下町情緒がのこる東京・東上野。下谷神社のすぐ近く、お稲荷さんの脇を抜けて、ちょっと歩いた路地裏に「紋章上絵師(もんしょううわえし)」波戸場承龍(はとば・しょうりゅう)さんのお仕事場はあります。息子の耀次さんと二人で営む株式会社京源(きょうげん)は、着物に家紋を入れる「紋章上絵師」の伝統的な技術をベースに、現在では幅広いデザインの仕事を請け負う会社。
洋装が普及した現代においては尚のこと、知るひとぞ知る職業である「紋章上絵師」。そんな波戸場さんのお仕事が広く知られるようになったきっかけは、おそらく放送9年目を迎えるNHK Eテレの長寿番組「デザインあ」の「もん」コーナーでしょう。波戸場さんが登場する同コーナーは、正円と直線から成る日本の家紋のシステマティックな構成を、テンポの良い音楽と映像で紹介し、多くの人の心をつかみました。
私たちに家紋の楽しさと奥深さを教えてくださる波戸場さんが、このたびファッションブランド「Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)」の新作に関わられたとの情報を知り、お話をうかがってきました。「黒の衝撃」と呼ばれた1981年のパリコレから三十余年、ワーグナーのオペラや北野武監督映画などの衣装制作、アディダスとのコラボレーションブランド「Y-3」など、常に人々の注目をさらい、次の時流を見据えた展開を続けるYohji Yamamoto。そのコレクションに、いったいどんなかたちで日本の家紋が関わったのでしょうか? また、家紋の枠組みにとらわれない波戸場さんのさまざまなデザインのお仕事についてもうかがいました。
紋章上絵師の波戸場承龍さん。お会いするときは、いつもオシャレな着物姿。UNITED ARROWSの男着物も手がけています。(画像提供:京源)
憧れのYohji Yamamotoの世界観を家紋のデザインで
— こんにちは。本日はまず、Yohji Yamamotoの2019-20秋冬のコレクションに採用されたデザインのお話についてうかがえればと思います。どのような経緯で、Yohji Yamamotoのお仕事をすることになられたのでしょうか?
承 実は僕がYohji Yamamotoの三十数年来の大ファンで、息子に「耀次(ようじ)」って名前をつけるほど好きだったんですよ。それで知り合いの方が、昨年3月に山本耀司さんとの会食の機会を設けてくれたんです。それがきっかけで8月に耀司さんの事務所から電話があって。「Yohji Yamamotoの世界観を波戸場さんなりに表現してみてください」というようなお話をいただきました。
— その際に、先方からテーマや条件のようなものは提示されたのでしょうか?
承 全くなかったんです。古くさくはしたくないけれど、波戸場さんの自由に表現してください、ということだったんですよ。
— 完全にお任せですね。でも逆に、仕事としては難しかったのではないですか?
承 まあ、僕はずっとYohji Yamamotoが好きだったから、方向性は比較的すぐに固まりましたね。それで半月くらいで4案描いてメールで送りました。
— そこで提案したのが、この正円の弧で描いたスカル(骸骨)や毒蜘蛛のモチーフだったわけですね。こんな複雑な図柄も円で描けるんですね。「デザインあ」の「もん」コーナーのBGMが聞こえてきそうです。
無数の正円の円弧で描いたラムスカル(羊の頭骸骨)。Yohji Yamamoto(HOMME)2019-20秋冬 パリコレクションより。(画像提供:京源 Copyright:Monica Feudi)
承 そうです。これだったら気に入ってもらえるだろうなって。そうしたら「スタッフ一同感動しました」という旨のお返事をいただきました。
— 紋章上絵師の波戸場さんから、まさかのスカルモチーフが出てきて、山本耀司さんも意外だったのではないでしょうか?
承 だと思います。その後は具体的にモチーフのお題もいただきながらやりとりさせていただいて、1月のコレクションに向けて、修正を加えたり、さらに他の図案を出していったんです。カマキリの共喰いとか、コウモリとか。その合間に、12月の山本耀司さんのライブ(Bluenote TOKYO)を記念したTシャツのグラフィックもご依頼いただいたりして。
— 一度の会食で、仕事のお話が来るというだけでもすごいことだと思いますが、19年ぶりとなる単独ライブの記念Tシャツのデザインまで依頼されたということは、波戸場さんのデザインや、お仕事に対する姿勢に、何か共感されるところがあったのではないかと推察します。
承 今回パリで発表されたコレクションでは、僕以外のアーティストがデザインしたものも採用されているんですが、僕がデザインしたものは、ボタン部分などの細かい点も含めると、38体のうち24体に使用いただきました。自分が提出したものが、どのようにYohji Yamamotoの洋服の上に落とし込まれるかは、パリコレ当日まで僕も知らされていなくて。
インナーなどに使用されたものも多かったので、正直パリコレのランウェイではわかりにくかったんですが、先日の東京の展示会では、さらに他のアイテムにも採用いただいていたので、本当に嬉しかったですね。招待状の封筒にも、僕の描いたラムスカルを使っていただいたんです。
まるで蜘蛛の糸のようにも見える描画の軌跡。タランチュラ(毒蜘蛛)はボトムスに。Yohji Yamamoto(HOMME)2019-20秋冬 パリコレクションより。(画像提供:京源 Copyright:Monica Feudi)
— 今までのお仕事で、伝統的な「和」のイメージから離れて、こうしたモチーフを扱ったことはあったのでしょうか? 以前、伊勢丹の企画で、「ルパン3世」の各キャラクターの紋をつくっていらっしゃいましたよね?
承 スカルや毒蜘蛛といったものは初めてでしたね。ただ、モチーフのチョイスの問題で、描き方自体は自分がこれまでずっとやってきた通り、正円を基本に描いています。
— なるほど。つまり、このスカルや毒蜘蛛は、伝統的な家紋のメソッドをベースに、Yohji Yamamotoの世界観にアプローチしたデザインということですね。
承 はい。日本の家紋のほとんどは、円で構成されています。円には「縁(えん)」や「和(わ=輪)」といった意味もあり、家紋とは、家族、あるいは帰属する集団組織に対する日本人の「やまとごころ」が象徴化されたグラフィズムだと僕は考えています。
— 単なる描画法の域を超えた家紋のフィロソフィーに、きっと山本耀司さんも新たな可能性を期待されたのでしょうね。