現在、NHKで放送されている大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)』には、たくさんの本が登場します。この江戸時代、出版文化は急速な発展を遂げ、一般大衆を巻き込み、大変な熱気に包まれていました。
江戸時代にも庶民が熱狂したベストセラーがあった!
江戸時代に入り、1枚の板に文字などを自在に彫って版木とする木版印刷が急速に進化したことで、印刷物が大量に発行できるようになります。なかでもエポックメイキングとなったのが、現代にも伝わるあの有名なベストセラー、天和2(1682)年発行の井原西鶴の『好色一代男』です。大坂・思案橋荒砥屋孫兵衛(あらとやまごべえ) から出版され、8巻8冊、54章の短編小説群からなる超大作でした。
『好色一代男』ストーリー
世之介という金持ちの若旦那が、6歳から60歳までの54年間の生涯で様々な色恋沙汰を起こします。あまりの破天荒ぶりに、勘当されますが、その後も諸国を放浪し、高名な遊女との浮名を流します。最後には莫大な遺産を相続し、女性だけの島、女護島 (にょごがしま) へと船出するのです
54編の色恋というと、『源氏物語』を思い浮かべますが、こちらはかなり自由奔放なエロ話となっています。これがヒットするや、本屋仲間の間では、やはり色物にはかなわないといった声が聞かれるようになります。この流れは江戸へも飛び火し、『好色一代男』は、当時江戸で一世を風靡していた浮世絵師、菱川師宣の絵で江戸版が出版され、大ブームを巻き起こしました。このベストセラーを機に、浮世草子と呼ばれるジャンルが確立され、その後20年の間に、好色本は改版を含め、約200点も発行されたのです。
江戸への版元進出ラッシュで、出版文化が賑わう!
江戸に政治の中心が移り、人口が100万人を超え、多くの武士たちも江戸で生活するようになると、江戸は京都や大坂以上の大都市へと移り変わっていきます。経済が活性化し、町人たちの中からも裕福な人々が生まれ、文化や娯楽を楽しむようになりました。そのため、上方から江戸に進出する書物問屋※1が増えていきました。大河ドラマに出てくる風間俊介演じる鶴屋喜右衛門(つるやきえもん)の仙鶴堂(せんかくどう)もその一つです(ただし風間演じる喜右衛門が何代目なのかは不詳)。
この時期、上方で発行されていた好色本のほか、日常生活に役立つ事柄をまとめた、今でいうハウツー本のような『重宝記(ちょうほうき)』や百科事典のような『万宝記(ばんぼうき)』といった本も庶民の間で広がるようになりました。
元禄9(1696)年に発行された『増益書籍目録大全(ぞうえきしょじゃくもくろくたいぜん)』によれば、市場に出回っていた本は、7800点にものぼると記されています。
今にも伝わる昔ばなしやおとぎ話、娯楽本もこの時代に広がった
また赤本と呼ばれる子ども向けの昔ばなしの『ぶんぶく茶釜』や『舌切り雀』が登場したものもこの頃です。ただ、この時代、まだまだ本は高価なものでした。ではなぜ、江戸の識字率が世界から見てもずば抜けて高かったかいたというと、全国各地に庶民が学べる寺子屋があり、吉原でも遊女たちに読み書きを教えていたからです。それに加え、貸本屋の存在も大きかったといえるでしょう。
大河ドラマの中で、蔦重が女郎屋に出向き、彼女たちに本を貸しているシーンが何度も登場しました。蔦重は版元になってからも貸本屋業を続けていたそうです。お金があってもなくても、本をたくさんの人に楽しんでもらいたい、蔦重の本心にはそんな思いもあったのかもしれません。
蔦重の人生にも影響を与えた?近松門左衛門の心中ものが大流行
元禄時代(1680~1709)、一世を風靡した浄瑠璃により、浄瑠璃本も江戸の出版文化の発展に貢献しました。中でも、元禄16(1703)年に大坂で起きた心中事件を元に書いた『曽根崎心中』が素人愛好家の間で人気を集めました。実際に起きた事件をすぐさまネタにするのは、昨今のマスコミ事情と似ていますが、旬なネタを作劇に仕立て上げ、現代にまで通じるストーリーを生み出した近松の才能の驚くべきところです。これが日本のシェークスピアといわれるゆえんでもあるのでしょう。
