福島県の二本松市には、安達ヶ原という場所がある。
そして、ここには鬼が棲んでいる。
「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」と歌われたように、この土地には古くから鬼女の伝説があって、平安時代には安達ヶ原の鬼はすでに都にまで知れわたっていた。その姿は恐ろしく醜く、白髪を逆立て、耳まで裂けた口で、人をとって喰うという。私たちがイメージする鬼婆は、後の世にこの歌をもとにして作りあげられたものだ。
鬼女伝説はたんにホラーじみた昔話に過ぎないのだろうか。そもそも、鬼女(老婆姿のものは「鬼婆」)はなんの恨みがあって人を襲うのだろう。さても恐ろしい鬼の物語だが、ここには世の倫理をわずかにはみ出してしまった女たちの深い苦しみと悲しみが語られているのである。
彼女たちの不幸を知れば、あなたも鬼女に同情してくれるだろうか――。
「鬼と女とは人に見えぬぞよき」?
日本の文献にはじめて「鬼」という字が登用されたのは『出雲国風土記』と言われている。「昔或人、此処に山田を佃(つく)りて守りき。その時目一つの鬼来りて佃(たつく)る人の男を食ひき」という一文がそれだ。
これは現在の島根県雲南市にあたる大原郡阿用郷(おおはらのこおりあよのさと)の名称起源を説いたもの。日本に最初に登場した鬼が一つ目なのはとっても気になるが、その話はまたどこかで。今回お話したいのは女の鬼について。
すこし脇道にそれると、平安末期に書かれた作者未詳の『堤中納言物語』の短編小説の主人公「虫めづる姫君」がおもしろいことを口にしている。この姫君は、人間社会の不自然な習俗や価値観にさげずみの眼差しを送りつつ暮らしているわけだが、ある日しみじみと「鬼と女とは人に見えぬぞよき」と「案じ給」うたのである。
姫の物想いは、平安時代の宮廷婦人のならいに背くことができずにいた当時の女たちの心のうちを伝えてくれる。と同時に、鬼と女にはなにか「人に見えぬ」共通点があるらしいことも教えてくれる。
そこで、鬼女である。
鬼女伝説は日本各地にあるが、もっとも有名なのは『安達ヶ原の鬼女』ではないだろうか。
旅人を襲う『安達ヶ原の鬼女伝説』
みちのくへの通路、安達ヶ原
一人の僧が、足もとにまとわりつく草を払いのけながら足早にやってきた。
もう何刻、この果てしない原を歩いただろう。すでに陽はとっぷり暮れて、深い闇があたりを包んでいる。不気味なこの原を一刻も早く抜け出してしまいたい。僧がいるのは、阿武隈川の東にある寂しくて広い原、安達ヶ原だ。
僧の足は今や走らんばかり。と、行く手にぽつりと灯が見えた。僧は恐怖から逃れるように、転がるようにして灯へ走った。それは、大きな岩屋から漏れていた。
「自分は旅の僧です。一夜の宿をお願いできませんか」
すると戸が開き、不気味な老婆が姿をみせた。老婆は僧を快く中へ迎え入れると、粥を暖めてすすめてくれた。老婆の優しさに僧の緊張は解けた。
奥の部屋に隠された老婆の秘密
「焚き木を取りに出かけるが、留守のあいだ、奥の部屋を覗いてはなりません」
老婆はそういうと外へ出かけて行った。
言われるがまま留守を預かる僧だったが、いつまでも老婆は帰って来ない。やがて不安と好奇心から、おそるおそる奥の部屋を覗いた僧は、全身の血が凍るような光景を見てしまう。
そこには人間の腕や脚が腐りかけた肉片を残したまま転がっていた。長い髪を巻きつけた女の生首が空虚な目で僧を見つめている。まわりには、女を刻んだのであろう包丁や、生き胆を入れた素焼きの甕もある。あの老婆、噂に聞く安達ヶ原の鬼婆だったのだ。
追いかけてくる鬼女から逃げきれ!
