毎年12月に、アメリカのPANTONE(パントン)社から翌年のテーマカラー「カラー・オブ・ザ・イヤー」が発表されます。ファッションや美容、インテリア、社会経済など多岐にわたる領域での調査・分析を基に選定されたもので、2022年は“ベリーペリ(Very Peri)”という青み紫に決まりました。
ブルーの持つ誠実さと不変性、レッドの持つエネルギーと興奮を融合させた、この最も幸せで暖かいブルーの色合いは、元気を与える新しさの素を注入します。
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青をベースに赤紫が融合されたベリーペリには、劇的に変化する今の社会情勢を反映し、未来への期待感を促す意味が込められているそうです。
そんな紫色は、日本では古くから“高貴な色”や“神秘的な色”として尊ばれてきました。
この“むらさき”という言葉は、染料にした植物の紫草(ムラサキ)から来ており、群れて咲くことから「群れ咲き」となった、あるいは花の色がムラになって咲くことから「むらさき」になったという説があるそうです。
一方で、紫という漢字には“ゆかり”という読み方もあります。これは一体どこから来ているのでしょうか?
カエサルやクレオパトラも愛用した紫色
まずは紫色の歴史をさかのぼってみましょう。日本における紫色の染織は、すでに縄文時代の頃から始まっていたと言われています。現在継承されている伝統の紫色は、紫草の根から抽出した「紫根(しこん)」をはじめとする植物性染料が主流ですが、当時は貝から採取した「貝紫(かいむらさき)」と呼ばれる動物性染料が使われていました。弥生時代の遺跡、吉野ケ里遺跡からは貝紫で染色された布片(ふへん)が発見されています。
貝紫は染めた直後は黄色ですが、太陽の光に当たると緑色になり、最終的には赤みの紫色に変化します。希少な染料であり、かつ美しい色の変化を見せる紫色は、当時の人々の目にはとても神秘的に映ったのではないでしょうか。
この貝紫のミステリアスな美しさに魅せられたのは、日本人だけではありません。古代ヨーロッパでも貝紫による染織が行われており、その希少性から「帝王紫(ロイヤル・パープル)」と称され、身分の高い者しか着ることが許されない禁色になっていました。
古代ローマの政治家ユリウス・カエサルの衣服や、クレオパトラを乗せた船の帆に使われていたという逸話も残されています。
「紫=高貴な色」のきっかけは冠位十二階!?
古代ヨーロッパにおいて、その希少性から「身分の高いものしか身につけられない=高貴な色」とみなされるようになった紫色。
日本においても同様のイメージを持っている方が多いと思いますが、それを最初に決定づけたのは聖徳太子が制定した冠位十二階でしょう。これは隋の制度を踏襲したもので、中国で正色とされる青赤黄白黒に紫を加えた6色で冠と服の色を指定。色による身分の区別を行い、紫色が最上位に位置付けられ、濃い色であるほど高位とされました。
この頃はすでに貝紫ではなく、中国からもたらされた紫根による染織に移行していたようで、その方法は10世紀に成立した有職故実書『延喜式』の中に記されています。貝紫同様、紫根染めも非常に手間がかかるため貴重な色として扱われ、服制による高貴なイメージと相まって当時の人々の憧れの色になっていました。
『万葉集』にも紫色を詠んだ歌が数多く残されており、その思い入れの強さが垣間見れます。
“めでたき色”としての紫色
平安時代に入ると紫色を尊ぶ心はさらに加速。単なる高貴な色ではなく、“めでたき色(素晴らしい色)”として好まれるようになります。
その影響もあり、紫苑色(しおんいろ:薄紫色)、桔梗色(ききょういろ:青紫色)、藤色(薄い青紫色)、杜若色(かきつばたいろ:赤みのある紫)など、自然や植物から着想を得たさまざまな紫色の名称が誕生。
また、清少納言も著書『枕草子』の中で
すべてなにもなにも、紫なるものは、めでたくこそあれ。花も糸も紙も(すべてどれでも、紫色のものは素晴らしいものである。花でも糸でも紙でも紫は素晴らしい)
と絶賛しています。
そして、そんな紫色を文学として昇華させたのが『源氏物語』です。桐壺更衣*1、紫の上、藤壺中宮といった主要な登場人物に紫に通じる名前がつけられていたり、「若紫」という巻名が見られたりと、作品の随所に紫色が使われています。そして何よりも作者自身が“紫”式部であり、まさに紫尽くしです。
