞伎の年中行事の時は、重要な役目を受け持ちました。
このため、座頭は人気と実力の両方を備えているだけではなく、人格的にも優れた人望が厚い人物である必要がありました。
顔見世狂言の脚本づくりのお約束とは?
「世界定」の決定により、立作者は座頭や太夫元の意見を取り入れながら、新しく脚本を作ります。ただし、物語の背景となる時代と場面など、脚本には様々な約束事がありました。
重要視された、歌舞伎の「世界」
歌舞伎の根底には「世界」という考え方があります。
「世界」とは、長い歴史の中で人々に愛され、語り継がれてきた数多くの物語が歌舞伎にとり入れられたもののこと。狂言作者たちが代々秘蔵してきた『世界綱目(せかいこうもく)』という覚え書きには、100以上の「世界」とそれぞれの登場人物の役名、義太夫節(ぎだゆうぶし)の作品名、注などが書き込まれています。
どの「世界」も、基本的な設定と登場人物はほぼ決まっているので、そこに新奇のアイデアを加えて、観客をあっと言わせるのが作者の腕のみせどころ!
「時代物」と「世話物」
1日の狂言は、一番目(時代物)と二番目(世話物)に分けられます。
「時代物」は江戸時代以前の公卿・僧侶・武家などの社会を題材とした狂言。一方、「世話物」は、主として江戸時代の町人社会の義理・人情・恋愛や種々の葛藤(かっとう)をテーマとした狂言です。江戸の人々にとって、歌舞伎の「時代物」は時代劇、「世話物」はホームドラマのようなものだったのかもしれません。
役者を魅力的に見せるための脚本づくり
顔見世狂言では、劇中で一座の役者を紹介します。このため、多彩な顔ぶれの役者それぞれの魅力を十分に引き出すための「世界」を選びました。
一番目の序幕には、必ず神社の回廊で下級の役者全員が活躍する場面を設けます。その後は立役者(たてやくしゃ/狂言の主役を演じる役者)が登場する『暫(しばらく)』の場面で、すべての役者がそれぞれの格に従った役につきました。
一番目の大詰め(おおづめ/最後の場面)は金襖(きんぶすま)のある御殿の場面で、謀叛人(むほんにん)が正体を見破られることがお約束。
二番目序幕は、裏長屋などの狭くてみすぼらしい家で、女房との離縁や引越し騒ぎなどが面白おかしく演じられます。
最後は、すべてが解決され、世話物の場が一転して時代物の場となり、主役を中心とした見得で終幕となります。
観えるのに見えない? 「だんまり」とは?
「だんまり」とは、暗闇の中で繰り広げられる無言劇の形態で、歌舞伎独特の表現技法と言えるでしょう。
山中の古い社(やしろ)など不気味な場所で、どこからともなく様々な人物が現れて、宝物などを奪い合います。互いに相手の着物や刀に触れてハッと手を引っ込めたり、ぶつかりそうになって身をかわしたりと、手探りでゆっくりと舞台の上を動きます。月明かりさえない暗闇の中で、登場人物たちはお互いが見えないという設定なのですが、観客にはすべて観えているという不思議な場面です。
長い芝居の中で、この「だんまり」の場面だけは前後のストーリーとは無関係に、いきなり多くの人物が舞台に登場しますが、これは「だんまり」が「顔見世狂言」の一つの場面として、座頭や人気役者を観客に披露する趣向として演じられてきたからです。
なお、「だんまり」の場で奪い合った宝物や絡み合った人物関係などの謎が、後になって解き明かされる場面を「だんまりほどき」と言います。
「顔見世」の初日を迎えるまで
顔見世の初日である11月1日を前に、様々な儀式が行なわれます。
10月の寄初で、顔合わせ
11月からの新しい座組が決まると、10月10日頃に配役を記した役割表が座員全員に配られ、10月17日の夜に「寄初(よりぞめ)」の式が開かれます。「寄初」とは、顔見世狂言に出演する役者全員が初めて寄り合う儀式で、メンバーの顔合わせのようなもの。この場で、顔見世興行で上演する新作の発表がされ、稽古に入ります。
「寄初」は芝居小屋の3階楽屋または芝居茶屋の2階で開かれ、芝居小屋の従業員などの送迎付き。上方から江戸に下ってくる役者も、この時に合流することが通例でした。