僧は夢中で表へ飛び出した。僧が逃げたことを知った鬼婆が、ものすごい形相で叫びながら追いかけてくる。
もはやこれまで……。覚悟を決めた僧は持っていた如意輪観音を取り出し、呪文を唱えた。突然、一条の光が走り、観音様が破魔の真弓に金剛の矢をつがえて鬼婆を射た。一瞬の叫び声の後、辺りはふたたび静寂を取りもどした。鬼婆は、その後「黒塚」に葬られたという。
生きながら鬼となる者たち
説話の世界には、死んでから、あるいは生きながら鬼となった人がたくさんいる。
弟子につまびらかに教えることを嫌った為に、死んでから手のない鬼になった話(『古今著聞集』)。絶世の美女・染殿に恋した上人が情欲の虜になり、餓死して鬼となり望みを果たす(『今昔物語集』)。日蔵上人が吉野山で出会ったのは、恨みを遂げながらも怒りの心だけが冷めやらぬ紺青色の鬼だった(『宇治拾遺物語』)。
これらはみな鬼と化した男たちの物語だが、女の鬼のように感情の激しさがあまり感じられない。「女の鬼」は、中世にはじめて誕生したらしい。夫に捨てられた怨みの末に鬼となった鉄輪の女(『平家物語』)もまた、生きながら鬼となった女である。
嫉妬に狂い生きながら鬼となった『鉄輪の女』
ある公卿の娘が、夫を横取りされて嫉妬に狂ってしまった。その妬みはあまりにも深く、貴船明神に生きながら鬼になることを願ったところ、宇治の川瀬で身を清めて鬼となるよう示現があったという。
女は喜んで髪を五つに分けて角に模して結いあげ、頭上に鉄輪をはめ、顔に朱をさし、身に丹を塗り、松明に火をつけて口に咥えた姿で通りを走っていった。その姿は顔も身も赤いので、まるで鬼のようだったが、宇治川に21日間浸り身を清めると生きながら本当の鬼になれたという。鬼となった女は夫の枕頭に佇んで命を奪おうとするが、男への愛が思い返されて、しみじみと泣くのである。
女の敗北に終わった殺害未遂の場面はあまりにも悲しくて美しい。愛の行方に困り果て、報いをはらそうとした女は、既に女でないばかりか人でもなかった。そこにいるのは、鬼となった気の毒な愛執の塊だ。
『鉄輪の女』(『平家物語』)は怨みと執心、愛と憎しみといった激しすぎる情によって鬼と化した。彼女にとって愛する男に裏切られたという「生きての恨み」は、生きながら鬼となってはらさなければならないほどのものだったのだろう。
鬼になっても忘れられない人としての心
能の演目のひとつ『黒塚(『安達ヶ原』とも)』では、鬼女は恐ろしいながらも、どこか人間の悲哀を残した存在として描かれる。演者がつける般若の面は、女の恨みや執心を表したものだ。
馬場あき子の『鬼の研究』では、安達ヶ原に棲む老婆の悲しみが、作者の想いを代弁するようにして説明される。「しんしんたる秋夜、奥州安達ヶ原の大荒野を背景として、茅屋の床に坐して糸を紡ぐ女はまったく未来を失った寂寥にやつれはてている」と。
げに侘人(わびびと)の習ひ程、悲しきものはよも有らじ。かかる憂き世に秋の来て、朝げの風は身に沁めども、胸を休むる事もなく、昨日も空しく暮れぬれば、まどろむ夜半ぞ涙なる。あら定めなの生涯やな。
これは茅屋の女主人のモノローグである。「侘人」とは、世を儚んでさびしく暮らす人のこと。明日に期待はなく、今日も空しく日が暮れてゆく。安達ヶ原の鬼女は「紡げども紡げどもかえらぬほどの、遠い過去の思い出だけを頼りとして、ながい秋の夜を孤独に耐えている女」だったのだ。
安達ヶ原の鬼は、けっして説話のなかの住人ではない。
「黒塚の鬼」が生まれるには、数十年におよぶ南北朝内乱や戦乱によって居場所を失った人びとの悲劇があった。その悲劇のなかに、一人の女の人生があったことを忘れてはならない。
おわりに
鬼になるほど身を焦がした女たちの物語は、気の毒になるほど悲しいものばかりだ。極限的で激しい執念や孤独を耐えるしかなかった女たちは、人間を放棄せざるを得なかったのである。
鬼と化してなお深く男を愛し、鬼と化してなお空虚な孤独を抱えて生きなくてはならなかった女たち。しかし鬼となった彼女たちは、ふたたび人間の世界に戻ることはできない。人に交わり、里の生活に交わることもできない。人の心を残したまま、そんなふうに生きなくてはならないなんて、あまりにも悲しすぎはしないだろうか。
【参考文献】『鬼の研究』 馬場 あき子、ちくま文庫、1988年