*1 桐壺…紫色の花を咲かせる植物
染師・染織史家である吉岡幸雄氏は『源氏物語』について、
「濃き」とあればその下には「紫」が、「淡き」「薄き」の場合も同じく「紫」が省略されていることが多いようです。これは、平安時代になると紫を尊ぶ思想が奈良時代以上に浸透していたためだろうと私は考えるのです
と述べています。
当時政治の実権を握っていた藤原氏を象徴する藤の花が紫色だったからなのでしょうか。貴族社会における紫色は、現在の私たちが想像するよりも大きな存在感を持っていたものと思われます。
“ゆかりの色”としての紫色
紫色は高貴さだけでなく、人との繋がりを象徴する色でもありました。
紫根染めによる紫色の布や紙に他のものを重ねると、ほんのり色移りします。近くにあるものを染めることから、紫色は“ゆかりの色”とも呼ばれていたようで、これが「紫=ゆかり」という読み方の由来になったのです。
『古今和歌集』の中には、このような紫のイメージを受けた歌が見られます。
むらさきの一本ゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る(美しい紫草が一本ある。それだけのことで武蔵野の草がすべていとおしく思われる)
さらにこの歌に基づいたと思われる逸話が『伊勢物語』に残されています。新年に着用する上着を誤って破いてしまい困っていた身分の低い義弟に、高貴な身分の義兄が次の歌とともに上等な上着を贈るという心温まるエピソードです。
むらさきの色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける(春に紫草の根が色濃くなっている頃は、その根につながる野の草木ははるか向うまで見分けがつかないほどです。そのように、私の妻につながる貴方を、私は他人とは思わないのです)
『源氏物語』ももちろん例外ではありません。
作中では紫に関する名前を持つ高貴な人々のスキャンダラスな恋愛模様が情趣豊かに描かれているため、俗に“紫のゆかりの物語”とも呼ばれているのです。
紫色は不安になると求める色?
平安時代の人々にとって、紫色は藤原氏が栄華を極めた貴族文化を彷彿とさせる高貴な色であり、また人との縁を象徴する特別な色でした。
一方で、当時の紫色を愛でる心は、“不安感の表れだった”という解釈も考えられます。
心理カウンセラー・芸術療法講師の山脇惠子氏は『色彩心理のすべてがわかる本』の中で
紫に気持ちが引かれる状態を全体的に見ると、非常に繊細で敏感な気分の時、体調や精神が不調な時に紫を欲する気持ちが高まるようだ
と述べています。
平安時代は、天然痘やインフルエンザなどの疫病や度重なる大地震、洪水、飢饉などによって混沌とした状態が続き、社会不安が大きくなった時期でした。
また、紫式部も『源氏物語』の執筆時は大変な不安にさらされていた状態だったといいます。
彼女は当時としては晩婚だったうえ、子供を授かった直後に夫が急死しシングルマザーに。そんな人生のスランプの中、中宮彰子の家庭教師として仕えるようになります。
その当時の心境は『紫式部日記』において、
心に思うのは『いったいこれからどうなってしまうのだろう』と、そのことばかり。将来の心細さはどうしようもなかった
と述べています。
そんな不安を紛らわせるために書いたのが『源氏物語』だったのだそうです。
このことから、紫色を愛でるという心は、人と繋がることで安心感を得たいという潜在的な思いの表れだったのではないかとも考えられます。これは人との繋がりが希薄になり社会への不安も大きくなっている昨今の状況にも通じるものがあるのではないでしょうか。
奇しくも流行色が紫色となった2022年。改めて人との繋がりと心の安らぎを考える機会になりそうです。
【参考資料】
・『歴史に見る「日本の色」』中江克己(PHP出版)
・『失われた色を求めて』吉岡幸雄(岩波書店)
・退屈なGWを「創造的休暇」に変えるヒント 偉人たちは逆境の時間をどう過ごしたか / 真山知幸(NEWSポストセブン)
・完璧すぎる女「紫式部」が抱えていた闇と復活劇 / イザベラ・ディオニシオ (東洋経済オンライン)
・『色彩心理のすべてがわかる本』山脇惠子氏(ナツメ社)