2023年に放送される大河ドラマは、徳川家康が主役(23年ぶり3度目)の『どうする家康』。
ひとつ予言をしますと、劇中では竹千代(たけちよ)が大活躍します!
「え、誰……?」と思った方もいるでしょうか。
竹千代は、家康の幼名(ようみょう、おさなな/幼いころの呼び名)です。まあ、主役ですから大活躍することでしょう。
現代では、「名前は一生もの」と言われています。
しかし、かつては、生まれたときに付けられた名前を途中で変える風習がありました。
家康も、最初から「家康」と呼ばれていたわけではありません。
そこで今回は幼名について3分で解説してみます。
幼名とは
幼名は、童名(わらわな)、少字(しょうじ)とも言われます。
江戸時代(家によっては近代まで)、貴族や武家の子女は幼名を持っていました。元服(げんぷく/成人の儀式)のときに改めて諱(いみな/実名、本名)を与えられるので、幼名は成人するまでの間、一時的に使われるものでした。
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幼名を捨てて正式な名を得ることで、彼らは大人の仲間入りを果たすのです。成長によって名前が変わるなんて、なんだか出世魚みたいですよね。
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元服後、姓や諱を変える例もありました。徳川家康がまさにそれです。幼名の竹千代から始まり、元服して松平元信という名になった後、元康、家康と諱を変えて、最終的に徳川姓を名乗りました。
町人や農民が幼名を持つケースもあったようですが、大半は生まれたときの名のままでいたようです。
どうして名前を変えるの? 幼名の謎
現代の感覚からすると、「どうして子どものころ限定の名前をわざわざ付けるの?」という疑問も生まれるでしょう。
一説によると、医療が発達していなかった時代は乳幼児の死亡率がとても高く、魔除けの意味があったとされます。
幼名には、鶴や亀、松、竹、虎、千、万などのおめでたい字、健康の祈りが込められた字がよく使われました。
こんな字が使われることも……
「棄(捨)」や「拾」の字を使った幼名が付けられることもありました。これは、捨て子はよく育つと言われていたからです。
これらの字を名前に付けるだけでなく、実際に子どもを一度捨てて別の人に拾ってもらうという形式を踏むこともありました。豊臣秀吉の子、鶴松や秀頼の幼名がまさにこのケースです。
幼名に多く使われている「丸」は、便器の「おまる」から来ていると言われています。
先述のとおり、乳幼児が無事に成長するとは限らない時代。神様や鬼、もののけが子どもを連れていかないように、本来忌避するものをあえて子どもの名に取り入れて、大切ではない(わざわざ奪うものではない)とアピールしたのです。こうした文化は、モンゴルやアイヌでも見られます。
同じような考えがあったのかは不明ですが、戦国武将の織田信長が長男に「奇妙丸(生まれたときの顔が奇妙だったから)」と付けたエピソードは有名ですね。
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実は家康だけじゃない! 受け継がれる幼名「竹千代」
幼名は、オンリーワンのものではありません。
祖先の幼名が代々の嫡男(ちゃくなん/跡取り息子)に受け継がれることは、珍しくありませんでした。家康の幼名である「竹千代」も、彼だけのものではなく、いろいろな男子が名乗りました。
家康より何代も前から松平家では「竹千代」の幼名が使われていましたし、江戸幕府が開かれてからは主に将軍の嫡男が竹千代の幼名を使いました。
ここで、歴代の徳川将軍の幼名を見てみましょう。
初代 家康:竹千代
二代 秀忠:長松(長丸)→竹千代 ※家康の三男(長男の信康の幼名も竹千代)
三代 家光:竹千代
四代 家綱:竹千代
五代 綱吉:徳松 ※家綱の弟で家光の四男
六代 家宣:虎松 ※家綱&綱吉の兄弟の長男
七代 家継:鍋松 ※家宣の四男(長男は生後すぐ死去)
八代 吉宗:源六 ※紀州徳川家出身
九代 家重:長福丸 ※長男だが父の吉宗が将軍になる前に生まれた
十代 家治:竹千代
十一代 家斉:豊千代 ※一橋徳川家出身
十二代 家慶:敏次郎 ※家斉の次男(長男は竹千代)
十三代 家定:政之助・家祥 ※家慶の四男(長男は竹千代)
十四代 家茂:菊千代 ※紀州徳川家出身
十五代 慶喜:七郎麻呂 ※水戸徳川家出身
意外と「竹千代」が少ないように感じるかもしれませんが、竹千代と名づけられた長男が幼くして亡くなったので代わりに継いだり、将軍家の子として生まれていなかったりと、それぞれ理由があります。
注目したいのは、二代将軍の秀忠です。家忠は三男ですが、生まれて数カ月後に家康の長男・信康が切腹する事件がありました。次男の秀康は養子に出されていたので、家忠が跡継ぎとなり、幼名が「竹千代」に替わりました。
実は三代将軍の家光も、長男でありません。側室から生まれた長男・長丸(家忠の最初の幼名と同じ)が早世したため、正室から生まれた次男の家光が「竹千代」と名づけられました。
徳川将軍家にとって、「竹千代」と名づけられた男の子は跡取りの期待がかかった存在だったのです。
同じように、他の武家でも、跡取りとして生まれた子に代々受け継がれる幼名が与えられる文化がありました。
現代ではあまり馴染みのない文化になってしまった幼名。
時代背景を考えながら見ると、そこに込められた願いや想いを感じられます。
アイキャッチ画像:写真ACより
主な参考文献
『日本人の名まえ』 渡辺三男/著 毎日新聞社 1967年
『苗字と名前の歴史』 坂田聡/著 吉川弘文館 2006年
『日本人の名前の歴史』 奥富敬之/著 吉川弘文館 2018年