梅の花が各地で見頃となっています。「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな(春な忘れそ)」という菅原道真の歌を思い出す人も多いかもしれません。
▼この歌の詳細についてはこちらの記事で。
「菅原道真×梅」伝説と、歌舞伎『菅原伝授手習鑑』見どころ大解説
道真の歌の印象が強くて「東風」にはなんとなく感傷的なイメージがあったのですが、先日たまたま読んでいた本のせいで、せっかくの美しい「マイ東風世界」が崩壊してしまったので、皆さまを巻き添えにしたいと思います(迷惑な……)。
「馬耳東風」も「東風」である! という。
馬耳東風
人の意見や忠告・批評などにまったく耳を貸さず、心にもとめず、聞き流すこと。もちろん反省なんてしない。
馬耳東風。馬耳、東風←それ! ここ!
東風とは?
あらためて、東風とは。
春を告げる、やわらかな東寄りの風のことで、読みは「こち」「ひがしかぜ」、また古語では「あゆ」とも言ったそう。
「馬耳東風」の由来は?
馬耳東風は、中国の詩人・李白による『答王十二寒夜独有懐』「世人之を聞けば皆頭を掉(ふ)り、東風の馬耳を射るが如き有り(世の人は皆、詩の良さを理解せず頭を振り聞き入れない、まるで春風が馬の耳に吹いても何とも思わないようなものだ)」から来た表現です。
春風が馬の耳に吹いても、馬にはなんの感動もないように、などとのたもうているのだが……はい、異議あり。
馬は聴覚が非常に鋭いため、少し強い風が吹いただけで嫌がるような個体もいます。だから「なんの感動もない」と決めつけないでいただきたい。冬の厳しい寒さや木枯らしが去って、おいしい青草も生えてきて気持ちいい、嬉しいと思っているかもしれないじゃないですか。馬に聞いたんですか? 何も思ってない、って馬が言ってたんですか? それはあなたの意見ですよね?
と、アホなノリはほどほどにしておきましょう……。
いずれにしても、東風吹かば~、のような切ない世界観とはかけ離れた言い回しです。あ~、知らなければ、気づかなければよかった。
「馬の耳」シリーズ
辞書を調べてみると、「馬の耳」シリーズが他にもいくつかあったので、一挙にご紹介しましょう。
馬の耳に念仏
馬に念仏を聞かせても、そのありがたさが理解できないのだから無駄である、ということから、いくら言い聞かせても聞き入れようとせず、あるいは上の空で聞き流して、全く効き目のないこと。
「馬耳東風」は聞き流す、「馬の耳に念仏」は聞く耳を持たない、とやや異なるニュアンスで使い分けるとする記載もありますが、ほぼ同じ意味として扱う辞書も多くありました。
馬の耳に風
「馬耳東風」や「馬の耳に念仏」などと同じ。
馬の耳
「馬の耳に風」や「馬の耳に念仏」などと同じ。
馬の耳を渋団扇(しぶうちわ)であおぐよう
渋団扇とは、表面に柿渋を塗って丈夫にした、実用的なうちわのこと。簡素なため、貧乏神が持つとされたようです。
江戸時代の洒落本などに見える表現で、意味は他のものと同じです。
あの……。馬の耳、よく動くし、柔らかくてふかふかでかわいいんで、もうちょっと尊重してあげてくださいな……。
参考文献:
・『デジタル大辞泉』小学館
・『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
・『日本国語大辞典』小学館
・『新選漢和辞典 Web版』小学館
・『故事俗信ことわざ大辞典』小学館
・『コトバンク』