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2022.02.03

平安時代のマルチリンガル・空海に学ぶ語学上達術~実践編~

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文学を起点に、やがて言葉の世界にものめり込んでいった空海。これは書家としての立場を確立していくうえでも重要なステップである。

書家とはざっくばらんにカテゴライズすると、言葉に関わる職業である。書、つまり魂をもって紙に記す言葉について究める人たちが書家である。書家の話からやや遠のくが、言葉を究める職業のひとつに言語学者が挙げられる。しかしながら、日本の言語学者で書家としても活動している人というのは筆者の経験上思い当たらない。

一方で、言語学を(ちょっとかじった程度ではなく)トコトン究めた書家というのも日本の歴史上ほとんど存在しない。書家が「書く」という行為においては書に関する高度な技術と教養が求められる。近年では多くの書家も登場しているが、そのほとんどは実務に重きを置いている人たちで、言語学を大学院博士課程レベルまで究めた人というのは見当たらない。

以上を踏まえると、言葉について理論および実務の双方の観点からパースペクティブかつパーフェクティブに究めた書家は日本史上、空海ただひとりであるということが言える。

さて、言語学の世界では、現地でのフィールド調査や言語資料(文学、新聞を含む)、実験による反応測定などを通じて言葉を分析する手法がとられている。空海の場合、サンスクリット語や中国語で書かれた文献を読み漁り、また中国やインドの高僧との実際の交わりの中でこれらの言語における話し言葉や書き言葉がどんなものであるのかを獲得し、体系化していったものと思われる。

空海はただ外国語をマスターしただけではなかった。こうしたフィールド調査や言語資料をもとに、最終的に真言密教を支える経典のひとつであり、日本初の言語学理論である『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』の中で、日本語という言語に対して模式化された仮説を打ち出すに至るのである。

そんなすご技はできなくてもいいから、まずは語学をマスターする方法が知りたい!

こうして中国語やサンスクリット語をマスターした

前回の記事では、特に中国語においてはネイティブを上回るスキルを有していたことを確認した。ここでは、「中国語やサンスクリット語をどのようにして習得したか?」に立脚しつつ、これらの言語の短期マスター、ひいては『声字実相義』の提唱にも繋がる空海の視点に着目したい。

中国語やサンスクリット語、日本語を複合語として見る

筆者が日頃体験していることであるが、外国語の文献を読んでいると、文献に書かれた内容のみならず、その言語そのもの(日本語と比較してどうだとか)にも自ずと視線がいく。同様に、言葉のプロフェッショナルである空海は、中国語やサンスクリット語で書かれた文献を読み込んでいく過程の中で中国語やサンスクリット語の言葉に敏感に反応し、「これらの言語が複合的に組み合わさって出来た言語である」という点に気づかされたはずだ。

大澤さんは翻訳者でもあります

ちなみに、空海が接していた古代日本語は、動詞から別の新しい動詞を作り、また他の品詞の単語を借りながら新たな動詞を生み出すということを繰り返してきた。

「荒る→荒らす」「別く→別かる」「語る→語らふ」「取る→捉らふ」のように、動詞が形を変えて語幹部に入り込んで新しい動詞を産み出した。「取る→取り持つ」「打つ→打ち越ゆ」のように連用形に別の動詞を重ねて複合動詞を産んだ。「荒」「神」「悲し」のような名詞や形容詞を語幹にして「荒・ぶ」「神・ぶ」「悲し・ぶ」のような語幹と語尾の関係が分析的な動詞群を産出した。「つく→たたな・づく」「たつ→際・だつ」のように接尾辞となって多数の接尾動詞を作った。(中略)また、動詞は別の品詞の造語資源となることもあった。「包む→つつまし」「巧む→たくまし」のように動詞が語幹部に入り込んでシク活用形容詞を産んだ。「舞ふ→舞ひ」「見る→(国)見」のように動詞連用形を名詞に転用した。

京都大学文学研究科編『日本語の起源と古代日本語』

空海にとって言語学者としての専門分野は音声学・音韻論であった。空海がこうした古代日本語の語形成における音韻変化にも興味を持っていたとしても不思議ではない。

日本語の複合的な側面に目を付けた点においては、複合名詞などを分類しながら『日本大文典』と呼ばれる日本語文法書を編纂(へんさん)したイエズス会宣教師のジョアン・ロドリゲスとも共通するところがある。

