「恋の至極は、忍ぶ恋と見立て申し候(『葉隠』)」なんて言葉があるけれど、恋がはじまったら忍んでばかりもいられない。もっとも恋にもいろんな種類があるもので道ならぬ恋、裏切りの恋、すれ違いの恋とすべての恋愛がハッピーエンドになるとも限らない。男と女のあいだには深くて暗い河があるようで、ときに想像もつかない悲劇が起こることも有りうるのだ。
江戸期の小説や浮世絵、芸能作品にはしばしば「蛇」になった女たちが登場する。愛執の果てに蛇へと化身する女。蛇はやがて着物の「帯」と結びつき「蛇帯」の怪異となっていく。今回ご紹介するのは、そんな好色と怪異がないまぜになった数奇な物語だ。
女たちは愛と憎しみの果てに蛇になる
ベッドルームに忍びこんだのは…
『霜夜星(しもよのほし)』は柳亭種彦(りゅうていたねひこ)による読本で『東海道四谷怪談』の原拠となった『四谷怪談』をもとに書かれた伝記小説。
貧しさから抜け出るために醜女のお沢としぶしぶ結婚した浪人、高西伊兵衛。しかし伊兵衛は、かねてから心を寄せていた美しい娘お花のことが忘れられずにいた。ひょんなことからお花と情を交わしてしまった伊兵衛は、やがて醜い妻をないがしろにするようになり、それに耐えかねたお沢は入水自殺してしまう。その後、お花と伊兵衛は結婚するのだが、婚礼の夜、お沢の執念が蛇となって二人のまえに現れたというお話。
安珍と清姫の悲恋物語
人形浄瑠璃、歌舞伎でもよく知られる『安珍清姫の物語』にも蛇体化した女性が現れる。物語は奥州から熊野詣に来た修行僧・安珍に清姫が恋をしたことから始まる。清姫の情熱を断りきれなかった安珍は再来を約束するが、約束の日になっても安珍が戻ることはなかった。
ここからが怖い。
清姫は裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追いかける。そして最後には、道成寺の鐘のなかに逃げこんだ美僧を焼き殺してしまうのだ。逃げる男に追いすがる女の執念を象徴する背筋の凍る話だ。
まだまだあった蛇になる物語
蛇に変身する女たちは江戸時代の怪異文芸や芝居、浮世絵に好んで脚色されてきた。その数は膨大で、当時の人気ぶりがうかがえる。
たとえば『諸国百物語』では、参拝の途中で美しい稚児に出会った娘が恋焦がれるあまり死んでしまう。一方、稚児のほうも娘の死後に床に臥せる。あるとき、両親は蛇に魅入られた稚児が大きな蛇と語り合っているのを目撃する。やがて稚児も亡くなってしまうのだが、話はここで終わらない。その後、娘の遺骨を取り出した母親は骨が一つ一つ小さな蛇のようになりかけているのに気付くのだ。
『曾呂里物語(そろりものがたり)』では平泉寺の若き美僧が京見物の帰りに老巫女に惚れられる。そのしつこさに僧は老巫女を騙して逃げるも、僧の居場所を突きとめた老巫女は恨み言を吐き捨てる。うんざりした僧はついに舟渡りの深みに老巫女を沈めて殺してしまう。しかし老巫女はあきらめない。今度は大蛇になって僧の後を追ってきたのだった。
江戸初期の仮名草子『因果物語(いんがものがたり)』の悲劇もまた、若い僧が一目惚れされたことからはじまる。相手は僧への激情の末に亡くなるが、その後、不思議なことが起こる。僧の寝ている蒲団の下から白い蛇が何匹も出てくるようになったのだ。これではおちおち寝てもいられない。身の毛もよだつ話である。
蛇という不幸な恋の終着点
蛇による不幸がこうも続くと、疑問がわいてくる。
物語に登場する蛇とは何を意味しているのだろう。女たちはなぜ、馬でも牛でもなく蛇にならずにはいられなかったのか。
蛇になった女たちは美僧を追いまわし、初夜の部屋へ忍びこみ、蒲団のしたに隠れ、一度は愛したはずの相手を焼き殺したりと過激な行動が目立つ。蛇にあまり良いイメージがないのは、このように蛇が執着心や嫉妬と結びついているからだろう。しかしすべての蛇を悪者扱いすることはできない。たとえば『宇治拾遺物語』には、蛇に姿を変えた観音様が谷底へ落ちかけた男を救うなんて話もある。
