名古屋に移り住んだのは、約1年半前のこと。
引っ越してのち、荷解きも途中で真っ先に向かったのが、「熱田神宮(あつたじんぐう)」だった。
日本各地を転々としているせいか、その地におはする神様にまずはご挨拶することが習慣となったのだ。
かの熱田神宮といえば、三種の神器の1つ「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」を御神体とし、古より多くの信仰を集めてきた格式高い神宮である。約6万坪といわれる広大な境内にも驚いたが、なにより、12月にもかかわらず、鳥居を抜けた瞬間に感じた「清々しい気」に、正直、圧倒された。初参拝にして、忘れがたい強烈な感覚を味わったのである。
そして、その1年半後。
なぜか、私は「夜の熱田神宮」にいた。
ナイトミュージアムならぬ「ナイト熱田神宮」である。
それにしても、何も見えないのが残念無念。夜陰に紛れて目を凝らすも、収穫なしである。断っておくが、悪いことを企んでいるワケではない。すべては、暗闇で執り行われる熱田神宮の奇祭、「酔笑人神事(えようどしんじ)」を拝観するためである。
コチラの神事、どうやら、突如、闇夜の中で神職の笑い声が響くというではないか。
一体、どうして?
誰が、何のために?
その疑問を自分自身で解決しようと、ゴールデンウイークの真っ只中に、カメラマンと夜の熱田神宮を訪れた。
今回は、この「酔笑人神事」について、たっぷりとご紹介していこう。
なかなかお目にかかれないような謎に包まれた神事。
静止画と私の言葉だけですべてを伝えきることは、途方もなく難しい。せめて雰囲気だけでもお裾分けできればと願うばかりである。
熱田神宮内外を回る?長旅の神事
一般的に「5月4日」といえば、ゴールデンウイークのど真ん中の日である。旅行や休養など過ごし方は人それぞれ。だが、愛知県名古屋市にある「熱田神宮」は違う。こちらでは、毎年5月4日の夜に、「酔笑人神事(えようどしんじ)」が執り行われるからだ。
きけば、謎の神事は、天武天皇朱鳥元年(686年)より続いているという。ざっと計算しても、1300年以上の歴史を有する神事だと分かる。想像すらできない年月の流れに、それだけで頭がくらくらするほどだ。
ここで、この「酔笑人神事」について、概要を簡単に説明しておこう。
神事の出発点は、熱田神宮の本宮の隣にある「神楽殿(かぐらでん)」だ。
「出発点」というからには、移動が伴うというコトだ。神事が行われる場所は1ヵ所にとどまらず、4ヵ所だという。どうやら、すべてを終えるのに1時間弱ほどの時間を要するのだとか。
「(神職に)ついて歩くのはちょっと大変で。一度(熱田神宮の)外に出て国道19号線沿いを歩いて行きます。車祓いの祈祷殿というところのさらに奥、『影向間社(ようごのましゃ)』というところに行って、その前で行います。かなり長旅のお祭りなんですね」
熱田神宮で広報関連の業務をされている神職の説明が続く。
「そして、『影向間社(ようごのましゃ)』から、また国道を通り、第二鳥居をくぐって『神楽殿』まで戻ってきます。だいたい20分ぐらいかかります。 20分ならいいかなと。足の速さで変わってくるんです。そして、今度は『別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)』、さらに『清雪門(せいせつもん)』の前で神事を行って終わりです」
つまり、「影向間社」「神楽殿」「別宮八剣宮」「清雪門」の順に4ヵ所を回って、その都度、同じ行事が行われるというワケだ。これで、大まかなルートは把握することができた。あとは神事を待つのみである。
神事が始まるのは19時だ。
30分ほど前から、次第に人の声がちらほらと聞こえるようになってきた。拝観の方が少しずつ集まって来たようだ。
開始時刻に近付くにつれ、辺りは暗くなってきたが、未だ肉眼で確認できるほどの明るさを保っていた。
正面の神楽殿に注視していると、10分前になってようやく動きがあった。1人また1人と、神職の方々が出てこられたのである。神事を執り行うのは総勢16名とのこと。
開始の5分前。
私も取材エリアで待機。拝観の方たちも徐々に静まっていき、いつしか静寂が訪れた。先までのざわつきがウソのようである。
固唾をのんで待つこと数分。16名の神職が揃われたところで一礼。太鼓が鳴り出して、1人ずつ順々に横の人に続きながら縦一列となった。
まず向かうのは「祓所(はらえど)」だ。何をするにも、最初にお祓いを受け、身を清めなければならないからである。そこから1番目の場所となる「影向間社」へ進むという。赤い提灯の揺れるさまが、なんとも幻想的である。
魅入られたかのように固まっていると、いきなり視界が拝観の方に遮られた。気付けば、神職が織りなす縦列は見えなくなり、その後ろには拝観の方がズラリ。どうやら神職の縦列についていこうと、一気に人の波が押し寄せてきたのだ。
元々、4ヵ所で執り行われる神事のすべてを拝観するつもりでいた。
しかし、粛々と流れるような神職の方々の動きに、つい目を奪われ、結果的に出遅れたのである。まさに、アイドルの追っかけのような様相で、あわわと言いながら追いかける始末。私はスマホ片手に慌てて飛び出したのであった。
1300年以上続く神事のきっかけとは?
