皆さんは、「平安時代」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
『枕草子』や『源氏物語』をはじめとする文学作品、十二単、蹴鞠を楽しむ貴族たち、源平合戦……。いろいろな平安時代のイメージがあるのではないでしょうか。
今回は、平安時代を約3分で解説します。
平安時代っていつからいつまで?
平安時代の名称は、平安京(へいあんきょう/現在の京都市)が当時の国の中心だったことから来ています。
平安京が都となったのは、延暦(えんりゃく)13(794)年。「鳴くよ(794)うぐいす平安京」の語呂合わせは有名ですよね。このときから平安時代が始まります。
始まりがあれば終わりもあります。
平安時代の中心的存在は天皇と貴族でしたが、次第に本来低い身分とされていた武士が台頭していきます。
そして武士政権である鎌倉幕府が生まれ、鎌倉時代に突入するわけですが、実は平安時代と鎌倉時代の境目はあいまいです。
なぜなら、鎌倉幕府がいつ成立したのか、諸説あるからです。
ひと昔前は、建久(けんきゅう)3(1192)年説が有力でした。「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」と最高に覚えやすい語呂合わせがありました。
一方、近年は文治(ぶんじ)元(1185)年説が主流となっています。ただし、他の年を推す声もあり、完全に確定はしていないようです。
詳しくは、以下の記事をご覧下さい。
結局「鎌倉時代」っていつからいつまで?色々起こりすぎた約150年を3分で解説!
ざっくり言えば、8世紀末から12世紀末が平安時代にあたります。
約400年。江戸時代が270年弱であることを考えると、平安時代はかなり長いですね。
平城京と平安京の間に存在した「もうひとつの都」
いにしへの 奈良の都の 八重ざくら 今日九重に 匂ひぬるかな
伊勢大輔
現代訳:古い時代の都である奈良の八重桜が、今日は九重(宮中の意味)で美しく咲き誇っていることだ。
奈良時代の末、桓武天皇(かんむてんのう)は、それまでの平城京(へいじょうきょう/奈良時代の都)からの遷都(せんと/都を移すこと)を決めました。
理由としては、平城京は物資を運ぶのに不便であること、奈良の仏教勢力が政治へもたらす影響を弱めること、天皇の権力を強化することなどが挙げられます。
日本史の時代区分表では、奈良時代の次が平安時代となっています。そのため、「平城京から平安京へ移った」と思う人も少なくありません。
しかし、実は平城京と平安京の間に、もうひとつ「都」があったのです。それは、長岡京(ながおかきょう/現在の京都市西京区、長岡京市、向日市)です。
延暦3(784)年、桓武天皇は長岡の地に新たな都を造営することにしました。
しかし、遷都に反対する勢力も存在しました。延暦4(785)年には、桓武天皇の腹心で長岡京造営を主導した藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が、皇太子の早良親王(さわらしんのう)に暗殺される事件が起きます。
その後も、長岡京はさまざまな災厄に見舞われます。再遷都が提案され、わずか10年で長岡京は都の座を平安京に譲ることになりました。
平安京の名前の由来は、当時の中国・唐の都である長安(ちょうあん)にならった説の他に、長岡京のようにならずに平安(平和)であってほしいと願った説があります。
もしも何事もなく長岡京がそのまま続いていたら、年表には「平安時代」ではなく別の名前が書かれていたかもしれません。
遣唐使の廃止と花開く国風文化
400年もあれば、いろいろと事件・出来事はあるわけですが、注目したいのが遣唐使(けんとうし)の廃止です。
時はさかのぼって、元号が作られる前。
西暦で言えば600年、推古天皇の時代より、日本は大陸の国家・隋(ずい)に使節を派遣するようになりました。これを「遣隋使(けんずいし)」と呼びます。
その目的は、日本よりも進んだ国から技術や制度を学ぶことでした。隋が滅びて新しく唐が建国されてから、「遣唐使(けんとうし)」と名前を変えて続けられました。
しかし、唐の弱体化や航海の危険、民間交易の活発化があり、わざわざ国の使節を派遣するほどの理由がなくなっていきました。
そして寛平(かんぴょう)6(894)年、菅原道真の提言により遣唐使は停止されます。「計画を白紙(894)に戻す遣唐使」と覚えるとわかりやすいですよね。
奈良時代は、大陸の影響を強く受けた文化が形成されていました。そのうち日本独自の文化を重要視されていくようになり、遣唐使の廃止でその動きが加速しました。
新たな建築様式・寝殿造(しんでんづくり)の登場、衣冠束帯や女房装束(俗に言う「十二単」)といった服飾の変化など、日本の風土に合わせて文化が進化していきます。
漢字から派生した独自の文字「仮名(かな/ひらがな・カタカナ)」も、9世紀には用いられた形跡があり、11世紀には広く使われるようになりました。その結果、文学作品も数多く生まれたのです。
魅力的な文学作品の数々
平安時代は、今でも愛される文学作品が数多く生まれました。
