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2022.06.30

草履が濡れるのが嫌なら、裸足になればいいじゃない。江戸女子の雨対策を浮世絵から大検証!

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2022年は、東京など、例年よりも早く梅雨開けした地域が多いのですが、近年は梅雨が開けてもゲリラ豪雨があったり、台風がやって来たりなどで、梅雨明け後も雨対策が不可欠です。このような状況もあってか、日傘兼用だけではなく、持ち運びしやすいようコンパクトなものやデザイン性の高いものなど、以前よりも傘のバリエーションが増えているような? 傘だけではなく、おしゃれで機能的なレインコートやレインシューズがあったり、撥水加工された服やバッグなどもあります。

2022年は、史上最短の梅雨だったとか!!

それでは、着物が日常着であった江戸の人々は、雨の日をどのように乗り切っていたのでしょうか? 「着物が濡れて重くなるため、雨の日は外出しない」という女子もいたそうですが、すべての女子がそういうわけでもなかったはず。
いろいろと気になったので、雨の日の様子を描いた錦絵を使って、江戸女子たちの雨の日コーデをチェックしてみました。

高級品だった雨傘事情

雨具と言えば、傘と笠。
古来、傘は貴族や僧侶などが権威を示すために用いる特別な物で、庶民が雨具として使っていたのは被り笠(かぶりがさ)と蓑(みの)でした。

鳥居清長「三囲神社の夕立」より シカゴ美術館

笠から傘へ

頭に結わえて使う被り笠は、両手が空くので作業がしやすく、夏は日除けにもなりますが、ヘアスタイルが崩れる原因にもなることから、次第に働く時や旅行以外では使われなくなります。

頭にセットする笠、便利そうだけどな~。

江戸時代になると紙張りの雨傘が作られるようになり、庶民の間にも普及しますが、当時の傘は高級品。しかも、当時の傘は竹と和紙でできていたので壊れやすく、修理をしながら大切に使っていたのです。

二代目歌川広重「東都三十六景 下谷広小路」 国立国会図書館デジタルコレクション
雨風が強い時や雪が多い時は、傘を痛めないよう、すぼめてさしていたようです。

江戸女子憧れの「蛇の目傘」。そのお値段は?

女子用の雨傘として人気があったのが「蛇の目傘(じゃのめがさ)」。中央と周囲に紺の土佐紙を張り、その中間に白紙を張り巡らすのが特徴で、傘を開くと、太い輪の蛇の目のような模様が出るところから、「蛇の目傘」と呼ばれるようになります。

「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな」の、じゃのめ!

「蛇の目」は神の使いとされた蛇の目をかたどったもので、魔よけの力を持つと信じられてきました。基本となる色に白い円を対比させるすっきりとして粋な文様の「蛇の目傘」は、和傘の定番柄として現在でも人気があるのだとか。

喜多川歌麿「夜の雨に芸者と三味線箱を持つ女」 シカゴ美術館

「蛇の目傘」は、元禄年間(1688~1704年)に番傘を改良して考案されたもの。8代将軍・徳川吉宗の頃、「蛇の目傘」に定紋をつけるようになり、これが女子や通人(つうじん)と呼ばれるトレンドセッターの間で流行します。特に、細くて軽い傘が良いとされました。傘は、単に雨だけ防ぐだけではなく、持ってる人を引き立てる美しさも兼ね備えた道具でもあったのです。
「蛇の目傘」の値段は、銀6、7匁(もんめ)くらい。現代の値段にすると、約2万円です。ちなみに、『文政年間漫録』という資料によると、当時、他の職業に比較して手間賃が良かったといわれる大工の日当(にっとう/1日の給料)は、銀5匁4分(約16,200円)でした。

価格の安い番傘は、普段使いとして人気!

一方、庶民の普段使いの傘が番傘です。
正徳時代(1711~1716年)に大坂の傘師・大黒屋が大黒天の印を押して売り出した「大黒傘」が江戸に伝えられます。「大黒傘」は、1本の竹を30~35本に割った太い骨に白い紙を張り、荏油(えのあぶら/エゴマ油)で防水加工をしていました。柄も骨も太く、丈夫で値段が安かったことから、庶民の間で流行します。
享和時代(1801~1804年)になると、江戸でも番傘が作られるようになります。形は直径が3尺8寸(約1.15メートル)、骨数は約60本、柄の長さは2尺6寸(約79センチメートル)くらい。商家では、傘の表に屋号の印や住所、番号などを記載されていたことから、番傘と呼ばれるようになりました。番傘の値段は、200文(約6,000円)くらい。「蛇の目傘」の約1/3の値段で手に入れることができました。

三代目歌川豊国、二代目歌川国久「江戸名所百人美女 新はし」 国立国会図書館デジタルコレクション
コンビニで数百円で買える現代と比べると、まだまだ高級品ですね!

