Culture
2023.02.27

信長の弟、織田有楽斎とは?秀吉・家康にも仕えた武将・茶人の生涯

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「織田がこね、羽柴がつきし天下餅、座りしままに食うは徳川」。
江戸末期に作られたとされる、戦国時代の終焉を揶揄した狂歌(数通り伝えられるうちの1つ)だが、もしこの言葉を彼が耳にしたなら、何を思っただろう。

織田有楽斎(おだ うらくさい)、織田信長の弟にして豊臣(羽柴)秀吉・徳川家康とも深く関わった武士・茶人である。「逃げた男」という不名誉なレッテルを貼られることもある有楽斎だが、近年、この評価に疑問が投げかけられているという。

織田有楽斎の生涯や人物像、ゆかりの遺構などを通し、数奇な運命をたどった1人の戦国武将・茶人に思いを馳せてみよう。

※記事中使用画像はすべて(展示会ポスターを除く)正伝永源院蔵(禁転載)。

織田有楽斎の生涯

有楽斎は天文16(1547)年、戦国武将・織田信秀の11男として生まれた。信長の13歳下の末弟で、幼名・通称は源五郎(源五とも)、名を長益(ながます)といい、有楽斎(有楽)は剃髪した後の号である(本記事では「有楽斎」で統一する)。

天正2年(1574)には尾張国知多郡を与えられ、信長の長男である信忠に仕えたが、同10(1582)年の本能寺の変に巻き込まれる。有楽斎は信忠と共に誠仁親王のいる二条御所にいたが、主君を残して脱出、信忠は親王を逃走させた後、自害して果てた。そのため、京の人々には「切腹をすすめておいて、逃げた男」などと揶揄されたといい、江戸時代の歴史書には有楽斎を悪し様に評するものもある。しかしその後に信長の甥・信雄(のぶかつ)に仕え、織田家において重要な位置にあり続けるなど、本当に「逃げた」のだとすれば不可解な点も多い。

織田有楽斎像 正伝永源院蔵

信雄とともに一時は秀吉に抵抗したものの、やがて有楽斎は秀吉の御伽衆に加わり、秀吉の没後は徳川家康との関係を深くしていく。淀殿の叔父であることから、大坂城にて淀殿とその子・秀頼の補佐を担い、冬の陣では豊臣・徳川の和議のために尽力したが、元和元年(1615)の夏の陣を前にして家康の許可のもと城を去り、以降、京都・建仁寺の塔頭正伝院を再興して隠棲する。元和7(1621)年12月13日年に75歳で没するまで茶道に専念して有楽流を興し、茶の湯に大きな影響を与えた。

織田有楽書状 藤堂和泉守宛 正伝永源院蔵

なお、現在にも残る「有楽町」や「数寄屋橋」は、家康から拝領した織田有楽斎屋敷にちなむという説がよく知られている。

織田有楽斎の人物像

有楽斎は若い頃より茶の湯に親しんでおり、千利休の高弟、いわゆる利休七哲の1人に数えられることもあるが、利休に一目置かれる別格の存在であったともいう。秀吉の茶会にしばしば出席し、有楽流と呼ばれる一派を開き、茶の宗匠と称された。

織田有楽斎像(部分) 正伝永源院蔵

伝仁阿弥道八 「正傳院」字黒茶碗  正伝永源院蔵

茶杓 正伝永源院蔵

有楽斎は茶の湯を通して大名や町衆との交わりを深めたが、現在まで正伝永源院に伝わるその茶風は、武家らしからぬ非常に柔らかな手前であるという。

「鳴かぬなら 生きよそのまま ホトトギス」。
織田有楽斎400年遠忌実行委員会が、2023~2024年に開催される「大名茶人・織田有楽斎」展のために、有楽斎の人となりを偲んで詠んだ句である。冒頭の3武将のものと対比させて新たに作られたものだが、かの武将の興した茶の湯を思わせる美しく穏やかな一句だ。

織田有楽斎ゆかりの遺構、国宝の茶室「如庵」

現在、愛知県犬山市の有楽苑にある国宝の茶室・如庵(じょあん)は、有楽が再興した正伝院内に設けた茶室を移築したものである。名付けの由来は有楽斎のキリシタン受洗名ジョアンJoâoに由来するという。

入母屋造・柿葺(こけらぶき)の屋根で、茶室の腰張に暦の反古が張ってあるため、暦張(こよみばり)の席とも呼ばれる。有楽窓と呼ばれる窓や斜めの壁など独自の雰囲気を持ち、各地で如庵の写しが作られている。

如庵を描いた掛軸 正伝永源院蔵

「大名茶人 織田有楽斎」展 概要

有楽斎400回遠忌にあたり、正伝永源院に伝わる文化財の再調査が行われた。そこで得られた知見をもとに、織田有楽斎という人物を今一度捉え直す展覧会が開催される。

詳細は以下の通り。

〔京都展〕
◇会期:2023年4月22日(土)~6月25日(日)
◇会場:京都文化博物館
◇開室時間:午前10時~午後6時 ※金曜は午後7時30分まで(入館は閉館30分前まで)
◇休館日:月曜日
◇主催:京都府、京都文化博物館、正伝永源院、読売新聞社
◇所在地:京都市中京区高倉通三条上ル
電話 075-222-0888

〔東京展〕
◇会期:2024年1月31日(水)~3月24日(日)
◇会場:サントリー美術館
◇開館時間:午前10時~午後6時 ※金・土曜は午後8時まで(入館は閉館30分前まで)
◇休館日:火曜日、但し3月19日(火)は開館
◇主催:サントリー美術館、正伝永源院、読売新聞社
◇所在地: 東京都港区赤坂9丁目7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階
電話 03-3479-8600(代)

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参考文献
・『世界大百科事典』平凡社
・『日本国語大辞典』小学館
・『日本人名大辞典』講談社
・『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
・『国史大辞典』吉川弘文館
・『デジタル大辞泉』小学館
・「大名茶人 織田有楽斎」展資料
・日本庭園有楽苑公式サイトhttps://top.meitetsu.co.jp/
・レファレンス共同サービスhttps://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000290236

書いた人

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。