歴史を振りかえると、日本の蛇婦譚は自然の神々と人間の関わりを語る古代の昔話や伝説を起源にもつらしい。中世の仏教教理を説いた宗教説話の影響もあったにちがいない。やがて江戸期の小説や浮世絵といった隆盛を背景に、恋の苦悩や嫉妬心のために蛇身になってしまう女性たちの怪異譚が描かれるようになっていく。
虚構の物語作品になると、ここに神々への畏怖や信仰心を見いだそうとするのは難しいかもしれない。それでも「女性が蛇になる」という奇妙な設定は人の心の闇を表現する際にとても重要な記号になっていることに変わりはない。
ちょっと異色の女人蛇体譚
これまでは体まるごと蛇化するというお話をばかりだったけれど、じつはすこし変わった蛇化もある。
寛文3(1663)年に刊行された『曾呂里物語(そろりものがたり)』の影響を思わせる古浄瑠璃『嵯峨釈迦御身拭(さがしゃかおみぬぐい)』には「蛇髪」を描いた場面がある。資料によれば、女たちは嫉妬のあまり髪が蛇のようになってしまったらしい。
よく似た話はほかにもある。享保20(1735)年に大阪豊竹座で初演された人形浄瑠璃『苅萱桑門筑紫轢(かるかやどうしんつくしのいえづと)』もまた蛇髪の物語のひとつに数えられるだろう。これは寝ていた2人の女房の髻(もとどり)が小さい蛇になり、鱗を立てた為に食い合う黒髪を一刀両断に切りはなつ、というもの。
髪は女の命というくらいだから、女性の髪はもしかすると心霊と分かちがたく結びついているのかもしれない。髪が蛇になるなら、その道具に何かが宿ったとしても不思議じゃない。たとえば鶴屋南北の『東海道四谷怪談』では、母の形見の櫛にお岩の霊魂が依り憑いていた。
枕や櫛は、呪術民俗のシンボルでもある。目に見えず、正体もわからない怪異はこうして姿を私たちの前に晒していたのだろう。
女、蛇そして帯へと連想された怪異「蛇帯」
鳥山石燕の『百鬼夜行拾遺』には、生活に潜む怪異への畏怖を見いだすことができる。ここに「蛇帯(じゃたい)」なるものが描かれているのだ。
『百鬼夜行拾遺』をめくっていると、新しい幽霊を創り出そうと奮起していた江戸怪談のあまりの熱量に感心してしまう。女性たちの過激なまでの情愛を「蛇」そして「帯」へと連想させて生まれた「蛇帯(じゃたい)」もまたユニークな怪異だ。
恋相手を妬むほどの女性の霊魂が自らの帯を蛇に変えてうごめく呪具になる、という図はなかなかに印象的。興味深いのは、女性の怨みが身近な生活用具に憑いているということ。
『付喪神絵巻(つくもかみえまき)』でも見られるように、情愛の衝動が身近なものに宿るという特徴は江戸の怪異が常日頃から人びとの暮らしのすぐそばに棲みついていたということを教えてくれる。
仏教説話から大衆文芸へ
『女人蛇体―偏愛の江戸怪談史―』の堤邦彦氏によれば「女人蛇体」という概念は『法華経』の説く「竜女成仏(りゅうにょじょうぶつ)」の思想の影響を強く受けているという。
とはいえ、江戸の怪異文芸や浮世絵に登場する蛇身の女というモチーフがすべて仏教的な女人観のもとに生まれたわけではない。近世になると仏教は僧の手から離れて人びとの生活のなかへ位置づけられるようになる。こうした状況のなかで因果応報や輪廻、成仏などを説く仏教説話が浮世の恋の物語という大衆文芸に創り変えられて形となったのが蛇体変身という不思議な物語なのだ。
蛇身の女たちをめぐる話の数は膨大なのですべてを紹介することはできないのが、物語を読み解いていると蛇身の女の創作に打ちこむ作家たちの姿がおぼろげに遠くに見えてくるようでちょっと愉快だ。
【参考文献】『女人蛇体―偏愛の江戸怪談史』 堤邦彦、2006年、角川叢書