さて、ここまで読まれてきた方からすれば、大いに疑問が残る展開だろう。
というのも、「酔笑人神事(えようどしんじ)」が行われる場所は分かったのだが、そこで具体的に何が行われるのか、なぜこの神事が始まったのか、神事の全貌が全く分からないからだ。
じつは「酔笑人神事」には別名がある。
その名も「オホホ祭」。
「オホホ」とは、笑い声を指す。笛の音に合わせて、神職全員が大声を上げて笑うから、このような名前がつけられたという。
確かに、名前の漢字からしても「酔って笑う人」の神事となる。大笑いするコトが神事の内容ならば、至ってシンプルだ。だが、どうして笑うのか、その理由についてはいまいちピンとこない。神職が酔って笑うほどの出来事が何なのか、皆目見当がつかないのである。
この珍しい神事が始まるきっかけについて調べてみると、その答えは熱田神宮のホームページに見つかった。「酔笑人神事」の説明に、以下のような内容が掲載されていたのである。
「天智天皇の御代、故あって神剣は一時皇居に留まられましたが、天武天皇朱鳥元年(686)勅命により当神宮に還座(かんざ)されました。この時、皆がこぞって喜んだ様を今に伝えるものです」
熱田神宮ホームページより一部抜粋
ここから読み取れるのは、御神体である「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」が、何らかの理由で熱田神宮から動座(移される)されたというコト、そして、天皇の勅命で皇居より熱田神宮に還座(お戻りになる)され喜んだという2点である。
ただ、一般的に考えれば、少なからず違和感を抱く。
たとえ御神体であったとしても、計画的な移動であれば、そこまで歓喜することもないからだ。神剣が熱田神宮に還座された際、当時の神職が喜び、酔って笑って歩き回ったというのだから、相当のお祭り騒ぎであったに違いない。それは恐らく、当時の人たちが、二度と熱田神宮へ神剣が戻らないと思っていたからではないだろうか。
つまり、還座は予想外の出来事だったとすれば、説明がつく。だが、そうなると、さらに疑問が湧いてくる。一体、御神体である「草薙の剣」に、何があったというのだろうか。
そのヒントとなるのが、同じく愛知県にある「法海寺(ほうかいじ)」の存在だ。
同じ愛知県といっても、法海寺があるのは、名古屋市よりもずっと南の知多市(ちたし)である。開基した人物は、新羅国明信王(しらぎのくにめいしんのう)の太子である道行(どうぎょう)法師。なんだか、急に壮大なスケールの話になってきたが、端的にいえば、異国の修行僧である。
この道行法師、じつは『日本書紀』に登場する人物でもある。
巻27の天智天皇7年(668年)の条に関するくだりだ。
「是歳、沙門(ほうし)道行、草薙剣を盗みて新羅に逃げ向(ゆ)く、而して中路(なかみち)に雨風にあひて、荒迷(まど)ひて帰る」
稲田智宏著 『三種の神器』より一部抜粋
三種の神器であり、神宮の御神体でもある「草薙の剣」。
『日本書紀』によれば、そんな「草薙の剣」を、道行法師はあろうことか、熱田神宮から盗み出したというのである(諸説あり)。
それを証明するかのように、熱田神宮には「不開門(あかずの門)」がある。
神事を執り行う4ヵ所のうちの1つである「清雪門(せいせつもん)」だ。
現在は閉ざされているというが、元々は神宮北門として使われていた門である。じつは、草薙の剣が盗まれた際に、この門から外へ持ち出されたというのだ。そのため、以降、熱田神宮では「不吉の門」とされ、神剣が還座された際は、二度とこのようなことがないようにと、この「清雪門」を堅く閉ざしたという。
それにしても、気になるのはその後である。
一体、盗まれた神剣はどうなったのか。
諸説あるも、ここでは1つの説をご紹介しよう。
法海寺の創建が書かれた『薬王山法海寺義軌』によれば、道行法師は神剣を盗んだものの、新羅へと持ち帰ることができなかったようだ。結果として窃盗は失敗に終わり、事件発覚後、道行法師は土牢へ幽閉されたという。