おしゃれ女子のレインコートは、浴衣か合羽

着物の上に着て、雨を防ぐアウターが合羽(かっぱ)です。
現在では、100均やコンビニで売っている安価なものから、カラフルなもの、実用的なものまで様々な種類・デザインの合羽がありますが、合羽が庶民に広まったのも江戸時代だと言われています。

合羽の語源はポルトガル語?

15世紀の後半、南蛮文化とともに日本に伝わりました。語源はポルトガル語の「カパ(capa)」で、「合羽」は当て字です。織田信長、豊臣秀吉、足利義昭(あしかが よしあき)などの当時の支配者たちが、ヨーロッパから献上された赤紫色の最高級羊毛布地を使ってマントの形を真似て作らせ、権威の象徴としました。

妖怪のカッパが語源だと思ってました(笑)。

合羽は防寒用や防雨・防雪用として最適だったことから、鎖国後もオランダ人のもたらした羅紗(らしゃ/羊毛布地)やビードロを使った合羽が上級武士の間に広く使われはじめます。さらに、裕福な町人、医師、俳人たちが合羽に贅を競うようになったことから、幕府は数度にわたって羅紗やビードロ製の合羽の着用禁止令を出しました。

江戸中期頃になって木綿が国内で生産されるようになると、裕福な町人たちは木綿製の合羽を着はじめます。元禄年間(1688~1704年)後半には、紙製の合羽も誕生しました。
雨用、旅行用として使われた木綿製、紙製の合羽の表面には荏油などが塗られ、防水加工がされていました。

コート代わりに浴衣を利用

江戸時代中期の女子は、レインコートとして浴衣を着ていたそうです。浴衣はレインコートとしてだけではなく、旅行中の着物の埃除けコートとしても使われていました。

一陽斎豊国「江の嶋もうで」 国立国会図書館デジタルコレクション

江の島にやって来た女子3人。3人とも、着物の上から浴衣を羽織って、腰紐で止めて、コート代わりに使っています。左の手ぬぐいを「姉さんかぶり」をした女子の浴衣は、貝殻模様でしょうか?

貝殻模様、カワイイ!!

江戸時代後期になると、江の島は江戸からも近い行楽地として人気を集め、浮世絵にも多く描かれます。江の島神社に祀られた江島弁財天は、海の神、水の神であるだけではなく、幸福を招き、芸道上達の功徳を持つ神として信仰を集めました。

江の島の誕生については、こちらの記事をどうぞ↓↓


美しい弁財天さまにひとめぼれ。江の島誕生のきっかけは甘くて切ない龍の恋?

おしゃれなレインコートが着たい!

幕末頃になると、庶民の女子も雨合羽を着るようになります。

三代目歌川豊国、二代目歌川国久「江戸名所百人美女 江戸はし」 国立国会図書館デジタルコレクション

猪牙船(ちょきぶね)に乗って出かけようとしている女子。雨の用心として、着物の上から黒衿の道中着というコートを着て、腰のあたりでしごき帯を結ぼうとしています。紺色の道中着に、黄色のしごき帯がアクセントになっていますね。
道中着は、旅行時に雨よけや土埃・泥はねを防ぐために着るコートのようなもの。着物がすっぽり隠れる道中着は、現在も雨用コートや防寒用コートとして使われています。

これは私も持っています!

船首の形が猪の牙のような形をしていたことから猪牙船と呼ばれていた小船は、江戸の交通手段の一つ。猪牙船は小回りがきいて、スピードも速かったことから、江戸の運河や川で使われていました。

レインシューズはハイヒールで泥はね防止

雨の日や雪の日にレインシューズとして使われたのが、「足駄(あしだ)」と呼ばれる細くて高い歯の下駄です。

足駄の歯は細く作られていたのは、雨の日のぬかるみでも歯がぬけやすいようにするためであり、泥水がはねても着物にかからないようにする工夫でもありました。下にいくほど広くなる銀杏歯(いちょうば)なので、高さがあっても安定感があります。

鳥居清長「風俗東之錦」より シカゴ美術館
今のように道路はコンクリートじゃないだろうし、さぞかし歩きにくかっただろうなぁ。

布でおおって、濡れるのを防ぐ!

「急な雨だけれど、傘がない!」
そんな時は、手ぬぐいや風呂敷などの布で頭や帯をおおって、雨に濡れるのを防ぐこともあったようです。また、頭をすっぽりおおう「頭巾(ずきん)」のような被り物を使うこともありました。

一猛斎芳虎「当世夏景ノ図」 国立国会図書館デジタルコレクション

突然の雨に、花模様の手ぬぐいを頭に乗せて両端を左右にながした「ふきながし」にした右側の女子は、湯屋(ゆや/江戸時代の銭湯)帰りでしょうか? 弁慶格子と呼ばれる大きなチェック柄の着物に、表と裏に別の生地を使った昼夜帯(ちゅうやおび)を合わせています。
3人とも、足駄を履いています。

喜多川歌麿「絵本四季花」より シカゴ美術館

お供の男性の後を傘をさして歩く二人の女子。雨用のコートを着ていますが、裾がはだけないよう、膝のあたりに結び紐があります。頭は頭巾を被って、ヘアスタイルを守っています。足元は足駄。雨風とも強いのか、着物の裾も頭巾もなびいています。

急なゲリラ豪雨?