空海は在唐中、中国の詩経僧、義浄(ぎじょう)が訳した『能断金剛般若経(のうだんこんごうはんにゃきょう)』を密教の立場から解釈したりもした。-Colbase(空海筆・金剛般若経開題残巻/奈良国立博物館所蔵)

ここで、日本語の「兎」という文字を考えると、これもまた「うさぎ」という音を示す部分と、「毛がモフモフした動物」という意味的な部分から成る複合語である(※)。さらに中国語に目を向けると、古代中国から伝わる八卦(はっけ)のひとつ「艮(ごん)」には、「山」を表す表層的な意味と、漠然とした「山」的なものを表す深層的な意味があり複合性を持つ。空海はそういった意味の違いが生じる理由をトコトン突き詰めていくわけで、最終的に『声字実相義』の中で結実する。

※「兎」における「うさぎ」という読みは、飛鳥時代に高句麗より伝わったとされている。

言葉の概念を引き出し、外国語を効率よく習得する

以上の流れから、複合語の意味の世界にもどっぷり嵌ってしまった空海は試行錯誤の末、ある法則を見出すのである。ここで、空海の脳内を覗いてみよう。

複合語は、「名」が指示する「体」がそれぞれどのような関係にあるのかを具体的に提示することなく、関係をいわば捨象して、一挙に、「名」を併置してしまいます。そして、その全体が「一」なる「word」であるようにまとめてしまう。あるいは、逆に「一」とみなされているものを、いくつかに分けて併置し、それをまた一挙に統合するというオペレーションでもある。空海は、両方向にわたって、このオペレーションの天才です。かれのテクストはこの論理的オペレーションによって貫かれている。

(小林康夫他『日本を解き放つ』)

ここでより分かりやすい例として、令和3(2021)年4月から6月までの間に放送された日曜劇場『ドラゴン桜』の第3話で展開された龍海学園高等学校の特別進学クラス「東大専科」での英語の授業を取り上げるとしよう。「東大専科」に派遣された弁護士の桜木建二(阿部寛)が同じく弁護士である水野直美(長澤まさみ)や生徒と英単語の覚え方について話している場面では、「unite」の意味がなぜ「団結する」であるのかを尋ねるシーンがあった。

この授業の中身を種明かしをすると、本当に英語ができる人は英単語をそのまま覚えたりせず、まず単語を分解してみて、「uni」が付く英単語のリストアップを意識的に行っているということだ。「uni」が付く英単語にはその他にも「university」「uniform」があり、これらを並べてみて「1つ」という共通する意味があることを見つける。そして、1つのものするから「unite=団結」であることに気づく。辞書を引けば、「結合する」「提携する」「結婚させる」「併せ持つ」という意味も出てくるが、すべて「1つ」という言葉から来ている。

さらに、「uni」がくっついて生まれた「university」という単語を考えるとしよう。これは1つを表す「uni」と、詩を意味する「verse」と、性質を表す「ity」が合体して出来た複合語である。「uni」と「verse」と「ity」の間には何の関係もない。いわゆる関係を捨象し、併置したのが複合語だ。

そして言語をマルチリンガルに使いこなす人たちの間では、1つになった「university」を分解して、「uni」が付く言葉をリストアップしながら、最終的に「たくさんの学部が1つのところに集まっている」という意味を引き出すという操作が行われている。つまり、本当に英語ができる人は「university=大学」と認識していないのだ。

空海が生きた時代からさらに下ると、明治時代には「技術」や「家庭」といった翻訳語としての複合語が多数生み出された。「家庭」を例に挙げると、「家」と「庭」という全く関係を持たない言葉が合体して出来た複合語であり、ここにも「university」に見られたのと同様の複合語の論理が働いている。

もちろん、こうした複合語の論理は中国語やサンスクリット語、さらには空海が接してきた古代日本語にも存在していた。そして、いち早くそのことに目を付けたのが空海であり、上の例と同じ要領で言葉の概念を瞬時に引き出した。この面では空海はとても秀でており、複合語の要素を併置して、それを再び統合し、それによってその意味構造を見抜くプロフェッショナルであったのだ。

空海が通訳者として活躍できた理由

まさにグローバル化の時代であった弘仁(こうにん)のモダニストとして、周辺国と日本とを繋ぐ友好の懸け橋としても活躍した空海。渤海(ぼっかい)国の官吏であった王孝廉(おうこうれん)の死を知り、即興で王孝廉を偲ぶ漢詩を作ったというエピソードも残されている。

