最近は、ルックス、スタイルともにかっこいい男性のことを「イケメン」と呼ぶことが多いかもしれません。
「イケメン」という言葉は造語で、「イケ」は「いけてる」の略で、「メン」は「面」と「men」を掛けたもの。「いけてる男(たち)=イケメン」という言葉は、2000年代頃から使われるようになった言葉だと言われています。
それでは、「イケメン」の前はどういう言葉を使っていたかというと、「美男子」「ハンサム」「二枚目」など?
中でも「二枚目」は、演劇や映画などの美男役のことで、一般の男性にも使われるようになった言葉ですが、実は歌舞伎の用語に由来することをご存じでしょうか?
なぜ「二枚目」と呼ぶの?
江戸時代、歌舞伎役者は芝居小屋と1年ごとに契約を結んでいました。契約期間は、11月から翌年10月までの1年間。歌舞伎の年度初めの11月には顔見世興行が行われ、一座の役者を紹介する狂言が上演されます。
顔見世興行の前には、一座の役者を位順に並べて番付にした「顔見世番付」が作られます。
この番付の左端の最後尾が「座頭(ざがしら)」、右端が「書き出し」、真ん中に「中軸(なかじく)」を据えるのがお約束。「座頭」は一座を代表する役者、最も目立つ最初の「書き出し」には実力があって、お客が呼べる人気役者、「座頭」と「書き出し」のちょうど中間の「中軸」には、この二人とほぼ同格の役者が置かれました。この3人が一座の三本柱です。そして、「書き出し」の次の「二枚目」が売り出し中の花形スターの位置で、「三枚目」は道化役の位置になります。「座頭」の直前が、女形の最高位である「立女形(たておやま)」の位置となります。
このような役者の序列を記載するルールが厳格に守られて番付が作成されましたが、明治時代以降、少しずつ変化します。現在は、興行の座頭に相当する役者を先頭に記載するようになりました
江戸と上方では、好みも違う!?
江戸時代、大衆の圧倒的な支持を受けて大きく開花した歌舞伎ですが、江戸と上方、それぞれの気風を反映して、人気の芝居が異なります。武士の町である江戸では、初代市川團十郎(1660~1704年)が創始したとされる勇壮な「荒事(あらごと)」が好まれました。一方、上方では、初代坂田藤十郎(1647~1709年)が確立した、世間のしがらみに悩む町人が主人公の「和事(わごと)」が流行しました。
歌舞伎の「二枚目」は、「白塗り(しろぬり/顔を白く塗る化粧)で、鼻筋が通ったいい男の役」なのですが、江戸と上方では好みの「二枚目」のタイプも異なります。
江戸の好みは、粋でシャープな「二枚目」タイプ
江戸の歌舞伎では、すっきりとして粋でシャープな「二枚目」が人気。
その中でも、特に二代目市川團十郎(1668~1758年)が初演した『助六』は、江戸っ子の美学が凝縮されたものであり、当時の理想的な色男を体現したものであったと言われています。
江戸の人々は、二代目團十郎の演じる助六を熱狂的に支持。助六やその他の登場人物による小気味のいい啖呵(たんか)や意気地の張り合いの爽快さが、江戸の気風に合っていたのがその理由と言われています。
助六のトレードマークと言える紫の鉢巻など、スタイリッシュな助六のファッションは二代目團十郎が作り出したものなのだとか。江戸の若者たちが助六のへスタイルを真似しただけでなく、鉢巻の色「江戸紫」が大流行するなど、ファッションにも大きな影響を与えました。
上方で人気があるのは、優しい「二枚目」タイプ
一方、上方の歌舞伎で人気があったのは、柔らかみのある優しい「二枚目」タイプ。
初代坂田藤十郎は、遊里を舞台とする場面が含まれた「傾城(けいせい)買い狂言」を得意としました。「傾城」とは国を傾けるほどの美女という中国伝来の言葉で、最高位にある遊女のこと。放蕩(ほうとう)が過ぎて親から勘当され、落ちぶれた商家の若旦那が、身をやつして傾城のもとへ逢いに来るという、切ないその姿が上方の観客の共感を呼びました。
上方歌舞伎の二枚目の代表が、『廓文章(くるわぶんしょう)』の主人公・藤屋伊左衛門。
大坂の藤屋という豪商の若旦那・伊左衛門は、恋人である遊女・夕霧のもとへ通いつめていましたが、多額の借金を背負い、親に勘当されてしまいます。金も力もなくて頼りないけれども愛嬌のある伊左衛門は、和事のなかでも「つっころばし」と呼ばれ、突っつけば転んでしまうようなキャラですが、なぜか憎めないタイプ。笑いもとれることが重要なモテ要素となるのは、現在でも同じでしょうか?
最後は、伊左衛門の勘当も許され、夕霧の身請けの金も届いて、ハッピーエンドとなります。
「二枚目」の役って、どんな役?
