Culture
2023.03.22

北欧の視点から浮世絵を読み解く 日本のアートが注目を集め続ける理由とは

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浮世絵や創作版画・新版画などの魅力について、コペンハーゲンを拠点に発信しているキュレーターでアートディレクターのマリーヌ・ワグナーさん(Malene Wagner/写真右)。イギリスの美術出版社やオークション業界での勤務経験を持つ彼女に、日本の浮世絵・版画の文化を北欧の視点から読み解いてもらいました。

日本が与えた影響の大きさ

多くのヨーロッパの国々と同様に、デンマークでは、日本美術といえば北斎の木版画「神奈川沖浪裏」(1831年頃)を思い浮かべる人がほとんどです。日本版画のコレクターである私の興味も、もとはと言えば古典的な浮世絵から始まりました。

けれども、私が19世紀末の美術史、特にデンマークの陶磁器について研究している中で気づいたことは、日本の版画が特にデンマークのデザインに大きな影響を与えたということでした。今回はそのことについて、日本の読者の方々にご紹介したいと思います。

Katsushika Hokusai, The Great Wave off Kanagawa, woodblock print, c. 1831. @Metropolitan Museum of Art.

1850年代半ばに各地の港を開港した日本では、磁器、漆器、青銅器、織物、錦絵、書籍などが、パリを中心とする欧米の大都市に次々と輸出され、ヨーロッパでは日本文化の一大ブームが起こったことは多くの方がご存知だと思います。この現象は、1872年にフランスの美術評論家でコレクターのフィリップ・ブルティ(Phillipe Burty)によって「ジャポニスム」と定義されました。

中でも日本の木版画である浮世絵は、ヨーロッパの全ての世代の芸術家、デザイナーらにインスピレーションを与えるようになり、デンマーク人もまた、日本の「異国」芸術、特に色鮮やかな浮世絵に対する興奮と魅力の波に飲み込まれていきました。

デンマークでは、画家で美術史家のカール・マドセン(Karl Madsen)が、『Japansk Malerkunst(日本の絵画)』と題した書籍を1885年に出版しました。この本は彼が日本の美術についてスカンジナビア語で書いた最初の本で、北欧の芸術家に重要な知識とインスピレーションを与える源泉となり、本の中では特に北斎について章立てて詳しく解説しています。

Karl Madsen, Japansk Malerkunst, P.G. Philipsens Forlag, Copenhagen, 1885.

ロイヤルコペンハーゲンが持つ「日本的」な要素

同じ頃、ロイヤル・コペンハーゲン磁器製作所(現在の「ロイヤル・コペンハーゲン」)に、若き建築家エミール・アーノルド・クログ(Emil Arnold Krog/1856-1931)が招聘されました。近代的な「ナショナル」スタイルを普及させるために招かれたクロッグは、それまでのブルーフルーテッド磁器(注:フルーテッドは縦溝の入った、の意味)に加え、日本の根付や浮世絵に見られる自然の繊細な描写からインスピレーションを得て、独特の青色下絵を施した磁器作品を制作し、北欧的でありながら明らかに日本的な感覚を持つ作品を生み出しました。

Emil Arnold Krog, porcelain dish with swans and waves, blue underglaze, 1887. @Designmuseum Denmark. Photo by Pernille Klemp.

1888年に発表された白鳥の絵皿には、葛飾北斎に加えて、歌川広重が1858年に発表した「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」など、当時多くの西洋画家が収集した「波」のモチーフからインスピレーションを受けていることがわかります。

Utagawa Hiroshige, The Sea at Satta, woodblock print, 1858.

