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2024.09.12

実は夜を共に過ごすことが多かった? 一条天皇と彰子に愛が芽生える日

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大河ドラマ『光る君へ』もいよいよ後半。注目されるのが一条天皇と中宮・彰子(しょうし/あきこ)の関係です。

見上 愛さん演じる彰子は登場するなり、得意の笛を披露しようとした一条天皇にそっぽを向いて「笛は聞くもの、見るものではありません」と答える塩対応が話題になりました。

愛する皇后・定子(ていし/さだこ)を亡くした一条天皇も、彰子のことなんて眼中にないといった様子。道長の娘を愛することは、定子への裏切りに等しいと感じているのかもしれません。

明るかった定子とは正反対の内気な彰子が、一条天皇から愛されるときはくるのでしょうか。

『栄花物語』では最初から愛されまくり

実は、平安時代に書かれた『栄花物語』では、彰子は最初から一条天皇の心をつかみます。
彰子が暮らした藤壺の飾りつけや、身につけている衣装、薫(た)きしめた香などもすばらしく、光り輝くようなので「御宿直(とのい)しきりなり」一条天皇の寝所に招かれて、ともに夜を過ごすことが多かったのだとか。

といっても、長保元(999)年に入内(じゅだい)したときの彰子はまだ12歳。一条天皇は20歳で、寵愛していた定子のほかにも、右大臣・藤原顕光(あきみつ)の娘の元子(げんし/もとこ)ほか、複数の女御(にょうご)がいました。
『栄花物語』には「ほかの女御様方はみなすっかり落ち着いた大人でいらっしゃるので、年少の彰子がいっそうかわいらしく思えるのか、まるで自分の姫君を育てるかのように大切にお世話をなさっている」とあります。

道長は、娘の彰子に最高級の嫁入り道具をそろえていました。
「櫛(くし)箱や硯(すずり)箱の中に入れてあるような日用品でさえ、趣があって珍しいものばかり。一条天皇はすっかり心を奪われて、夜が明けるとすぐに藤壺に通っては、棚にある歌絵や書などをご覧になっていらっしゃる」
そして「昼間などに大殿籠りては」昼間から寝所に入っては、「あまりに幼いご様子なので、自分が年寄りのように思えて恥ずかしい」と仰る、と書かれています。

一条天皇の熱愛は、苦しい演出?

『光る君へ』でも一条天皇の気を引くために、道長がまひろ(紫式部)に『源氏物語』の執筆を依頼するシーンがありました。『栄花物語』に描かれている藤壺の輝き、一条天皇の関心が向いている先も、物ばかりですね。一条天皇と彰子が寝所をともにしているという描写もなんだか唐突で、ちぐはぐな印象です。

『栄花物語』はその名の通り、道長の栄花を後世に残すことを目的として編纂(へんさん)された歴史物語です。そのため、道長寄りの脚色がされていると考えられるのです。
編纂者の一人として、道長の正妻・倫子(りんし/ともこ)や彰子に仕えたベテラン女房の赤染衛門(あかぞめえもん)が有力視されていますが、赤染衛門はまさに道長や倫子に命じられて、衣装や道具類、香などに気を配り、内気な彰子を後宮(こうきゅう)で輝かせようと苦心していた一人だったに違いありません。

一条天皇は筆頭公卿で左大臣の道長の顔を立てるために、彰子を寝所に呼んだり藤壺に通ったりしていたのでしょう。実際に二人が男女の関係になるのは、ずっと先のことだったようです。

愛が実を結んだのは、結婚から9年後

やがて彰子は美しく、また内気なだけではない思慮深い女性へと成長していきました。定子が遺した敦康(あつやす)親王の母代わりとなって、藤壺でともに暮らすようになってからは、定子の親族にも気を配り、交流をしています。
彰子が一条天皇との間に初めての子どもを授かったのは結婚から9年後の寛弘5(1008)年、21歳のときです。『栄花物語』には妊娠に気づくころの、こんなエピソードがあります。

中宮(彰子)はご気分が優れず、食事も喉を通らないけれど、大げさに騒ぐことはせずに寛弘4(1007)年の12月を過ごされた。
正月になっても同じようなご体調で、強い眠気に襲われることもあるご様子。
帝がいらっしゃって、「去年の12月から毎月のこと(生理)が来ていないのでしょう。今月ももう20日になるし『ご気分も普段とは違う』ということですね。私にはわからないけれども、きっとただならぬこと(懐妊)でしょう。父君(道長)や母君(倫子)に伝えましょう」と仰るけれど、(彰子は)とんでもないことですと、恥ずかしがっていらっしゃる。
『栄花物語』巻8より

一条天皇が話す内容は、親密な男女だからこそ言えること。あまりにプライベートなことなので、脚色も感じません。

さらに一条天皇は、内気な彰子に代わって道長にこう話します。
「中宮のお体が普通ではないことに気づきませんか。いつもはこちらが『休んだら?』といっても昼間に眠ったりしない、真面目な宿直役のようでいらっしゃるのに、最近はめったなことではお目覚めにならないようなのですよ。気づいてもよいでしょう」

彰子が不器用なほどに真面目な性格であることを、この頃には一条天皇もちゃんと理解して、寄り添ってくれているのですね。

この年の秋に、彰子は一条天皇の第2皇子・敦成(あつひら)親王を出産。翌年にもまた第3皇子となる敦良(あつなが)親王を出産しました。
一条天皇の心には確かに、幼いころから連れ添った亡き皇后・定子がずっといたのかもしれません。
でも、だからといって健気な彰子を愛さずにいることも、できなかったのではないでしょうか。

彰子の出産のようすが描かれている『栄花物語図屏風』出典:ColBaseより、一部をトリミング
生まれたばかりの親王の横には、帝から贈られた守り刀も描かれています

*女性の名前の訓読みは一説です。平安時代の人物の読み仮名は正確には伝わっていないことが多く、音読みにする習慣もあります。

アイキャッチ:『栄花物語図屏風』出典:ColBaseより、一部をトリミング

参考書籍:
『日本古典文学全集 栄花物語』(小学館)
『藤原彰子』著:服部早苗(吉川弘文館)

書いた人

岩手生まれ、埼玉在住。書店アルバイト、足袋靴下メーカー営業事務、小学校の通知表ソフトのユーザー対応などを経て、Web編集&ライター業へ。趣味は茶の湯と少女マンガ、好きな言葉は「くう ねる あそぶ」。30代は子育てに身も心も捧げたが、40代はもう捧げきれないと自分自身へIターンを計画中。