歌舞伎の「二枚目」は、美しく若い男性で、男女の色恋を演じることが多い役。何といっても見た目がかっこいいので、舞台の女形が演じる姫や町娘たちだけではなく、観客の女子たちも夢中にさせます。
例えば、歌舞伎の時代劇でもある江戸時代以前の社会を題材とした「時代物」とよばれる狂言に出てくる「二枚目」と言えば、『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』の武田勝頼(たけだかつより)、『鎌倉三代記』の三浦之助義村(みうらのすけよしむら)、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の烏帽子折求女(えぼしおりもとめ)など。
一方、江戸時代の町人社会を描いた「世話物(せわもの)」の「二枚目」と言えば、『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)』の伊豆屋与三郎(いずやよさぶろう)などでしょうか?
『本朝廿四孝』の武田勝頼
『本朝廿四孝』は戦国時代の設定の物語で、武田信玄と長尾謙信(=上杉謙信)の対立を軸にストーリーが展開。歌舞伎では、謙信の娘・八重垣姫の情熱的な恋愛模様を描いた四段目『十種香(じゅしゅこう)』『奥庭狐火(おくにわきつねび)』の場がよく上演されます。
八重垣姫は、切腹した許婚(いいなずけ)・武田勝頼を慕い、勝頼の生前の姿を絵に描かせ、香をたいて供養しています。そこへ、仕官した簑作(みのさく、実は勝頼)が登場。あまりに絵姿にそっくりな簑作を見た八重垣姫は、たちまち恋に落ちますが……。
『鎌倉三代記』の三浦之助義村
『鎌倉三代記』は大坂夏の陣を描いた物語で、三浦之助義村は木村重成(きむらしげなり)、北条時政の娘・時姫は千姫をモデルとしています。舞台は、鎌倉時代に置き換えられています。
京方と鎌倉方との争いの中、京方の三浦之助は、母・長門の危篤の知らせを聞き、傷つきながらも戦場から絹川村の母の病床へ戻ります。そこで三浦之助を迎えたのは鎌倉方の大将・北条時政の娘で、三浦之助を慕う時姫。「敵方の娘は、妻にできない。」と、三浦之助は時姫をはねつけますが……。
『妹背山婦女庭訓』の烏帽子折求女 実は藤原淡海
『妹背山婦女庭訓』は、上代から中古の歴史題材を扱った「王代物(おうだいもの)」と呼ばれる作品の代表的演目です。
烏帽子折求女の正体は、蘇我氏の謀略によって失脚した藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の息子・淡海(たんかい)で、町人に身をやつして、曽我入鹿(そがのいるか)に反撃する機会を伺っています。
三輪山のふもとの村にある杉酒屋の看板娘・お三輪と入鹿の妹・橘姫、二人の女性に惚れられた求女は……。
『与話情浮名横櫛』の伊豆屋与三郎
江戸の小間物屋・伊豆屋の養子で跡取り息子の与三郎。実子の弟に家督を継がせようと、わざと放蕩を重ねて勘当され、木更津の知り合いに預けられています。
もとは深川の芸者で、木更津で勢力を誇る親分・赤間源左衛門の妾となったお富と、与三郎は木更津の海岸で出会います。お互いに一目ぼれした与三郎とお富は、忍んで逢引をするようになりますが、赤間源左衛門に見つかり、与三郎は全身に34か所の傷を負います。お富は海に身を投げます。
3年後、九死に一生を得たお富は、質店和泉屋の番頭・多左衛門に囲われ、鎌倉の源氏店(げんじだな)の妾宅で何不自由ない暮らしをしています。鎌倉へ流れ着いた与三郎は、頬に蝙蝠の入れ墨のある蝙蝠安(こうもりやす)の相棒となり、傷跡を元手に強請(ゆす)りなどして日を送る身の上になっていました。
ある日、与三郎が蝙蝠安に連れられて強請りにきた家がお富の妾宅で、死んだと思っていたお富に出会った与三郎は……。
江戸の「二枚目」の若旦那役は、伊豆屋与三郎のように、おぼっちゃまキャラでもどこか粋なところがあるのが特徴です。
「二枚目」の役には年齢制限なし!?
歌舞伎の「二枚目」の役は、紹介した役のほかにもあります。共通した特徴として、美貌、色気、気品、若さがあげられます。
ただし、若い役を勤めるのが年齢の若い役者に限らないのが歌舞伎の面白さ。若い役者が勤める「二枚目」役に「見た目はきれいだれど、何か、物足りない……。」と感じ、ベテランの大御所が勤める「二枚目」役からあふれ出る気品と色気に、一瞬で魅了されることもあります。
歌舞伎では、見た目はもちろんですが、役柄に合った雰囲気、「らしさ」も大事なのです!
「それ、本当なの?」と思った方は、劇場に足を運び、ご自身で確認してみてはいかがでしょうか。推しの「二枚目」を探してみてください。
- 主な参考文献
- ・『歌舞伎の解剖図鑑:イラストで小粋に読み解く歌舞伎ことはじめ』 辻和子絵と文 エクスナレッジ 2017年7月
- ・『歌舞伎、「花」のある話』 小山観翁著 光文社 2004年5月
- ・『最新歌舞伎大辞典』 冨山房 「二枚目」「立役」「櫓下看板」の項目など
- ・「巻頭特集 水も滴る二枚目役者」(『演劇界』 演劇出版社 2011年8月)
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