だが、話はそれで終わらない。
その後、天智天皇の病の折に加持祈祷を行ったのが、またもや再登場の道行法師。今度は、病気平癒の手柄で寺田280町を賜り、その地に「法海寺」を開基したというのである。さらには、以降、淳和天皇に至るまで、法海寺は13代の勅願寺とされていたようだ。
この間に、道行法師が盗んだ神剣は宮中へ。皇居へ留め置かれたと考えられる。
ただ、その状況は一変する。
突然下った天皇の勅命で、神剣は熱田神宮へ還座されたのである。
残念ながら、この経緯は定かでない。
それは、先ほどの熱田神宮の広報の神職も「故あって」という言葉を使われていた。
「その理由はあまり喜ばしいものではないので、あまり皆言わないということになっています。私たちは知識として知っていますが。公式文書もすべて『故あって』になっています」
熱田神宮にとって大切な御神体である「草薙の剣」。
不意に盗まれたのち、紆余曲折を経て還座されたのは確かなようだ。
それなら、社中こぞって歓喜笑楽したのも頷けるといえるだろう。
予想外にして大胆な「大笑い」
さて、話を戻そう。
出遅れた私は、あれから急いで神職総勢16名のあとを追った。
神職の御一行は「祓所(はらえど)」でお祓いを受け、「影向間社(ようごのましゃ)」へと向かっていた。このお社は、一説には、還座された「草薙の剣」が一時置かれていた尾張氏の邸宅のお社だったとか(のちにお社の場所は移される)。
神職が織りなす縦列は予定通り国道19号線沿いを進み、その後ろにぞろぞろと一般の拝観者が続いた。車祓いの入口を通過し、再び熱田神宮の中へ。こうして、ようやく「影向間社」へと辿り着いたのである。
神職の方々は、さらにその先へと進まれたが、私たち拝観者はここでストップだ。近くに寄ることもできず、手もち無沙汰で待つしかない。境内の灯りはすべて消された。ただでさえ暗いというのに、生い茂った木々が周囲を覆い隠し、小さな闇を作り出していた。哀しいかな、目を凝らしたところで、ホントになんにも見えないのである。
どれくらいの時間が過ぎたのか。
息をひそめて暫し待つと、急に暗闇から笛の音が聞こえてきたのである。
それがきっかけで、熱田神宮の広報の神職が説明された内容が頭の中で甦ってきた。
「普通のお祭りは『祝詞(のりと)』といって、神様に捧げる言葉があるんですね。なおかつ『神饌(しんせん)』をお供えする。そして、『神様、今年もよろしくお願いします』と。これが普通の祭典です。ただ、このお祭りはそれがないんですね。祝詞も神饌も一切ない。ただ笑って各所を回る、これは、その時の神職たちが嬉しくて酔って笑っていた様子がそのまま祭典になったからです」
そうだ。
「酔笑人神事」は、祝詞も何もないのだ。ただ、笑うだけの神事である。そう思い出したところで、突如、沈黙が破られた。
──タロリー(笛の音)
──ワーッハッハッハッハッ…(笑い声)
思いのほか、大声である。
神職の方々は、きっと複式呼吸をマスターされているに違いない。腹の底から出てるであろう、しっかりとした笑い声である。暗闇で発される笑い声。それも合計きっちり3セットである。厳粛な雰囲気の神職が…あれほどの大笑いをされるだなんて。想像するのも恐れ多いくらいである。
そんな笑い声も、始まりと同様に突然終わり、辺りはまた静けさを取り戻した。何事もなかったかのように、神職御一行が暗闇から姿を現す。なんなら、先ほどの笑い声が幻聴だと思うほどの沈着冷静ぶりである。そうして、神職の縦列はその形を崩さぬまま、再び動き出したのである。
次の場所は、出発点となった「神楽殿」だ。
神事が「神楽殿」で行われるのは、当時の神職たちがここでワイワイと騒いでいたからだとか(諸説あり)。ちなみに「神楽殿」の前のスペースは、「影向間社」と違って何も遮るものがない。ひょっとしたら、神職の方々の動きが見えるかもしれないと、少し期待した。