なぜ空海が通訳者として活躍することができたのかと言うと、言葉の概念、つまり言葉に秘められた暗示的意味に目を向けたことが大きい。その暗示的意味に目を向けることは、高度に外国語を使いこなす翻訳者に求められるスキルのひとつとして現代の通訳・翻訳業界で啓蒙されている。

言語能力と「世界に関する知識」を用いて起点テクストの意味(sense)を把握する。言語的構成要素は単に明示的意味だけでなく暗示的意味も参照して理解しなければならない。そのようにして著者の意図を再現するのである。レデノールによれば、我々の世界に関する知識は非言語化されており、理論的、一般的、百科全書的、文化的という性質を持ち、その活性化の仕方は翻訳者とテキストによって変わってくる。「翻訳者はテクストの中の事実を理解し、その感情的含意を感じるように求められる特権的読者である。

(ジェレミー・マンディー著/鳥飼玖美子訳『翻訳学入門』)

以上は翻訳について述べているが、即時性が求められる通訳に関しても同様のことが言える。概念的レベルで言葉を理解した人ほど、必要な推論を効率よく行うことができ、それによってスムーズなコミュニケーションが達成され得る。

空海は当時の日本語のみならず、中国語やサンスクリット語に関してそれぞれの単語の複合性に着目したうえで、そこに内在する概念をあぶり出すことで、ある種の法則を見出した。その結果、ネイティブ並み、いやネイティブをはるかに上回るほどにマスターすることができたというわけだ。

言葉の大本を理解できてたってことかな?どうやったらそんなことができるんだろう

複合語の論理を究め、日本初の言語学理論『声字実相義』の提唱へ

関係を捨象した複合語から要素を取り出して併置し、そこに統合的なイメージ(=意味的概念)を付与するという空海が行ったそのプロセスには、「社会」や「自然」「権利」などの翻訳語を生み出した明治時代の知識人たちとは比べ物にならないほど、想像を絶する創造力が働いていた。そして、こうした複合語の併置と統合のオペレーションを繰り返した結果、最終的に『声字実相義』という日本初の言語学理論の提唱に辿り着くわけである。

空海は言語学者として、サンスクリット語の文法書である『六離合釈(ろくりがっしゃく)』を参照しながら、この『声字実相義』が日本語のみならず、中国語やサンスクリット語にも適用可能な理論であることを証明しようとしたのではないかとも推察されている。だとすれば、『声字実相義』が現代言語学の基礎として支持されているソシュールの理論並みに(実際はそれを凌駕していたわけであるが……)当時としては画期的なものであっただろうということは大体予想できる。

空海が西洋の言語学者を牽引するソシュールに比してどれだけ立派な理論を提唱したかについては、こちらの記事をどうぞ。
え?仏教だけじゃないって!?空海は国内現存最古の辞書も作ったスーパー言語学者だ!

空海は現代の言語学者をはるかに超えていた

空海が複合語の解釈の中でとったと思われるものと全く同じ手法は、現代では認知言語学で盛んに取り入れられている。現代言語学は日本では明治時代頃に確立した学問であるが、1980年代になってジョージ・レイコフというアメリカの権威ある言語学者が登場し、認知言語学が誕生したことがきっかけとなり西洋でもようやく受け入れられ始めた手法なのだ。

ただ、言葉に対する空海の分析眼は現代の言語学者の比ではないほどに極めて優れたものであった。

真言八祖像-Colbase(真言八祖像のうち空海/奈良国立博物館所蔵)

まず、複合して生まれた現代日本語の数は動詞だけでも約3500個に及ぶとされている。「叩き落とす」「押し殺す」といった言葉はそのひとつだ。明治時代の標準語政策の影響もあり簡略化されたのが現代日本語であるわけで、古代日本語には母音が8個あったことからも分かるように、現代よりも複雑な言語体系を有していた。

現代においては複合動詞に関する研究が複数の言語学者の間で進められているものの、大量のデータを収集し、日本語の語彙とその語彙が表す背景知識を紐づける作業が難航しており、いまだに決着がついていないのが現状だ。例えば「叩き落とす」という複合動詞を考えた場合、「叩く」と「落とす」という関係を捨象した動詞が組み合わさって生まれた動詞が全体でどういう意味構造を持つのか解明されていない。

その一方で、空海はたったひとりでより複雑な言語体系を持った古代日本語のあらゆる語彙の意味的多様性に関して答えを見出した。つまり、通常であれば数十名単位の言語学者の力を必要とする処理が空海の脳内だけで完結していたのだ。