『曽根崎心中』は近松が51歳の時の作品ですが、続く『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』、『心中天の綱島(しんじゅうてんのあみしま)』、さらには69歳で『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』を書き、近松の名を不動のものとしていきました。
この浄瑠璃本、いわゆる正本(しょうほん)※2が発行されると、改訂判や新作ごとに印刷物が刷られることになり、地本問屋も力を入れ始めます。上方から江戸へ伝わった文化ですが、大河ドラマでは、寛一郎が演じた豊前太夫(ぶぜんだゆう)が一世を風靡し、直伝本(じきでんぼん)※3を蔦重が手がけたいと申し出る様子が描かれています。こうした出版文化の変遷を間近に見ていた蔦重も、この富本節の正本を刊行するようになっていきました。
江戸特有の文化が花開き、吉原を舞台にした本が多数発行される
江戸最大手の書物問屋、須原屋茂兵衛の暖簾分け店で、里見浩太朗演じる須原屋市兵衛(すはらやいちべえ)の申椒堂(しんしょうどう)や『吉原細見』の独占販売で大きくなった片岡愛之助演じる鱗形屋(うろこがたや)などの地本問屋も力をつけていきます。なかでもが鱗形屋が安永4(1775)年に発行した『金々先生栄花夢 (きんきんせんせいえいがのゆめ) 』は初めての黄表紙(大人向けの絵本)として、江戸中で大ヒットとなり、吉原文化を盛り上げていきました。
また、申椒堂が安永3(1774)年に、杉田玄白(すぎたげんぱく)らがまとめた解剖学書の『解体新書』※3や、平賀源内の代表作といわれる『物類品隲 (ぶつるいひんしつ)』※4などを発行していきます。
出版ブームの申し子、蔦屋重三郎が江戸の出版に一大ブームを巻き起こす
出版文化が急成長する中で、寛延3(1750)年に生まれたのが蔦重こと、蔦屋重三郎でした。幼少の頃に、養子に出された吉原という特異な遊興文化の中で育ち、その後、平賀源内や恋川春町(こいかわはるまち)、太田南畝(おおたなんぽ)といった時代を牽引する文化人たちと出会って、刺激を受けながら成長していきます。その中枢にあったのが『本』でした。その後、同世代の山東京伝(さんとうきょうでん)や喜多川歌麿(きたがわうたまろ)といった良き作家、良き浮世絵師にも恵まれ、彼自身が出版文化を発展させ、江戸のメディア王となっていくのです。蔦重の成功は、吉原という特殊な環境の中で育まれた感性を通して、文化人たちとの交流を広げ、時代を見抜く嗅覚で、次々と新たな本を発行していったことが大きかったのでしょう。江戸時代後期には、蔦重の出版する黄表紙や洒落本、狂歌本が出版界を大いに賑わせ、次々とベストセラーとなっていきました。
江戸時代の「大人向け小説」黄表紙と洒落本とは? 何が書かれていた?
安永 (あんえい) 年間(1772~1781)に、吉原大門口で『吉原細見』の販売業を始めた蔦重が、天明3(1783)年には通油町 (とおりあぶらちょう) に進出して、名実ともに一流の地本問屋 (じほんどんや) となっていきます。その後、浮世絵師を次々とプロデュースするなど、彼の一代記は、現在の私たちが、本を楽しめるようになった時代の変遷であり、庶民が日本文化を楽しむきっかけともなりました。現在放送中の大河ドラマで、出版界のプロデューサーとして名を遺す蔦重の波乱ぶりに、ますます注目していきたいですね!
知らなかった!蔦屋重三郎が「耕書堂」を構えた日本橋通油町に、版元が集中していた理由
アイキャッチ:『好色一代男』菱川師宣 出典:国立国会図書館デジタルコレクション
参考書籍:
『江戸の本屋さん』今田洋三著(NHKブックス)/『江戸のベストセラー』清丸恵三郎著(洋泉社)/『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)『国史大辞典』(吉川弘文館)