初詣の季節になると気になるのが、正しい参拝の心得ではないでしょうか。神社やしきたりに詳しい神道学者の三橋先生に伺いました。
※以下、本記事の文章は雑誌『和樂(2012年1・2月号)』の転載です。
神様がお好きなのは、正直な人
解説:三橋 健さん(神道学者)
「神様がお好きなのは、正直な人。身も心もきれいな人なんです」と三橋先生。神様の御利益をいただけるような、正しい初詣への臨み方はあるのでしょうか。
「心身を清めて神様にお参りすることです。古くは神社の近くを流れる小川や滝、海などで禊や祓えをして参拝していたことを簡略化したものとして、現在は手水舎があります。正月はふだんよりも多くの人が神社に集まるからといって、手水の作法を省略してはいけません。また、参道は端を歩く、拝礼や柏手といった参拝作法も、神様に真をもってお参りするための心を形にしたものですから、正しい作法にならうことと心得ましょう」
神様に願いごとを聞いてもらうことが最優先になりがちな私たちでありますが…。
「神様の力を借りなくては乗り越えられないときを古代の人は節句と呼びました。1年に5回訪れる節句のなかでも正月は大節句にあたります。まずは神様に昨年までの感謝を捧げることを胸に留めてください」
初詣を行う心構えは12月から始まっている
日ごろ忙しい私たちにとっては、初詣に行っていよいよ「新しい一年が始まる」と実感がわく人も多いでしょう。
「正月は元旦から始まるのではありません。今では寺社だけの行事のように見えますが、12月13日の煤払いに始まり、人々も新年を迎える心の準備を始めていました。古い文献には、大晦日の深夜に松明を灯して人の家の門を叩いて走り回る人がいて、起きてきた人々がお互いに悪口を言いあい、再び静かに夜明けを迎えるという話があります。ポルトガルの大晦日でも同じような体験をしましたが、その年のうちにその年の悪事は解決する。悪いことは吐き出す。このような清めがないと、良い年は訪れてこないと考えられていたのです。初詣の前には心身の整理をしてください」
参拝に行く神社は、まず氏神様が第一と心得て
「日本人として生まれると、これは宿命的なことですが、ある場所であなたが生まれたらその土地の氏神様の氏子になる。これは血縁と同じで避けられないことなんですね。氏神様は生まれた土地のことをなんでも知っている、あなたの親です。実際の親は夜になったら寝てしまうかもしれないけれど(笑)、氏神様は昼も夜も子供を守ってくれる存在です。初詣となれば、氏神様からお参りをするのが常識なんですよ」
物理的に参拝できない人は氏神様の方向に拝む(遥拝)だけでもいいそう。
「私たち日本人には、崇敬神社と氏神神社があることを知ってください。崇敬神社とはあなたの好きな神社で、それはいくつあってもいい。氏神神社はあまりにも近い存在なので忘れそうになりますが、大事にしてください」
鳥居をくぐってから出るまで、参道の中央を歩くべからず
鳥居は神域に入る玄関を意味するので、ここでまず軽く一礼をして鳥居をくぐります。次に、拝殿に続く参道を歩く時に注意したいのは、中心を避けて端を歩くこと。
「参道の中心は『正中』と呼ばれていて、神様が俗界に渡られる際にお通りになる道だと考えられています。伊勢神宮の内宮へ参拝する機会のある方は、参道の始まりにある宇治橋を注意して見てみましょう。中心部に盛り木が敷かれています。これを『中臥板(なかぶせいた)』といいますが、正中を踏まないための工夫なのです」
拝殿から下向するときも同じように。また、参道に敷き詰められた玉砂利を敬遠して歩く人も見られますが、これは踏みしめるうちに身も心も清められるためにあるもの。参拝までに必要な道程なのです。
2拝2拍手1拝が基本 拍手は胸の中央でしっかり打つ!
参拝には正式参拝(拝殿に上がり、神職からお祓いを受けて祝詞を上げてもらう。神前へ玉串を捧げ、拝礼をして神酒をいただく)と一般的な参拝(賽銭箱の前に立って拝礼)がありますが、どちらにも正しい参拝の仕方を身につけておくことが大切。「2拝2拍手1拝」が一般的な作法ですが、伊勢神宮の「8度拝8平手(やひらで)」出雲大社の「2拝4拍手1拝」など異なる作法があるので、どうするのが正しいのか悩みますが…。
「参拝作法は神社によりさまざまですので、参拝する神社の作法に従ってください。ただ、明治時代の『神社祭式行事作法』によって2拝2拍手1拝が定められたのも事実です」
拍手は、両手を胸の高さに合わせ、片手をもう一方の手の指の第2関節あたりまでずらして打つといい音が出ます。
「手のひらの中央(掌、たなごころ)を打つのは、いい音を出すためであり、掌には昔から心が宿ると考えられています。古代の日本人は挨拶を交わすときに拍手を打ちました。拍手は相手に対して敬意を表したものです」
神様にお願いごとをする前に、感謝の祈りを捧げるべし
「昔の人は神様に祈るのではなく、神様を祈っていたのです。たとえば稲作は稲の神様の仕事を農民が代わりに行うと古代の祝詞にも書いてあります。神と農民が一体となって稲をつくるのですから、祈願ではなく感謝があるだけなのです。“人間中心主義”になるのは現代からの考え方なんですよ。ですから、初詣の祈願のときも『昨年はありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします』という感謝の祈りを、神様にお願いする前に捧げてください」
ちなみに、祈願の前にお賽銭を投げますが、賽銭には「奉納」と「お祓い」の両方の意味があります。お祓いとして考えるならば、たとえ高額でも、勢いよく投げたら振り返らずに立ち去ること。
「金額に応じて願い事が叶うことを期待するのも初詣の趣旨に反します。神様は、汚いお金は受け取りません。賽銭箱に入ったからといっても、神様は納授していませんよ」
構成/藤田 優、福持名保美(本誌)