ようやく同じ土俵に立つことができたとはいえ、空海と現代の言語学者との間には越えられない壁がある。空海にあって、現代の言語学者にない“何か”があるのは言うまでもない。

日本国内において真の日本文化を知る者は空海だけかもしれない

すごいタイトルだな〜

現代の言語学者を凌駕しており、語学上達術とも強く結びついた空海の思考とはどういったものなのだろうか。
続いて、空海のその思考の本質にも着目していただきたい。

空海を超えるインテグリティーの思想家はいなかった。空海だけが、この日本のインティマシー・オリエンテッドな文化のなかで、それを損なうことなく、強烈なインテグリティー・オリエンテッドな思考を導入してしまった。そこが、空海という人の深い謎ですよね。(中略)空海という現象は、ある意味じゃ、日本文化のなかで完全な異端だけれども、同時に完全に正当なわけですよね。

(小林康夫他『日本を解き放つ』)

ここでキーワードとなるのが「インテグリティー」と「インティマシー」だ。アメリカの東洋哲学者のトマス・カスリス氏は世界のあらゆる文化の根底にあるインテグリティーとインティマシーという概念的構成要素を対立させたうえで、「日本文化の本質はこの上なくインティマシーである」と結論づけている。

それに対して、哲学者である東京大学の小林康夫名誉教授らは「インティマシーの要素が強いながらも、インテグリティーの要素も入り込んでいるのが日本文化である」と反論しつつ、以下のようなコメントをしている。

現代の日本人はインテグリティーやインティマシーがどんなものか分かっておらず、適切に訳すことができない。一方、空海は日本文化のインティマシーを最も究めた人であり、そのうえ最もインテグリティーな思考を持っていた。

空海は日本文化の根底にあり、日本語という言語とも深く結びついたインティマシー、インテグリティーが何であるのかを把握していた。なぜなら、空海自身がインテグリティーであり、自らインティマシーに関わった結果、日本文化へと昇華していったから。四国遍路の「同行二人」の思想はこういうところから来ているのだろう。

インテグリティーやインティマシーは一言では言い表せない概念なのであるが……。言葉の本質について体系的に明かした『声字実相義』で考えるならば、インティマシーは声、インテグリティーは文字を表す。

平安時代初期に空海が生を受けてから1000年以上が経つが、この日本にはいまだに空海を超えるキワモノは現れていない。つまり、これは『源氏物語』から「もののあわれ」という日本の心を見出したとされる本居宣長も所詮、空海には及ばないことを意味する。人間を究めたプロフェッショナルでさえ空海を超える人がいないのだから、本当の意味での日本文化を知っている日本人はこの世にも、これまでの日本の歴史の中にも空海を除いて存在しないということが言えるかもしれない。

少なくとも空海にとって日本文化とは、正月に初詣に行ったり、花見や相撲、歌舞伎など、いわゆる日本的と考えられているイベントを愛でたりといった、私たちが日本文化と聞いて思い浮かべるものではないと思うのである。

話は逸れるが、小説の面白さは著者の思想と連動して醸し出されるもの。その点を鑑みると、日本初の長編小説『源氏物語』の作者であり、同じく平安時代に活躍した紫式部も、その文学的センスは空海の足元にも及ばない。とにかく超越的な思想を持つ空海と日本のあらゆる文人との間には越えられない壁がある。

空海のインテグリティーな思考は、実に現代の言語学者はおろか、日本人をはるかに超えていた。こうしたインテグリティーな思考があったからこそ外国語をスピーディーに習得後、ネイティブを超える外国語能力を発揮しつつ、各分野で第一級の文化人として活躍することができた。そして、その視点をもって日本語および日本文化に内在する“インティマシー”な秘密を暴いた結果が、真言密教を支える経典のひとつ、『声字実相義』への帰結であったのだ。

ズバリ!空海に学ぶ語学上達術とは

「空海がマルチリンガルになれたのは、特別な能力の持ち主であったからであって、一般の人たちが空海の真似をするなど無謀な挑戦なのでは?」
「すでに臨界期(言語学的に語学の習得が容易であると考えられている年齢)を過ぎてるし手遅れだ」
そう思った人も多いのではないだろうか。