着物の裾が濡れないよう、持ち上げる

雨の時は、着物の裾が濡れないように持ち上げます。
出先での急な雨の場合は手で濡れないように持ち上げますが、帯の下にしごき帯を結んで、着物の裾が汚れないように丈を短く端折(はしょ)ります。着物の上に着る浴衣や雨合羽がはだけないように、しごき帯を結ぶこともあります。

三代目歌川豊国「我雨の往来」 東京都立中央図書館特別文庫室

にわか雨の中、傘をさして、急いで橋を渡る女子3人。
左側の麻の葉模様をアレンジした模様の着物を着た女子は、右手でしっかり傘を持ち、左手で着物を持ち上げています。中央の花の裾模様の着物を着た女子と、右側のチェック柄の着物の女子は、帯の下にしっかりとしごき帯を結んで裾を持ち上げています。風もあるのか、裾が少しはだけて、赤い襦袢と生足が見えていて、思わずドキッとしてしまいますね。

江戸時代の人もドキドキしていたから、浮世絵に残っているのですね。

草履を雨から守るために、裸足になる?

出かける前から雨が降っていたり、雨が降りそうな天気の場合は、足駄を履いて外出したと思われますが、外出先で急に雨に降られてしまった時は、江戸の人々はどうしていたのでしょうか?

答えは、「裸足になる」。
突然の夕立に見舞われた時は、それまで履いていた草履を脱いで裸足になることもあったようです。雨の中、草履を履いたままで歩くと草履が傷みますし、何よりも歩きづらかったのではないかと思われます。足が泥で汚れるのは「洗えばいいや」と思っていたのか、それほど気にしていなかったようですね。

草履の鼻緒をすげる部分から草履の台に水がしみこむと草履を痛めてしまうので、現在の雨の日用の草履は、底全体がゴムで覆われています。また、取り外しができる草履カバーもあります。

喜多川歌麿「夕立」 シカゴ美術館

突然の夕立に遭遇した人々。右側には雨の中、裸足で走る女子二人。手前の女子は、右手で傘をさしながら、左手で着物の裾を持ち上げています。帯が濡れないように、風呂敷のようなもので帯をおおっています。
大きな木の下には、雨宿りする人々が集まっています。かなり強い雨で、雷も鳴っているのか、耳を手で塞いでいる女子も見えます。木の側にいる笠を被った女子は、着物の裾が濡れないよう、しごき帯を結び直しています。赤ちゃんを抱いた女性は手に草履を持っているので、草履が雨に濡れないように裸足になったようです。
個人的には、雨宿りをしている女子たちの着物の胸元が大胆にはだけているのが気になるのですが……。

確かに(笑)。

当時の着物の着付けは、現代のようにきっちりしておらず、全体的にゆったりしていたそうです。急いで走ってきたせいで着崩れているのか、それとも暑いからなのか?
中央の若い男性は、足袋と草履は履いたままで、袴の裾が濡れないようにたくし上げて、扇子を使っていますが、その視線の先は……。

雨にも負けず、おしゃれを楽しむ!

今回の記事では、錦絵を手がかりに、江戸のレインウエア事情を探ってみました。その結果、傘、着物用レインコート、足駄といった現在でも使われているレイングッズが一般にも普及したのが江戸時代であることがわかりました。

現在は、防水加工をされた着物、トレンチコート風やマント風のおしゃれなコート、ハイテク素材を使った着物用のレイングッズもあります。足元もフォーマルの場でなければ、ブーツのようなレインシューズや地下足袋などを合わせる方もいるのだとか。
雨の日には、便利なレイングッズを活用したり、キレイ色アイテムを投入して、憂うつさを吹き飛ばす着こなしを楽しみたいですね。

最近はレインブーツではなく、合皮のブーツを履くことにしています。その方がデザイン豊富なので❤

主な参考文献

  • ・『ウチの江戸美人』 いずみ朔庵著 晶文社 2021年9月
  • ・『絵解き「江戸名所百人美女」:江戸美人の粋な暮らし』 山田順子著 淡交社 2016年2月
  • ・『江戸衣装図鑑』 菊地ひと美著画 東京堂出版 2011年11月

▼和樂webおすすめ書籍
歌舞伎江戸百景: 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。

この記事に合いの手する人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。