日本最古の物語と言われる『竹取物語』に、日本初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう/朝廷が公式に制作した和歌集)『古今和歌集』。
説話集『今昔物語(こんじゃくものがたり)』も平安時代に成立したものです。
随筆『枕草子』の著者・清少納言(せいしょうなごん)、物語文学『源氏物語』の著者・紫式部(むらさきしきぶ)は、それぞれ天皇のもとへ入内(じゅだい)した女性に仕える女房による文学作品でした。
また、古今和歌集の制作に関わった紀貫之(きのつらゆき)は『土佐日記(とさにっき)』を書きました。当時、仕事の記録は漢字で記すのが一般的でした。しかし、貫之は女性のふりをして、仮名を使って執筆したのです。
平安時代には、他にも仮名で書かれた日記文学がたくさん生まれました。
藤原氏の台頭と摂関政治
大化(たいか)元(645)年、乙巳(いっし、おっし)の変を含む大化の改新で活躍した藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の子孫・藤原氏は、平安時代の一大勢力となりました。
この時代、特に栄えたのが藤原北家(ふじわらほっけ)と呼ばれる家系です。
貞寬(じょうがん)8(866)年、藤原良房(ふじわらのよしふさ)が皇族では初めて、摂政(せっしょう/天皇が幼かったり病弱だったりする場合に補佐して政治を代行する役職)に就任しました。
その養子の基経(もとつね)は、元慶(がんぎょう)4(880)年、事実上の関白(かんぱく/成人した天皇を補佐する役職)に就任しています。
天皇の外戚として摂政や関白になって政治の実権を握ることを、摂関政治(せっかんせいじ)と呼びます。
それは藤原氏(藤原北家)を象徴するような言葉になります。
藤原北家では摂政・関白の座を争う動きがたびたび見られました。その中でも特に有名な存在が藤原道長(ふじわらのみちなが)です。
道長の娘の彰子(しょうし)は一条天皇(いちじょうてんのう)の后でしたが、一条天皇は道長の兄・藤原道隆(ふじわらのみちたか)の娘である定子(ていし)を寵愛していました。
道長は道隆が亡くなると、定子やその兄弟、さらには天皇にさえ圧力をかけます。
そして長和(ちょうわ)5(1015)年、彰子の産んだ皇子が後一条天皇(ごいちじょうてんのう)として即位すると、摂政の座を手にして外戚として権力を存分に振るいました(関白には就任せず)。
定子は、清少納言が仕えた人物でもあります。そして彰子は、紫式部をはじめとした有能な女房たちを多数抱えました。
華やかな文学作品を生み出した女性たちの傍では、こうした政争も行われていたのです。
時代の主役は貴族から武士へ
平安時代は朝廷と貴族が国の中心にありましたが、時代が下るにつれて、低い身分とされた武士が力を持っていきます。
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仁安(にんあん)2(1167)年、武家の棟梁である平清盛(たいらのきよもり)が太政大臣に上り詰めます。
清盛は入内させた娘が天皇の子を産んだことから、孫にあたる安徳天皇(あんとくてんのう)を即位させて、外戚として権勢をふるいました。
ただし、清盛ら平氏は武士であるものの、貴族的な性格が強かったようです。
残念ながら、その平氏の繁栄は長く続きませんでした。彼らに反発する動きが各地で起こり、特に源頼朝(みなもとのよりとも)の勢力が平氏を追い詰めていきます。
文治元(1185)年、壇ノ浦の戦いで平氏は滅亡。勝利した頼朝は、のちに征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の位を授かり、彼の本拠地である鎌倉が政治の中心となっていきます。
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とはいえ、平安京はその後も都として扱われました。
鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と武士たちの政権が交代しても、平安京は明治2(1869年)に東京が首都と定められるまで日本の首都でした。
平安時代とは、平安京が日本国内唯一の政治の中枢であった時代を指すのです。
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ひとくちに平安時代といっても、400年近くあるので、どこを切り取るかでイメージが変わるかもしれません。
今の日本文化につながる魅力がたくさん詰まった時代であることは確かです。
アイキャッチ画像:Colbaseより『源氏物語絵色紙帖 早蕨 詞冷泉為頼』( 京都国立博物館所蔵)をトリミング加工
主な参考文献
『平安時代大全』 山中裕/著 ロングセラーズ 2016年
『藤原氏 ―権力中枢の一族』 倉本一宏/著 中央公論新社 2017年
『地図でスッと頭に入る平安時代』 繁田信一/監修 昭文社 2021年
『知るほど不思議な平安時代 上・下』 繁田信一/著 教育評論社 2022年
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