確かに、フランスの通訳者兼通訳研究者であるクリストファー・ティエリーの論文によると、真のバイリンガルとは「2つの母語を有し、思春期またはそれ以前に2つの言語を習得しており、成人後も生活の中に2つの言語を取り入れるなど意識的な努力を怠っていない者」として定義されている。

「そもそもこれまで生きてきたなかでネイティブレベルに到達したことなければ、現在も英語が母語とは言えない生活を送ってるし……」
もちろん、そんな心配は無用だ。

ここで、押さえておくべきポイントは2点。1つは上で見た概念で捉える思考で、もう1つの重要なポイント、それは前回の記事でも取り上げたクリティカル・シンキング(critical thinking)だ。概念で捉える方法はなかなかハードルが高く、こちらのほうが手っ取り早く始められる方法かもしれない。

空海の場合、このクリティカル・シンキングは『三教指帰』で培われ、『文鏡秘府論』の編纂において発揮されたわけだが、実は日常会話のみならず、ビジネスの実践の場でも重要視されているスキルなのだ。空海は唐から帰国後、満濃池の土木事業に携わったことでも知られるが、語学で培ったクリティカル・シンキングが活かされた結果と言える。

ちなみに、直訳すると批判的思考。ただ単に批判を指す言葉ではない。より正確に言えば、自分の考えを常に疑いながら、論理的に考えるための手法を指す。その際、「その情報は本当に正しいのか?」「自分の考えを誰かに伝えた時の相手の反論を把握しているか?」といったことを自らに問いかけつつ、常に自分の考えに対して懐疑的になることが求められる。

英語などの外国語に限らず、日本語での普段の会話にも言えることだが、常に教科書通りではない想定外の場面に出くわすのが日々の会話だ。そんな時、会話を切り出すためにも、問題を適切に分類し、その問題を解決可能な方法を見つける能力が求められる。これが簡単に言うと「クリティカル・シンキング」である。

特に日本の戦後外交をめぐっては、昭和45(1970)年の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の首脳会談、昭和58(1983)年の中曽根康弘首相による「不沈空母」発言などでたびたび波紋を呼び、失敗に終わっている。昨今では近隣の諸外国との間で緊張関係が続いており、その原因のひとつに忖度や語学力不足が関係しているのだろうが、政治家の対応の不手際さが窺われる。外交問題から離れて、例えば昨今の国会で何度も槍玉にあがった森友・加計学園問題にしても延々と議論が続くばかりで、問題が一向に解決しないことなどを踏まえても、政治家を含めた現代の日本人の語学力不足の根本的原因は詰まるところ、このクリティカル・シンキングにあると言えるのではないだろうか。

あらゆる会話パターンに最適化された答えを見出すための手っ取り早い手段が読書だ。近年、英語学習において多読が重要視されているのもそういう目論見があるのではないだろうか。空海の話に視点を移すと、自身が編纂した『文鏡秘府論』を参照する限り、膨大な量の原著を読み漁ったであろう形跡が窺われる。

ネットニュースでもなんでもいい。とにかくさまざまな題材に触れて、より多くのパターンを取り込む。それが空海に学ぶマルチリンガルへの近道なのだ。

やっぱり地道な努力が大切なんですね!

(参考文献)
『日本を解き放つ』小林康夫、中島隆博 東京大学出版会 2019年
『日本語の起源と古代日本語』京都大学文学研究科編 臨川書店 2015年
『意味の深みへ:東洋哲学の水位』井筒俊彦 岩波文庫 2019年
『歴史をかえた誤訳』鳥飼玖美子 新潮文庫 2004年
『翻訳学入門』ジェレミー・マンディー著/鳥飼玖美子訳 みすず書房 2009年
『通訳学入門(新装版)』フランツ・ポェヒハッカー著/鳥飼玖美子訳 みすず書房 2020年
「日本語複合動詞の意味論」国立国語研究所(NINJAL)講習会資料
アイキャッチはシカゴ美術館より一部をトリミング


大澤さん曰く、空海が実践した方法に近い形で語学を習得できる書籍だそうです。

書いた人

1983年生まれ。愛媛県出身。ライター・翻訳者。大学在籍時には英米の文学や言語を通じて日本の文化を嗜み、大学院では言語学を専攻し、文学修士号を取得。実務翻訳や技術翻訳分野で経験を積むことうん十年。経済誌、法人向け雑誌などでAIやスマートシティ、宇宙について寄稿中。翻訳と言葉について考えるのが生業。お笑いファン。

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編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『藝大アートプラザラヂオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。