「神楽殿」に到着すると、待機していたカメラマンと合流した。暗闇の中でのフラッシュなしの撮影はカメラマン泣かせなのだとか。途切れることのないシャッター音を聞きながら、私は目を凝らした。すると、うっすらと神職の方々の輪郭が見えた。どうやら半円のような陣形である。そのうちのお2人が座して、皆が囲んでいるようだ。
それでも、具体的な所作は一切見えなかった。
熱田神宮のホームページによれば、以下のような作法だということが分かる。
「古くより見てはならないと語り伝える神面を神職各自が装束の袖に隠し持ち、中啓という扇で神面を軽く叩いた後、全員が一斉に「オホホ」と笑う神秘的な神事です」
熱田神宮のホームページより一部抜粋
どのような神面なのか、興味は尽きないが、またしても熱田神宮の神職の言葉が甦ってきた。
「箱から出した神面を袖に隠して叩くので、まず見えないし、見てはいけないものなんです。そういう神秘的な面です」
そうか。
わざわざ闇夜の中で執り行われていること自体、見るなという意味があるのだろう。それならば、耳で感じるしかない。私は、あえて目を閉じて、耳だけに意識を集中させた。
──タロリー(笛の音)
──ワーッハッハッハッハッ…(笑い声)
じつに楽しそうである。声優も顔負けの表現力だ。
──タロリー(笛の音)
──ワーッハッハッハッハッ…(笑い声)
愉快この上ない気持ちが伝わってくる。
思ってもみない幸運に巡り合ったかのようだ。
そして、最後。
──タロリー(笛の音)
──ワーッハッハッハッハッ…(笑い声)
暫しの沈黙のあと、砂利を踏む音が聞こえてきた。
目を開けると、赤いちょうちんがゆらゆらと揺れていた。
神職の縦列は、また次の場所へと向かっていった。
「別宮八剣宮」でも同じ神事がなされたが、「清雪門」では近くに寄ることすらできず、ここで拝観者は解散となった。
神秘的な神事は、こうしてつつがなく終了したのである。
取材後記
「くれぐれも、神事の途中で撮影する際は、フラッシュをたかないでくださいね」
「撮影された写真は、編集などで絶対に明るくしないでくださいね」
熱田神宮で広報関係を取り扱われている神職に何度も念押しをされた。
まさに「酔笑人神事」の本質は、闇夜に紛れて行われる部分に凝縮されるように思う。じつは、この神事を実際に拝観するまでは、「神職」という職業柄、日中に歯を見せて大笑いなどできないからだと思っていた。だから、夜に行われるのだと。
無論、その理由もあるのかもしれない。
ただ、本質はそこではない。
「(神剣が)還座されたのは嬉しいけれども、訳あってのことなのでそこまで喜べない。そもそもの理由が理由なので。それで夜ひっそりと行われるんです。笑っているけれども朝じゃないと。理由があって戻ってきているので、夜なんです」
だから、再三、明るくしないでほしいと言われたのだ。
表立って喜ぶことはできない。けれども、この感情を素直に表したい。そんな葛藤の着地点が、闇夜で行うコトだった。暗闇だからこそ、当時の神職たちは、感情を思いっきり爆発させることができたのだろう。
そして、その思いが1300年の時を超えて、今もなお受け継がれている。
広報の神職の言葉が、非常に印象的だった。
「その時に喜んで終わってしまいそうなものなのに、それがずっと神事として伝わってるのがすごいことだと思います」
「酔笑人神事」を紹介する際に、「奇祭」という言葉が使われることが多い。
確かに、暗闇の中で大笑いするだけと捉えれば、「奇祭」ともいえる。その場合の「奇」は「奇抜」や「奇怪」などの意味合いだろう。
しかし、私は「奇跡」の祭りという意味を込めて「奇祭」と表現したい。
酔って笑って歩き回った当時の神職の「歓喜笑楽」の思い。そんな御神体への一途な思いが、1300年以上もなお引き継がれているのだ。
「酔笑人神事」は、やはり「奇祭」であった。
写真撮影:大村健太
参考文献
『三種の神器』 稲田智宏著 学研プラス 2013年5月
基本情報
名称:熱田神宮
住所:名古屋市熱田区神宮1-1-1
公式webサイト:https://www.atsutajingu.or.jp/
▼和樂webおすすめ書籍
「神社検定」副読本 マンガならわかる! 『日本書紀』