アーノルド・クローグが自ら収集した日本の版画がどのようなものであったかは定かではありませんが、1888年から91年にかけてパリでジークフリード・ビング(Siegfried Bing)が発行したフランスの有力雑誌『Le Japon Artistique』には、日本の有名作品が数多く複製され、表紙には必ず浮世絵のモチーフが載っていたことが分かっています。

S. Bing (ed.), Le Japon Artistique, No. 20, December, 1889.

現代アートと古典美術の共演

陶磁器だけでなく、デンマークのデザインや建築には日本からの影響が色濃く残っています。しかし現代のデンマークには、浮世絵をはじめとする日本美術を保管・展示しているコレクションがほとんどありません。19世紀後半以降、日本の美が私たちの文化に果たしてきた影響の大きさを考えると、非常に残念な気がします。

そこで1974年、コペンハーゲン近郊にある世界的に有名な美術館「ルイジアナ近代美術館」は大規模な日本展を開催し、日本の現代アーティストにも作品発表の機会を提供するとともに、北斎や歌麿などの浮世絵を含む日本の古典美術とともに展示しました。

Ay-O, Exhibition Poster for Louisiana Museum of Modern Art, Denmark, detail from Hokusai Rainbow, 1974. Collection of Malene Wagner.

このとき招待された現代アーティストの中には、「虹のアーティスト」とも呼ばれる靉嘔(英語名:Ay-O、本名:飯島孝雄/1931-)がおり、彼はこの展覧会のために5枚のシルクスクリーンプリントを発表しています。

Ay-O, Vulcano, silkscreen print, 1974. Collection of Malene Wagner.

「Rainbow Landscape」と題されたこのシリーズは、後に私が自分のコレクションとして購入した最初の作品の一つでした。デンマークのオークションでポスターとして出品されたものです。うれしいことに、私は2019年の秋に靉嘔さんにお会いすることができ、2022年に再会したときには、私が現在取り組んでいる日本近代版画についての書籍執筆のためにインタビューをさせていただく光栄に浴しました(写真下)。さまざまなメディアで活動した靉嘔さんの活躍は、日本の近代版画家の中では際立っており、その作品群は、日本の版画史を俯瞰したときには非常に重要な位置を占めていると私は考えています。

Ay-O and Malene, October 2022. Photo by Ando Tomoro.

1958年、ニューヨークに移住した靉嘔さんは、前衛的な芸術運動「フルクサス」の一員でジョージ・マチューナス(George Maciunas/同運動の創設者)、ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik)、そしてデンマークのエリック・アンダーセン(Eric Andersen)らと共に活動しました。1966年には、第33回ヴェネツィア・ビエンナーレに参加。虹色の「フィンガーボックス」65個を壁一面に並べ、来場者が穴を開けて中身を探せるようにした「虹の環境3」を発表しました。

なぜ日本のアートを取り上げるのか

Ay-O, Rainbow Environment No. 3, Venice Biennale, 1966. @ The Japan Foundation.

一方この年、草間彌生さん(1929-)は、公式招待を受けずにアートインスタレーション「ナルシスガーデン」に参加しています(後に退場を命じられました)。ご存じの通り、現在では、草間彌生の名前は最も有名で、最も高い価値を持つ日本人アーティストの一人となっています。彼女のドットは、北斎の「The Great Wave」のようにアイコニックな存在となり、当時はランチ2回分ほどの値段で売られていましたが、2021年には159万ドルのハンマープライスが付き、当時の価格記録を更新しました。

一方靉嘔さんの作品は現在でも数百ドルで購入することができます。なぜこれほどまでに差がついているのか、私にとってこれは1960年代から今日にかけての日本のアートシーンにおける興味深い変化の一つです。

金銭的な価値と、美的・文化的な価値はまったく別ものです。だからこそ、日本の版画の歴史と発展を、日本の中で、そして世界に向けて伝え続けることが重要だと私は思います。日本の専門学校や大学から多くの才能ある版画家が卒業していく中、「The Great Wave」を超える作品、そしてその先にある歴史を紡いでいくために、新しい世代のアーティストを取り上げ、広めていくことが重要なのではないでしょうか。

翻訳:安藤智郎(Translated by Ando Tomoro)

書いた人

キュレーター、アートディレクター、「Tiger Tanuki: Japanese Art & Aesthetics」創設者。日本美術史の修士号取得後、出版業界やオークション業界を経て、現在はさまざまな観点から日本美術に関する執筆やキュレーション、アートディレクションを行っている。専門は日本の版画と19世紀から20世紀にかけての日本と西洋の文化交流。https://www.tiger-tanuki.com/