「芝居番付」とは、歌舞伎などの興行のPRのために作られた印刷物で、上演月日・場所・演目・配役・舞台の場面の絵などを記したものです。
「顔見世番付」を芝居茶屋から客筋へ配布したり、あちこちの辻にはり出したりして初日を待ちます。
徹夜で顔見世の初日を待つ観客たち
10月晦日(みそか)には芝居小屋の前に贔屓(ひいき)客から贈られた酒樽などが山のように飾られ、顔見世燈籠(とうろう)が明々と灯されます。観客は徹夜をして、木戸の前で押し合いへし合いしながら木戸が開くのを待ちかまえていました。中には、役者の声色を真似て演じて、盛り上げる者もいたのだとか。
夜八つ時(=午前2時)頃になると、名題(なだい/上演される歌舞伎狂言のタイトル)、配役を読み上げます。
暁七つ(=午前4時)頃には一番太鼓が鳴り響き、次いで鳴る二番太鼓を合図に、入場券の販売が始まります。手打式が終わると、吉例の「翁渡(おきなわた)し」で顔見世の初日が始まります。
初日から3日間は、明け六つ(=午前6時)頃に「翁渡し」の式を行い、『式三番叟(しきさんばそう)』が上演されます。顔見世では太夫元が翁、若太夫が千歳(せんざい)、座頭(ざがしら)または振付師が三番叟を勤めました。
舞台の装飾も、顔見世仕様
顔見世には必ず歌舞伎定式幕(じょうしきまく/柿・緑・黒の3色の布を交互に縫い合わせた幕)を用います。また、舞台の上の破風(はふ)の前へ提燈(ちょうちん)をすき間なく飾り、1個につき一名ずつ座頭以下の出演者の名と紋を書き入れました。
顔見世は、芝居国の正月
顔見世初日から3日間は、芝居国の正月としてお祝いをしました。
太夫元をはじめとする劇場関係者は、裃(かみしも)または羽織袴で他の芝居小屋を訪問し合って祝儀を述べます。太夫元や金主、座頭、立作者などの一座の幹部からは、大部屋の役者や道具などの裏方勤めの人たちに祝儀を振舞います。また、贔屓客から役者へ祝儀が贈られると、贔屓客の名を書いた祝儀札を桟敷(さじき)の手摺りにはり出しました。
顔見世興行は、12月10日頃に終了。千秋楽には、観客を笑わせるため、配役を取り替えたり、故意に筋や演出を変えてふざけて上演することもあったそうです。
芝居見物の朝は早い!
江戸の芝居見物は、朝、日の出とともに始まります。
開演時間を知らせる拍子木が鳴る明け六つ頃、客は芝居小屋に隣接する芝居茶屋に到着。ここで身だしなみを整えてから芝居小屋に移動するのが粋な流れです。いきなり芝居小屋にはいる客は料金の安い席の客です。通常は芝居茶屋を通して席を予約しました。
絵に描かれた美女は、振袖に錦の豪華な帯を締めているので、大店のお嬢様のようです。今日は親同伴で芝居見物に来たのでしょうか? 歌舞伎役者は、当時のアイドル。この時代は、舞台と客席が近かったので、役者からも観客席が良く見えたので、目いっぱいおしゃれをしてきたようです。
復活した顔見世興行
現在も「顔見世」という名称が残っています。
歌舞伎座での「顔見世興行」は、久しく途絶えていたものが昭和32(1957)年に復活。毎年11月公演は「吉例顔見世大歌舞伎(きちれいかおみせおおかぶき)」として豪華な顔ぶれの舞台が行われるようになりました。
また、12月に行われる京都・南座の「吉例顔見世興行」で掲げられる、出演俳優の名前を記した「まねき」。例年、顔見世興行の期間中、公演の大入りと成功を祈り南座の正面をにぎやかに飾るまねきは、京都の冬の風物詩として親しまれています。
2021年は、制限がある中での顔見世興行になりますが、面白そうな演目が並んでいます。
この記事を読んで歌舞伎の顔見世に興味を持った方は、ぜひ劇場に足を運び、華やかな舞台を楽しんでみていかがでしょうか?
主な参考文献
- ・『日本大百科全書』 小学館 「顔見世」の項目など
- ・『世界大百科事典』 平凡社 「顔見世」「座頭」の項目など
- ・『国史大辞典』 吉川弘文館 「顔見世」の項目など
- ・『新版歌舞伎事典』 平凡社 「顔見世」「顔見世狂言」の項目など
スタッフおすすめ書籍