令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。この記事を書いている時点で3話ぐらいです。主人公の北条義時(ほうじょう よしとき)はまだ若く、周囲の濃い面々に巻き込まれているわけですが、大人になるとデキる男になります。「デキる」の真価が問われるのは、やっぱりピンチになった時でしょうね!
というわけで『慈光寺本承久記(じこうじぼん じょうきゅうき)』を読み進めてみましょう!
▼「『慈光寺本承久記』を読んでみた」シリーズの過去作はこちら!
前回までのあらすじ
京都から3人の使者が放たれた! 鎌倉幕府に急変を知らせる伊賀光季(いが みつすえ)の使い! 兄に味方になるよう手紙を出した三浦胤義(みうら たねよし)の使い! そして北条義時追討の院宣(いんぜん=上皇の命令書)を有力御下人に届ける役目を被った押松丸(おしまつまる)!!
伊賀光季の使いは北条政子(ほうじょう まさこ)の元に辿り着き、政子は鎌倉中に触れを出した。集まった御家人の前で大演説をしたのだった!
一方、三浦胤義の使いは、胤義の兄である三浦義村(みうら よしむら)の元に辿り着いた!
三浦義村の屋敷にて
三浦義村は、胤義の使いを見つけて「何事か」と尋ねると、使いは「御文です」と差し出しました。
手紙の内容は第2回の「秀康と胤義」の項で詳しく書いています。義村はそれを読むとこう呟きました。
「あの胤義が京に住んで、今年で三年が経つ。言い寄こした事は、和田義盛(わだ よしもり)が起こした反乱より遥かに勝る規模だ。このような事は二度とないだろう」
和田義盛が起こした反乱とは、建暦3(1213)年の和田合戦(わだがっせん)の事です。将軍の御所が燃えて鎌倉中を巻き込んだ戦乱でした。
義村は手紙を急いで巻いて、胤義の使者に「京から下向したのはお前だけか?」と尋ねました。
「後鳥羽上皇の御下部(しもべ)の押松丸という者が、義時殿を討とうとする院宣を持っています。一緒に鎌倉に入りましたが、はぐれました」
押松くん! あなたどこへ行ったの!?
義村は胤義にこう返事するよう、使者に言いました。
「関ごとの検問が厳しくなるだろうから、返事の文は出さんぞ。胤義には『手紙は読んだ』とだけ伝えろ」
う~~ん。このどうとでも取れる返事! はたして義村はどうするのでしょう!
北条義時の屋敷にて
三浦義村は義時の屋敷に行って、弟からの手紙を見せました。
「我が弟の胤義が、京に住んで今年で3年。よこしてきた手紙を見てみろ。和田義盛の反乱の時、オレが義盛を裏切ってお前に味方したと非難された事があったが、若い頃より『互いに心変わりしない』と誓い合った仲として、こう申し上げよう。
鎌倉以東の有力者に院宣が届いたら、オレとお前を敵と思う奴がほとんどだろう。その前に押松に『尋ねて』みてはいかがか」
義村さん、フッツーに弟の誘いを無視しましたね! ここよく「胤義は兄の行動が読めなかった」と笑われるんですが、私個人としてはそんなことないと思うんですよね。だって胤義さんは誰よりも一番近くで兄の背中を見て来た人物ですから。まぁ、その件は一先ず置いといて……。
義時は義村さんの言葉を聞き、「わかった」と言って押松くん捜索隊を鎌倉に放ちます。彼らは坂東武者の中でも特に筋骨隆々で、地獄の鬼のような人たちでした。そして葛西清重(かさい きよしげ)という御家人の家にいた押松くんを見つけると、つるし上げて、獄卒が罪人を引っ立てるように義時たちの前に連れて来ました。
ちなみにこの記述、私がおもしろおかしくアレンジしているわけではなくて、そのまま現代語訳しているだけです。作者もノリノリですね!
義時は押松くんが持っていた院宣を奪い取って読んでいました。その間にも武装してやって来た武士たちは数もわからないほどです。そこで義時が言い放ちます!
「お前たちが私の首を取ろうというのなら、今すぐ討って後鳥羽院の元へ持っていけ!!」
私、この時の義時、かなりテンパってたと思うんですよね。わりとビビリィなとこあるんですよ、義時は。でも運良く(?)北条政子も同じような事を言って鼓舞をしていました。武士たちは謎の感動に包まれているようです。
「義時殿、聞いてください! 昔からいる48名の有力者たちは、源氏七代まで守ろうと約束しました。義時殿は、その有力者たちの長です! その長こそが、義時殿なんですよ!」
そして義時は言います。
「じゃぁ、みんなその意見に同意だってんなら、院宣に背くってことでしょう!? この院宣にどんな返事をするっていうの!?」
かなりの有力者たちがこの場にいたのですが、誰もそれに答えることができません。院宣に背くことは朝敵になるということです。朝敵扱いされて生き残った人など、今までいません。
その時、1人の武士が「返事の内容はおおむね考えていました」と発言します。
「後鳥羽上皇へは多くの供物を幾度となく献上して、面目を保って差し上げて来ました。この上、何を求めるというのでしょう。このような命令を下されて、北条政子様が深山へ遁世すると涙を流しているのが不憫に思いました。
上皇が武士を欲しがるのでしたら、東山道・東海道・北陸道の三道から大勢の武士を差し上げましょう。そして西国の武士殿合戦を、御簾の隙間から見ていてください」
カ……カッコイイ啖呵!! それに武田信光(たけだ のぶみつ)が、「そりゃ素晴らしい! ここにいる誰もが皆そのように考えていたのだ」と、すかさず乗っかりました。
そしてみんなが同じように返事を書いて押松に持たせました。けれど義時は、このまま上洛させたら戦になることが早く知られてしまい、西に近いところにいる御家人は後鳥羽上皇の味方をするだろうと考えました。ビビリィ……いや、慎重派ですね。
「押松を、逃がさず殺さず処置するように」
うん! ビビリィなのに、出て来る言葉はやっぱり坂東武者です!
そして武田信光が「当然です!」と答えて牢に入れて手枷足枷をつけて拘束してしまいました。なんだか前回、北条政子の元に集まった時といい、ちょっとお調子者なんですかね、武田信光さん。
さて、反撃に出る覚悟を決めた坂東武者。そんな坂東武者に捕まってしまった押松くん。どうなるかは次回へ続く!!
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